八百万信仰を世界に広めることによる平和構築の可能性 Vol.3

八百万信仰を世界に広めることによる平和構築の可能性 Vol.3

第2章:日本の宗教的風土と八百万信仰

2.1 日本古来の自然崇拝と神道

日本の宗教的風土の基盤となっているのは、古来からの自然崇拝です。古代日本人は、山や海、森や木、岩などの自然物に多くの神々が宿ると信じ、アニミズム(自然・精霊信仰)の世界観を持っていました。

この自然崇拝は、山そのものを神とあがめる霊山信仰や、岩そのものが信仰対象となった磐座(いわくら)信仰などの形で表れています。例えば、奈良県の三輪山は神そのものとされ、大神神社ではこの山をご神体として崇めています。

神道は、このような自然崇拝を基盤として発展した日本固有の宗教です。その特徴は、明確な教祖や教義、経典を持たず、自然との調和や祖先崇拝を重視する点にあります。神道における神(カミ)の概念は、西洋的な創造神や全知全能の神とは異なり、自然の力や祖先の霊など、様々な存在を包含する広範なものです。

神道の世界観では、この世界は本来清浄で調和のとれたものであり、穢れ(けがれ)を祓い清めることで、本来の調和を取り戻すという考え方が中心にあります。この考え方は、日本人の美意識や倫理観にも大きな影響を与えてきました。

2.2 仏教の伝来と神仏習合

仏教が日本に伝来したのは6世紀頃のことです。百済の聖明王から欽明天皇に金銅製の仏像と経典が贈られたことに端を発し、当初は蘇我氏と物部氏の間で仏教受容をめぐる対立(仏教抗争)がありましたが、蘇我氏の勝利により仏教は国家鎮護の役割を担うようになりました。

注目すべきは、日本における仏教の受容過程です。日本では、仏教と既存の神道が対立するのではなく、両者が融合する「神仏習合」という独自の宗教文化が形成されました。神仏習合の思想では、日本の神々は仏や菩薩の化身(権現)であるとされ、神社と寺院が相互に関連し合う複合的な宗教システムが構築されました。

神仏習合の例として、三輪山をご神体とする大神神社の境内にかつてあった大御輪寺(現在の大直禰子神社)が挙げられます。本堂の中央には国宝・十一面観音が本尊として安置され、奥には大神神社の祭神である大物主大神の子孫、若宮様が祀られていました。この若宮が入定して十一面観音に変じたとか、この十一面観音が実は若宮の母であるとか、様々な伝承が伝わっています。

このような宗教的融合は、明治政府が神道を国教化するために「神仏分離令」を1868年に発令するまで続きました。神仏習合は、日本人の宗教観に大きな影響を与え、複数の宗教を同時に信仰することに違和感を持たない文化的背景を形成しました。

2.3 「一は全、全は一」の思想と日本的宗教観

「一は全、全は一」という思想は、日本の宗教観を特徴づける重要な概念です。この思想は、部分と全体の不可分な関係性を表し、仏教の「縁起」や「空」の思想と深く関連しています。

仏教では、すべての存在は相互に関連し合い、独立して存在するものはないという「縁起」の考え方があります。この考え方は、日本の伝統的な自然観と結びつき、「一は全、全は一」という独自の発展を遂げました。

この思想は、禅宗の影響を強く受けた日本の芸術や文化にも表れています。茶道や華道、庭園などの美意識には、部分と全体の調和、瞬間と永遠の交差といった「一は全、全は一」の世界観が反映されています。

また、「神かと思えば人、人かと思えば神」という表現にも、日本的宗教観の特徴が表れています。日本の神話や伝承では、神と人間の境界は曖昧であり、人間が神になったり、神が人間の姿で現れたりすることが珍しくありません。この神人不二(しんじんふに)の考え方は、神と人間を截然と区別する一神教的世界観とは対照的です。

このような日本的宗教観は、二項対立を超えた包括的な世界理解を可能にし、多様性の受容と調和の基盤となっています。「酒も神」「酒とともにある」「神を飲み干し、神の領域に至る」という表現にも、万物に神性を見出す八百万信仰の世界観が反映されています。