人に対する感受性
デザイン・センスやファッション・センス等のように、仕事にもセンスがあると思います。それを強く感じたのは、昔、
東京で仕事をしていた時に入ってきた新入社員でした。
新卒で、入社してきたにもかかわらず、普通に仕事を何でもこなしました。
逆に、だいぶ年上で仕事ができないと言われる人もいます。
この違いは一体どこにあるのでしょうか?
いま思うに、そのセンスの違いは、「人に対する感受性の違い」なのだと思います。
「人に対する感受性」とは、他人との接し方やコミュニケーションも含みますが、
もっと大きな意味での感受性です。「場の空気がよめる」とか、
「心中を察する」といったものも感受性です。
表面的なかかわりだけを気にするあまりに、こうした感受性がなおざりになってしまうと、
「場の空気が読めない」とか、「あいつは配慮が足りない」
などと思われてしまいます。
こうしたことは、仕事を通じてのほうがわかりやすいですが、学生生活などでもこの感受性が低いと、
人として嫌われれる傾向があることは、わかっています。そして、それがいじめの対象になってしまうこともあります。
そうすると、人に対する感受性は、生まれつき持っているものなのかもしれないと考えてしまいます。
感受性の強さは人によって違いはあるとは思いますが、最も影響しているのは性格のような気もします。
性格が行動や言動に対しての影響力は、大変高く、心理学の面でそれは昔から言われていることです。その性格は、
3歳でほぼ基本が形作られるといいますが、それ以外の部分は環境がすべて決定するとも言われています。
心理学の分野において、生まれつきの部分を「気質」といいます。そのうえに環境によって「狭い意味での性格」ができあがります。
その上に、さらにその社会によって作られた「社会的性格」があり、もっと上に、現在の役割に応じた「役割性格」があります。
仕事ができる人とできない人の家庭環境について、ちょっと調べたことがあったのですが、どうやら仕事ができるといわれる人は、
家が事業主であったり店舗であったりと、常に人が出入りする環境でした。それに対し、仕事ができないといわれれる人の家庭は、
公務員や教師というのが多かったです。
必ずしも、それがすべてではありませんが、そういう傾向が非常に強いということはいえます。
ただし、それは、ビジネスにおいてという限定条件が付きます。
公務員を親に持つ子は、実はかなり公務員に向いているかもしれませんし、商売人の子が先生になると、大変かもしれません。
蛙の子は蛙。
そんな諺がありますが、ちょっとそれとは違います。
子供は少なからず親の影響を受けて育ちます。それは、そういう環境なのだから仕方がありません。
また、祖父母と同居している子は、親の仕事に関わりなく、感受性が高いという話もあります。理由は、
やはり物心つくまでの間にどれくらいの人に会っているかなのだと思います。
最近、人に対する感受性が低くなった子供や若者が多くなったような気がしますが、それは、
核家族化の影響は必ずあると考えています。
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