CSR

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企業の社会的責任(きぎょうのしゃかいてきせきにん CSR: Corporate Social Responsibility)は、持続可能な社会を目指すためには、行政、民間、非営利団体のみならず、企業も経済だけでなく社会や環境などの要素にも責任を持つべきであるという考えのもとに成立した概念である。

最近、よく聞く言葉ですなので、ご存知の方もいらっしゃることだと思います。日経新聞を読んでいる方などは、たまに目にかけるかもしれません。

なぜ、それほどまでに企業の社会的責任が重視されるようになったのか?いまさらそれを説明せずとも、毎日のニュースを見ていれば、よくわかるはずです。

CSRにもアメリカ、ヨーロッパ、日本でそれぞれ考え方が若干違うようです。何を重視するのか?それは風土や価値観の違いなのかもしれません。

日本においては、CSRに対する取り組みは諸外国に比べても早く、1970年代から企業の社会的責任ということばが使われていたことが知られている。しかしながら、一般に日本企業がCSRに期待するものは、「企業の持続的発展
であり、そのため、しばしば企業の社会的責任は企業の社会的貢献や企業イメージの向上を図る諸活動のように考えられ、このため企業収益を実現した後の活動
として理解されることが多かった。実際、企業活動における利益実現が主の目標でCSRは従と考えている企業経営者はいまだ多く、利益幅の小さな企業におけ
るCSRの活動の取り組みはあまり進んでいない[5][6]。 近年特に企業不祥事とそれに対する企業統治の実現や法令順守の問題の文脈でCSRが語られることが多く、こうした状況は前述の東欧諸国などの企業の状況と相通じるものがある[4][5]。 経済団体などではCSRの普及に努めており、一定の成果をみせているものの[7][1] 特に日本の企業において圧倒的に多い中小企業の意識の変化には時間がかかると思われる。なお、調和を尊ぶ日本社会においてCSRは経験的に会得されたり、実践されているという主張もあり、そのような主張では江戸時代の学者石田梅岩の記述や、三井家住友家などの江戸時代の商人に代々引き継がれた家訓などを引いて日本の伝統的企業経営とCSRは矛盾しないとされている。

日本には、古くから「皆様のおかげ様」という価値観がありました。それが、いつの間にか自己中心的な価値観が優先されるようになり、企業にもそんな価値観が蔓延してしまったことがまずかったように思います。

また、「まぁ、いいか・・・」という短絡的な決断が、事態を悪化させてしまいます。

日本は、マネジメントがへたくそだと海外では見られているようですが、確かに様々な不祥事を見る限り、そうした印象はぬぐえませんし、実際にそうなのでしょう。
たぶん、管理されるほうには慣れているのですが、管理する側には慣れないんでしょうね。敗戦国ですし。

企業の持続性は、商売の本懐だと思います。代々引き継がれるためには、続けるための仕組が必要ですし、続ける意思を持ち続けることも大切です。
誰かが、やめてしまえばそれまでですし、何らかの理由があってやめざるを得ないということもあるでしょう。
しかし、続けてきたものを止めるには、始める以上のパワーが必要です。一度始めたことは簡単にやめることはできなんです。本来。

ただ、バブル崩壊からこれまで数多くの企業が、何らかの理由で業務を続けられなくなっています。不景気のあおりを受けて大手企業が倒産という話はかなり懐かしいものとなってしまいました。
今は、どちらかというと不祥事がが原因で、業務が遂行できなくなってしまう企業のほうが多いような気がします。
業界最大手だから安泰という時代は、バブルと一緒にはじけてしまいました。今は、むしろ最大手ほど危険だったりします。そうした危機感からか、各業界の大手企業はこぞって、CSRに取り組んでいます。下記はその一部です。

  • 新日本石油
  • 松下電器産業株式会社
  • TOSHIBA
  • SONY
  • アサヒビール
  • サントリー

もちろん、これは一部です。
もっと多くの企業がこうした取り組みをしています。

みんながやっているから、横並びで取り組むという何とも日本人らしい発想でやっている会社もあるかもしれませんが、そもそもなぜそれが求められているのかを真剣に考える必要はあるのだと思います。