当たり前のことを当たり前にできるという事
「当たり前のことを当たり前にやれば、当たり前のことが当たり前に出来る」
まさに、当たり前のことだ。
しかし、その当たり前という感覚は、人によって千差万別、十人十色様々だ。何をもってして当たり前と呼ぶか。その基準はどこにあるのか。
当たり前という言葉自体、一般性がない。
その人の持つ常識が、「当たり前」のことなのだ。
自分が当然のように思っていることでも、ある人には非常識なことに映るかもしれない。また、逆に自分が非常識と思っていたことが、相手にとっては常識になる場合もある。
ただ、その基準は個々人によってある程度操作できる。
僕の例を挙げると、もともとパソコンなどは殆ど触ったことはなかった。でも、今では当たり前のようにホームページが作れる。自分の中では、ホームページが作れるということは、当たり前のことになった。
このように、「当たり前」の基準は簡単に上げることが出来るのだ。それまで出来なかったことが、やっているうちに当たり前のこととなる。
冒頭で述べた言葉は、まさにこのことを示している。
「当たり前のことを当たり前にできる」ようになるには、時間と労力が必要だが、それを惜しんでしまえば当たり前のことが当たり前に出来なくなってしまう。
「当たり前のことを当たり前にやる」為には、出来るか出来ないかという結果を考えず、やるかやらないかという行動を取るべきだ。