課題レポート:「グローバル資本主義システムについて」

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初めに、国際関係論とはどのような学問体系かというと、「International Relations」の日本語訳なのであるが、それだけでは具体性がなく、学問体系としても成り立たない。

具体的にどのようなことを研究するとかと言うと、国際間の政治・経済の関係を研究する学問としての位置付けを持っているが、国際関係学と言った学問体系はまだ確立されていない。したがって、国際関係論という位置付けになっている。

前述した国際間を言うには、必ず二つ以上の国民国家がなければ、成立しない。

そこで次に、国民国家について説明しなければならないだろう。国民国家の基礎を作ったのは、近代ヨーロッパであった。これには、近代功利主義が深く関わってくる。近代合理主義は、1700年から1800年までは、イギリスで功利主義と呼ばれていた。その起こりは、ホッブスまで遡るという人たちと、ロックが生み出したと言う学説がある。確かに、ホッブスも功利主義について触れている部分もあるが、実際は、イギリスの社会哲学者によって提唱されたと言うのが、一般的である。

なぜこれが、必要になってくるかと言うと、この後の19世紀から起こる産業革命や市民革命により、私的財産権の確保というものがより重要視されてくるからだ。これらを、保護してくれる必要性が、国家に出てきたわけである。それまでの夜警的な国家ではなく、より合理的な選択の出来る国家の必要性が出てきたのである。具体的にどういう事かと言うと、国家が軍事力を持ち、そのテリトリー(その国の国土)で生活する人々の安全を確保しなければならず、また、法を整備し、権力を持つ事によりそのテリトリー中で生活する人々から税金を徴収し、軍事力を維持する。その結果、テリトリーの内外で、保護レントを確保できるわけである。

それを成し遂げるには、社会的個人の認識が必要不可欠となってくる。社会的個人とは、個人的な利益の追求を合理的にする過程で、所属する社会の利益を優先する立場をとる人のことを言う。

その反対の私的個人とは、自己の利益を深く追求し、それ以外のことは、自ら、排他しようとする人のことを言う。

なぜ社会的個人が重要になってくるかと言うと、これらの人は、所属する社会に税金を払い、政治権力をもたせることにより自らの安全と私的財の確保をしようと考える。そのため、運営をする側にとっても利害関係が一致するので、必要な存在になるのである。

ヨーロッパでは、初め私的個人による政府の介入を認めない考え方が主流であったが、市場のメカニズムが、変わってきたため介入を認めざるをえなくなり、社会的個人が重要視されるようになってきた。