Sharism(共有主義)

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ワークシェアリング、カーシェアリング、ルームシェア、共同購入など、共有するという概念が最近いたるところに派生しています。

英語のShareは、分担とか分け前、共有、分配という意味合いですが、インターネットの世界では、共有という意味合いで用いる場合が多いと思います。

そもそも、最近こうした概念が派生したバックボーンにはインターネットの存在が大きいのではないでしょうか。知識の共有、動画、音楽といったコンテンツについて共有することを目的としたサイトが多く存在しますし、そもそも、インターネット自体も、知識の共有を目的とした技術だと思うのです。

物質に価値を見出した時代では、共有という発想は持ちにくく、占有が基本でした。あの人が持っているものが欲しいという人間的欲求にこたえるべく、多くのものが生み出されそして消費されていきました。

しかし、昨今の世界経済情勢、長期にわたる日本経済の低迷が、新しい価値観を生み出していたということに、最近、あらためて気付かされたのです。

ブログで、こうして書いていることも結局は知識の共有につながっているわけですが。

この新しい価値観は、より多くの場面で用いられることが、予測されますし、そうしていかなければならないのではないかとも思います。

知識や、知的生産物はもちろん、実質的な物についてもです。

社会主義という思想もありましたが、それとはまた別の概念のような気がします。人間の進化は螺旋の上に成り立っているとすれば、社会主義からもう一歩進んだ概念なのかもしれません。

それを可能にしたのは、間違いなくインターネットですが、その考え方は、ネットのあちら側だけにとらわれることはないのです。むしろ、現実社会、実質経済においてより活用されるべきなのだと思います。

そのためには、他人を受け入れるという発想が不可欠です。個人のものではなく両者のものとして存在するわけですから、相手を受け入れられなければ、そもそもこの概念は成り立ちません。家族という枠組みにおいてはそれが実践されていますが、それは相手を受け入れているから可能なのです。

実は、日本の古き良き時代においては、それが実践されていました。とくに農村部において。特に稲作は、今ほど機械化も進んでおらず、田植え・稲刈りの時期には家族はもちろん、親戚縁者、近所の人までを巻き込んで行っていたほどです。また、葬式も近所の人が手伝いに来るというのが当たり前で、今のようにセレモニーホールを使っていたわけではありません。

これは、モノをシェアするとは若干違いますが、時間をシェアしています。人生において時間ほど価値のあるものはないわけですが、まさにものよりも大切なものを共有していたわけです。

小さい枠組みにとらわれず、インターネットを使ったより大きな枠組みへの取り組みも実はすでに行われています。

シェアモ(ShareMo):ソーシャル・シェアリング・サービス

このサイトは、日本中の人とモノをシェアし、何でも使ったり、使わせてもらったりするサービスとして、今注目を浴びています。

もったいない困ったときはお互い様という2つの言葉の上に成り立っているといえば、日本人にとっては分かりやすいかもしれません。

今まさに、こうした動きが日本で起こっているわけですが、これを世界に広めることができれば、新しい世界観が見えてくるのではないでしょうか。