日本神話学 レポート

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はじめに

日本民俗学、文化人類学において新しい試みを行いたい。それは、フランスの文化人類学者レヴィ=ストロースの説いた「構造主義」の応用だ。彼は、これを用い神話の解明を試みたが、その手法は難解極まりないものであり他人には真似できないとまで言われた。しかし、構造主義という概念自体を応用するのはそれほど難しいものではないと思われる。

日本に伝わる伝説・民話・神話なども、その話になるまでには基になった実話が必ず在ると、私は信じている。

神隠しといわれるもの

「曾て羽前の尾花沢付近に於いて、一人の土木の工夫が、道に迷うて山の奥に入り人の住みそうに無い谷底に、はからず親子三人の一家を見たことがある。これは粗末ながら小屋を建てて住んでは居たが、三人とも丸裸であったという。

女房がひどく人を懐かしがって、色々と工夫に向って里のことを尋ねた。何でも其亭主という者は、世の中に対してよほど大きな憤懣があったらしく、再び平地へは下らぬと云う決心をして、こんな山の中へ入って来たのだと謂った。

工夫は一旦其処を立ち去った後、再び引き返して同じ小屋に行って見ると、女房が彼と話をしたのを責めると云って、縛り上げて折檻をして居るところであったので、もう詳しい話も聞き得ずに、早々に帰って来て、其後の事は一切不明になって居る。

此話は山方石之助君から十数年前に聴いた。山に住む者の無口になり、一見無愛想になってしまうことは、多くの人が知っている。必ずしも世を憤って去った者で無くとも、木曾の山奥で岩魚を釣っている親爺でも、たまたま里の人に出くわしても何の好奇心も無く見向きもせずに路を横切って行くことがある。文字に現せない寂寛の威圧が、久しゅうして人の心理変化せしめることは想像することが出来る。

そうしてこんな人に僅かな思索力、乃至は僅かな信心が有れば、乃ち行者であり、或は仙人で有り得るかと思われる。又天狗と称する山の霊が目の色怖ろしくやや気六つかしく且つ意地悪いものと考えられて居るのも、一部は此種山中の人に逢った経験が、根を為して居るのかも知れぬ。【柳田國男:9】」

なぜ、山に入るのかという理由はいまだ明らかでない。隠遁のためである場合は簡単だのだが、実際は理由のわかっていない事例も多く取り上げられている。

「人には尚是という理由がなくてふらふらと山に入っていく癖のようなものがあった。少なくとも今日の学問と水利だけでは説明することの出来ぬ人間の消滅、殊には此世の執着の多そうな若い人たちが、突如として山野に紛れ込んでしまって、何をしているのかも知れなくなるということがあった。自分がこの小さな書物で説いて見たいと思うのは主としてこうした方面の出来事である。是が遠い近い色々の民族の中にも折々は経験せらされる現象であるか。はた又日本人にばかり特に、且つ頻繁に繰り返されねばならぬ事情があったのか。それすらも現在は尚明瞭で無いのである。しかも我々の間には言わず語らず、時代時代に行われて居た解釈があった。それがある程度まで人の平常の行為と考え方とを、左右して居たことは立証することが出来る。我々の親たちの信仰生活にも、之と交渉する部分が若干あった。しかも結局は今尚不可思議である以上、将来何れかの学問が此問題を管轄すべきことは確かである。棄てて顧みられなかったのは寧ろ不当であると思う。【柳田國男:10】」

こうした出来事は、日本古来よりある出来事らしく俗っぽい言い方をすれば、「神隠し」が此れに当たると思われる。しかし、何らかの力が加わり、居なくなるというよりは自発的に居なくなるので、「神隠し」のそれとは言いがたい部分もあることは確かだ。

マタギとアイヌ人

「マタギは東北人及びアイヌ語で、猟人のことであるが、奥羽の山村には別に小さな部落を為して、猟人本位の古風な生活をしている者に此名がある。例えば十和田の湖水から南祖坊に逐されて来て、秋田の八郎潟の主に為って居ると云う八郎おとこなども、大蛇になる前は国境の山の、マタギ村の住人であった。(中略)マタギの根原に関しては、現在まだ何人も説明を下し得た者は無いが、岩手秋田青森の諸県に於いて、平地に住む農民たちが、やや之を異種族視して居たことは確かである。(中略)北秋田の山村のマタギの言葉には、犬をセタ、水をワツカ、大きいをポロというの類、アイヌの単語の沢山に用いられて居ることを説いている。【柳田國男:10~11】」

ただ、アイヌ語を使っていたからマタギはアイヌ人だというのは早計であると、柳田氏は言っている。マタギといわれる人たちは、言語風俗その他に於いても、何ら平地民とは変わらなかった。しかも、近世に於いては村に居る限りは地を耕し穀物を作っていたし、山村に住む農民も狩猟によって生計を補うところも少なくは無かった。名称以外には二者を差別すべきものは無いとも、柳田氏は言っている。しかし、私の考えは違う。

そもそも、マタギは熊を狩る事を生業にしている。勿論他の兎や鹿なども狩っていたらしいが、主として熊を狩る猟師をマタギという。農民も、狩猟で生計を補っていたと有るが、熊までは狩ることはしなかったのではないだろうか。補うだけであれば、それほど大きな獲物を得る必要性は無い。マタギの場合、地を耕すことは生計を補うものであり、おもな生業は、狩猟であったと考えられる。

「ただ関東以西には猟を主業とする者が、一部落を為すほどに多く集まって居らぬに反して奥羽の果に行くとマタギの村という者が折々ある。【柳田國男:11】」

また、アイヌ民族は農耕民族ではなく狩猟民族であるというのが、現在の一般通念である。とすると、アイヌ人とマタギの共通点はアイヌ語だけではないということである。しかも、アイヌ人の中には、和人と積極的に交流を図るものもいたという記述があるし、アイヌ民族の歴史を辿ると、徐々に北上し東北の地名の至る所にアイヌ語が使われている。(参考;アイヌ民族の歴史と変遷―差別の歴史―:2001)

以上の点から、マタギとアイヌ人は限りなく近い存在ということが言えるのではないだろうか。

参考文献

柳田國男 折口信夫 荻原朔太郎 宮沢賢治 高村光太郎 斎藤茂吉 高浜虚子

久保田万太郎 幸田露伴

1992(平成元年四月一日) 初版第一印刷発行

小学館

『昭和文学全集 第4巻』