情報の栄養価

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飽食の時代と呼ばれる昨今、肥満は以前より深刻さを増しているのは周知の事実です。
そうした背景もあり、健康食やダイエットについての情報は以前より重要視されるようになっています。

それと同じ状況が、情報の分野に置いてもおこっています。

それは、私を含め個人的に情報発信が容易になっている事に起因するのですが。

情報の取得が容易になった時代だからこそ、情報の質を重視すべきなのではないだろうかと感じます。

普段、私たちが触れる情報はとても多く存在し、多分一生かかっても処理しきれないでしょう。

活版印刷が生まれた時代から本という情報リソースは誰にでも容易に取得できるようになりました。また、それ以外のチラシやポスター、新聞や雑誌などの紙媒体は、より手軽に情報を得る手段としてもっと多くの人に利用されるようになっています。
そして、ラジオによってよりスピーディーに情報の伝達は可能となり、テレビに出現によって、その場の臨場感をより具体的に伝える事ができるようになったのです。 さらには、インターネットの出現で、それまでの情報量を遥かに超える情報の取得が可能になりました。
 2000年以降急速に拡大をし続けるインターネット上には、現在1億以上のサイトが存在していると言われています。多分、その数は10年後には10倍100年後には100倍になっているのではないでしょか。

そうした状況の中、私は、ある事に気がつきました。

自分にとって栄養価の高い情報とそうではない情報の2つがあることです。それは、時と場合によって異なりますが、必ず存在していて無意識のうちに取捨選択を行っているという事です。

1日24時間という制限された時間の中に置いて、膨大な情報を処理するには正直、時間が足りないような気もしますが、無意識のうちに自分の志向性や生活環境の中で、うまく情報を処理しているのです。

人間は唯一忘れる事ができる生き物だと言いますが、自分の志向性のあわないもの、仕事や普段の生活においてあまり必要としないものは情報を得たとしても忘れてしまい、自分にあった情報を得る事を可能にしています。

しかし、そうした過程を経る事で気づく事もあります。まさに、情報の栄養価というのはこの「気づき」だと言う事に気がついたのですが、様々な情報に触れる中で、自分に気づきをもたらしてくれるものは、質の高い情報なのではないでしょうか。

それは、一冊の本かもしれませんし、映画かもしれません。もしくは人から聞いた話という事も考えられますが、その情報を得る事によって、何か一つでも気づく事ができるのであれば、それはいずれ知恵として役に立ってきます。

今現段階で、どんな情報が自分にとって栄養価の高い情報なのかは定義できませんが、一つだけ言える事は、好き嫌いせずにいろんな情報を吸収する事が、より良い気づきを得られるということです。(これは私の経験論です)

体が健全である事は大変重要な事ですが、考え方や志向性が健全である事も、同じくらいに重要だと思います。

まずは、様々な情報を受けられる体制、言い換えるならば「素直」である事が何よりも大切なのかもしれません。