個人としての社会的責任

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CSRについては、今の社会状況から発したものだとだれもが理解できるかと思います。そして、今後、企業として取るべき方向性というのも見えてきました。

それは、企業は永続して、自社の商品やサービスを提供し続けることこそが、社会に対する責任だということです。

しかし、忘れてならないのは、企業といってもそれは人が作り出したものであり、企業そのものが人であるということです。

企業に対する責任を考えるとき、そこで働く人たちの責任はどうなるのか?

いまはまだそこまでの議論はあまりなされていないように思いますが、根本的なところとしては、この部分は避けては通れないのではないでしょうか。

それでは、個人としての社会的責任とはなにか?

企業の社会的責任は永続して自社の商品やサービスを提供し続けることと位置付けるならば、個人の社会的責任は、永続して、幸福を享受することなのだと思います。

特に、日本においては憲法の中で、日本に住むすべての国民が幸福に生活することをうたっています。

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

All of the people shall be respected as individuals. Their right to life, liberty, and the pursuit of happiness shall, to the extent that it does not interfere with the public welfare, be the supreme consideration in legislation and in other governmental affairs.

憲法第13条の条文ですが、ここで出てくる「自由及び幸福追求に対する国民の権利」については、幸福追求権ともいわれ、1960年代以降の経済社会の変容は新たな権利を求めるようになり、また学説も次第に13条に具体的権利性を認める説が主流となってきました。しかし、「人権のインフレ化」という現象が懸念されることもあります。

我々日本人が享受すべき権利を主張する時、必ずそこには、社会的責任が存在します。もし、その社会的責任を果たさなければ、権利を主張べきではありません。

では、個人の社会的責任を実行するためには何を行えばよいのでしょうか?

 基本的にはCSRと同じ事です。

  • 法令遵守
  • 社会貢献
  • 情報公開

ただし、個人の場合、最後の情報公開という部分については議論の余地はあります。プライバシーが尊重される現代において、どんな形でどういった情報公開がなされるべきか?そもそも、この部分は必要なのか?といった意見はこれから出てくるでしょう。

しかし、法令遵守と社会貢献については、むしろ当たり前のこと過ぎていまさら…と思われるかもしれませんが、完全に法律を守っている人がどれだけいるでしょうか?

法令遵守については多少許容したとしても、社会貢献はほとんどの個人は行っていないと思います。たとえば、ボランティア活動。または、地域活動への積極的参加。そうしたことが必要とされているにもかかわらず、行動を起こさないのは、個人としての社会的責任を果たしていないことにもつながると思います。

世の中が乱れる原因には、こうした責任を放棄したからだと思います。

ただ、救いなのは企業がそうした活動を積極的に行い始めたということです。いい会社に所属している人であれば、自然とそうした発想や価値観は身に付くものですし、そうした価値観を持たなければ、今後いい会社に就職はできなくなってくるでしょう。

個人が、伴うべき社会的責任をどこで果たすかというのはそれぞれの自由だとは思いますが、少なくともそうした活動が行えるところにいたいものです。