神話の法則

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トゥーランドット』(Turandot)を知っている人は、よほど教養の高い人だと思いますが、話を進めていく上で、どうしても内容に触れておかなければならないので、どうかご容赦ください。

「トゥーランドット」は、アラビアからペルシャにかけて見られる「謎かけ姫物語」と呼ばれる物語の一類型であり、同系の話は古くはニザーミーの叙事詩『ハフト・ペイカル(七王妃物語)』(1197年)にまでさかのぼる。この系統の物語をヨーロッパに紹介したのがペティの千一日物語であり、原典は失われてしまったが同じような筋書きのペルシャ語写本が残されている。 ただし、残されているペルシャ語写本にはトゥーラン国の名はあるもののトゥーランドットの名はなく、フランス人の研究者オバニアクは、この「トゥーランドット」という名はペティが出版する際に名づけたのかもしれないとしている。 このペティの手になる「カラフ王子と中国の王女の物語」を換骨奪胎して生まれたのがゴッツィ版「トゥーランドット」であり、この作品はさらにシラーによってドイツ語に翻案されている(1801年)。なお、プッチーニのオペラはゴッツィ版が元であり、ウェーバーのオペラはシラー版を元にしているとされている。 ペティの「カラフ王子と中国の王女の物語」のあらすじに関しては#外部リンク先を参照のこと。

このトゥーランドット物語は、オペラだけでも少なくとも12人の作曲家の作品が存在することが確認されているが、今日では以下のものが有名である。

  1. カール・マリア・フォン・ウェーバーが作曲、1809年ドイツシュトゥットガルトで初演された劇。中国らしさを出すためにジャン=ジャック・ルソーの『音楽辞典』の巻末譜例から『中国の歌』を引用している。後にこの『中国の歌』の部分がパウル・ヒンデミットにより『ウェーバーの主題による交響的変容』第2楽章の主題として用いられる。
  2. アントニオ・バッジーニが作曲、1867年イタリアミラノで初演されたオペラ『トゥーランダ』Turanda
  3. フェルッチョ・ブゾーニの作曲になる、1905年に初演された劇音楽、またそこから発展し1917年スイスチューリッヒで初演された2幕のオペラ。
  4. ジャコモ・プッチーニが作曲、彼の1924年の没後遺された未完部分にフランコ・アルファーノの補作を経て、1926年イタリアミラノで初演された3幕物のオペラ。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

この話は「竹取物語」にも似たようなくだりが出てきます。結果は違いますが、謎かけ姫という視点で考えれば、共通性はあります。

もっと身近な例をとってみると、日本古来の昔話などはいたるところに共通性を持っています。

たとえば、鶴の恩返し、笠かけ地蔵、雀の恩返しという3つのお話には

  1. お爺さんとお婆さんが出てくる
  2. お爺さんが助ける
  3. お返しに宝物をもらう

という共通点が見えています。

日本の昔話はなぜか、お爺さんとお婆さんが出てくるという話が多いのですが、これには何か意味があるのかもしれません。

そもそも、昔話や童話は、子供たちに教訓をわかりやすく教える役割があります。お爺さんとお婆さんとしているのは、感受性の豊かな子供たちが、客観的に話を聞けるようにするためにの配慮なのかもしれません。

こうした物語や神話を体系的にまとめる学問を神話学といいます。特に、比較神話研究からは、異なる神話(体系)に共通する神話類型やモチーフが明らかにされています。

さまざまな神話を比較分析していくと、面白いことにいくつか共通する点が見つかったりします。時代背景や場所などはまったく異なるのですが、不思議なことにそうしたことが起こるのです。

しかし、神話をはじめ多くの物語には、一定のルールが存在していると仮定して考えてみると、さほど不思議ではなくなります。

物事には、始まり
と終わりは必ずあるわけで、森羅万象すべてに通じる理ですが、その始まりと終わりを結びつける流れというものは必ず存在します。そして、その流れこそが、物語として語られる部分なのです。

物語の流れを大きく見ると以下のようになります。

  1. 旅立ち
  2. 試練
  3. 終焉

「旅立ち」としていますが、必ずしもどこかに旅に出るというわけではなく、物語の始まりというニュアンスのほうが的確です。また、「試練」の前に集結という流れが組まれる場合もあります。これは、仲間が出てくる物語には共通しています。
最後の「終焉」は、たいていハッピーエンドで終わる場合が多いです。それは、「試練」を乗り越えたことの証でもあります。

最近の映画はやたらと続編が多いですが、続編のつなぎ方は、大きく分けると2パターンあります。ひとつは、「終焉」を迎えずに「試練」のまま終わり、またその続きから始まるパターンと、一度「終焉」を迎えるも、また新たな「試練」が立ちはだかるパターンです。

逆に、こうした共通するモチーフを使って物語を作ると、わりと素人でも面白い話ができるでしょう。

「そんな事を言っても、結局は物語上の話であって、人生はそんな物語のようにうまく話は進まないよ。」と思われるかもしれません。しかし、事実は小説よりも奇なりという言葉もあるように、物語よりも人生のほうが物語らしいです。

人生はドラマだということを言った人もいますが、人生はむしろ、旅立ち~終焉までの連続です。そして常に試練に向かい合わなければなりません。それが、物語とは大きく違うところです。一つの物事が終わりを迎えても、次に新たな試練が立ちはだかり、そしてそれをまた乗り越える。乗り越えられなければ、試練はそのまま続いていくのです。たとえそこから逃げようとも同じような試練がまた立ちはだかります。結局はその試練を乗り越えなければ先には進めないのです。

神話や物語には、そうした教えがひそかに隠されています。似たような話が多いのも、結局は人が主役である以上、人生という物語がすべての物語のベースになっているからなのだと思います。

仕事やビジネスにおいても、一連の流れは変わりません。ただし、人生同様、大小さまざまな物語の連続なのです。