情報リテラシーというお話

リテラシー(literacy)というのは、英語で「読み書き能力」という意味です。
日本は、基礎教育がしっかりしているので、読み書きができない人はいません。(苦手な人はいますが・・・)

教育水準が高いと言う事は、国が豊かである証拠でもあります。

アフガニスタンの復興に向けてカルザイ首相が日本に来日したときに、こんな話をしていました。
「明日の事を考えるなら、米が必要だ。100年後の事を考えるなら、教育が必要だ。」

これは、名言だと思います。

それぐらい、教育は国を支える上で重要なのです。だから、国が教育に力をかけられるのは、明日食べる米があるからなのです。
例えば、明日食べる米がない場合、まずは明日食べる米をなんとかしなければなりません。そんな状況で、勉強などできるはずもありません。

しかし、それは最低限の教育水準であって、これからより重要になってくるのは、情報リテラシーと呼ばれる能力です。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には、

情報リテラシー(じょうほうリテラシー 英:information literacy)とは、情報を自己の目的に適合するように使用できる能力のこと。「リテラシー」(literacy)とは、文字の読み書きの能力を指し、これを情報一般に当てはめて情報リテラシーと呼ばれることがある。Australian and New Zealand Information Literacy Framework(Australian and New Zealand Institute for Information Literacy, 2004)によると、情報リテラシーが備わっている人には次の6つの要素が備わっているという。

  1. 情報に対するニーズを認識し、必要とする情報の性質と範囲を決定できる。
  2. 効果的に、そして、能率的に必要な情報を見つけられる。
  3. 批判的に情報や情報探索過程を評価できる。
  4. 収集した情報や自らの研究などから生み出された情報を管理できる。
  5. より重要で新しい情報を適用して新しい概念や新しい理解を生み出せる。
  6. 理解しながら情報を用い、情報を用いるということの周囲にある文化的・倫理的・経済的・社会的な問題を認識できる。

情報は様々な形式で表わされるため、情報リテラシーは、これまでの文字に代表される印刷物以外のメディアについても対象となる。文字の読み書き以外にも、視覚聴覚コンピュータケータイネットワークを含む)に関する能力などが含まれるといわれている。

大きくは、情報を収めるメディアに注目したメディア・リテラシーと、情報の高速多量の処理が可能なコンピュータに注目したコンピュータ・リテラシーに分けられるといわれる。

とありました。

簡単に言うと、情報リテラシーとは、情報を処理する能力です。

例えば、私が書いているこのブログは、様々な情報を収集し、自分なりの考えというエッセンスを加え発信していますが、こうした事ができる人は、情報リテラシーは高いという事です。

決して自分がすごいと言っている訳ではありません。
私以外にもこうした事を行っている人はたくさんいますし、誰でも可能です。
ただ、そのスキルを磨く必要はあります。

文部省(当時)でも、臨時教育審議会第2次答申(1986年)で「情報及び情報手段を主体的に選択して活用していくための個人の基礎的な資質」と定義され、学校教育でいう”情報リテラシー教育”は広義の情報リテラシーを指しています。

ここで言う、広義の情報リテラシーとは、情報機器の操作能力だけではなく、「情報を活用する創造的能力」のことを指し、情報手段の特性の理解と目的に応じた適切な選択、情報の収集・判断・評価・
発信の能力、情報および情報手段・情報技術の役割や影響に対する理解など、”情報の取り扱い”に関する広範囲な知識と能力のことを言います。

今や、小学校でも情報教育は行われているといいますし、2002年頃には既に大学生の間ではインターネットが使えないと就職できないなどとまことしやかにささやかれていたぐらいです。

しかし、そうした状況についていけない人たちも多くいます。

そういう人たちは、自分はそんな物がなくとも生きていけると考えています。

確かに、テレビを見なくても死にはしませんし、インターネットの世界などとは無縁でも仕事はできるかもしれません。(私はそれを仕事にしてしまっているのでそれはできませんが)

しかし、こうした情報リテラシーの格差は、直接所得格差に関わってくる恐れがあるとしたら、どう考えるでしょうか?

私のブログを見ている人は、基本的に情報リテラシーは長けていると思います。なぜなら、これだけの情報量を処理できるキャパが必要ですし、専門用語もかなり使っていますので、予備知識ももちろん必要です。
何より、これだけの文章を一気に読める読解力が必要です。

面白いデータとして、東大生の文章読解力は、平均の2倍〜3倍だと言う事でした。

勉強をそれほどしていなくても、何となく勉強できる人が昔周りにいませんでしたか?
「いつも一緒に遊んでいるのに、なんであいつだけ成績がいいんだ?」などと、不思議に思いませんでしたか?
それは、単に問題の読解力があったためです。問題の意味が分からないと、そもそも問題が解けません。

ただ、そんな人は、元々頭がいいのです。私とは、生まれつき出来が違います。
私はそれほど頭が言い訳ではありませんでしたが、大学レポートは得意でした。しかも成績は結構良かったです。理由は簡単です。ネットを使っていたからです。自分で書くよりも人が書いた物を引用すると2時間もあれば、20ページぐらいのレポートは簡単に作成できます。
しかし、そんな物で果たしていい点数がとれるのか?実際はとれます。

理由は、「いい論文とは、引用の多い論文」だからです。この理論は、100年前から変わっていませんし、グーグルのページランクという発想はここからきています。

なので、大学時代の友達は、多分、私はとても勉強家で常に勉強している人だと思ったかもしれません。
その当時、インターネットの論文を引用してレポートを書くという発想を持っている人はほとんどいなかったと思います。なぜなら、それほどインターネットが普及していませんでしたから。

結果、周りを出し抜く形になってしまいましたが、情報が支配する世界ではむしろこれが、当然だと思います。

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」

という格言もありますが。。。

Googleのアドセンスの事を知っている高校生が、月に100万も稼いでいる話もあります。しかし、それを知らない人たちは毎日あくせく働く訳です。(私のように知っていても利用停止になった人もあくせく働かなくてはなりません)
また、女子高生が書いたブログが本になってかなり売れたなどという話もあります。

これは、極端な話だと思わないでください。実際に現実としておこっている事なのです。

そして、それに気づかずただ漫然と過ごしている人たちとの格差は、既に広がっています。

まず、こうした情報を収集する能力、そして、情報を選別・検証する能力、最後に情報を発信する能力が、私の考える情報リテラシーです。

そして、そのリテラシーは日本ではまだまだ不足していると感じます。インフラの整備が終わった現在に置いて、最も着手しなければならないのは、この情報リテラシーの国家的向上です。

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