人の想像力が世界を救う

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最近、想ったことの一つに、「未来を想像しなくなったなぁ」ということがあります。

単に、仕事が忙しくてそんなことを考える暇がないとか、大人になったら、あんまりそういうことを考えなくなったということもあるのかもしれませんが、文化や芸術、音楽などを見ても「未来に対してのイメージが突飛なものではなくなった」と言えます。

今よりももっと、未来を想像していた時代、特に1970年代から2000年代において、それは顕著にあらわれていました。近くて、遠くの未来、そして新世紀。この20年間のなかで様々な未来への切望を文化や芸術などで表現する人も少なくなかったのです。

逆に、終末思想というものもこのころから出始めました。いわゆる「恐怖の大王」説です。空から恐怖の大王が舞い降りて世界が終るという類の話ですが、部分的に紛争や自然災害などは起こっているものの、世界規模での戦争や自然災害は今のところおこっていません。(これからも起こらないことを切に願います)

特に日本においては、失われた10年といわれる1990年代以降、未来に対しての不安ばかりが助長されているような気がします。そして、新世紀に入り、それはますます加速しています。

特に最近は、原油高による物価の上昇は先が見えず、不安要素は増すばかりです。また、各地の大地震。これによっても多くの人命が失われています。

しかし、それもまた少なからず「人々が望んでいた結果なのかもしれない」ということに最近気づきました。平和で安全が保障されている人たちの中には、この平和がずっと続けばいいと望んでいる人と、何か悪いことが起きないかと考えている人がいるのです。前者は、現在の生活に満足のいっている人たちで、後者は現在の生活に満足いかず、かつ自己本位ではないのです。言い換えれば、それは無責任ということです。

世の中におこっていることはすべて、人の想像力の具象化に過ぎないと仮定すれば、悪いことを考えると、それがまさに現実となり、良いことを想えばそれが現実化するのです。

世の中すべての事象はすべて微妙なバランスの上に成立しています。陰と陽の関係がそれをよく表していると言われていますが、それはひとつの真実です。光が強ければ強いほど影も濃く、大きくあらわれるわけです。ただ、それはすでに現実世界で貧富の差として表れていますが。

地球上の多くの人たちが、「こんな世の中、嫌だ」と想うようになると、それが現実のものとなり、世界を変えるほどの変動が起こりえるということです。過去の歴史の中において、そうした変動は革命や戦争という形で具現化し、そのたびに今まで築き上げてきたものを一瞬で破壊してしまいました。

それが歴史の真実ですから、人の想像力は、個々人が思っている以上に大きいことがわかります。自分一人が、思っている以上に自分の考えや想像力は、自分の外的環境に大きく影響を与えているのです。自分が望んだ以上の生活はできませんし、それ以下の生活もしていません。今ある環境はすべて自分が考え行動した結果に過ぎません。

よりより方向へと誰もが望めば、結果はよりよくなりますし、逆もまた、しかりです。それは、戦後の経済復興という形で特に日本人は具現化してきました。しかし、豊かになったことによって、悪い考えの人も増えてきたのは事実です。様々な事件もまた、そうした考えを具現化した結果に過ぎません。

誰もが心に平安を持ち、幸せに暮らせる世界は、それを誰もが心から望んでいれば、必ず実現します。