競争の先にあるものは…
競争の先にあるもの。それは、「敗北」です。これは、競争をし続ける限り必ずそこに行きつきます。
そもそも、勝つか負けるかでしか判断できないわけですから、敗北が起こる確率は半分あるわけです。ただ、その確率を減らす努力をしているから、勝っていられるだけの話であって、負ける確率を0にすることはできません。
100回後か1000回後かはわかりませんが、いずれは負けるのです。常に勝ち続けられる人はいません。自分は勝ち組だという人に限って、恐ろしいほどの転落をします。これもまた真実です。
平家物語の冒頭には、「おごれる人も久しからず…」というくだりがあります。
まさに、このくだりが指し示すとおりです。時代を制した平家も敵対していた源氏に敗れ、歴史の表舞台から消えました。その後、平家は一切歴史には出てきません。しかし、その源氏も、繁栄は一時だけだったのです。
競争がもたらしもの、それはいったい何なのか?勝つことに何の意味があるのか?
そうした哲学的なことを考え始めると、競争自体が自己満足以外のなにものでもないことに気がつきます。
競争こそは、人間の人間たらしめる最も本能的部分なのです。
そもそも、競争意識は人間の自己優位性に起因しています。「あの人よりも優位に立ちたい」そんな気持ちが、競争意識を芽生えさせそして、人を競争へと駆り立てるのです。
他者への競争意識は、エゴでしかありません。そんなものに一喜一憂していても、諸行無常なだけなのです。
しかし、自分自身への競争意識は克己へとつながります。「己に勝てば百戦百勝」という言葉もあるように、自分自身に勝つことが本当の意味での勝つことなのです。
逆の言い方をすれば、己に敵を見出していること自体、他者とは競争していないのです。
「負けるが勝ち」とは、そもそも戦い自体を放棄していますが、これもまた、競争の先が見えているからこそ、そもそもはじめから戦わないということです。
われわれ現代人は、仕事の上で常に何かと競争させられていたり、自ら競争しています。しかし、そうしたことの先にあるもはいったい何なのか?それをもう一度考えてみてください。
そこから、競争のない素晴らしい世界が見えてくるはずです。
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