コウ告

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あえて、広告としなかったのには理由があります。

それは、これからご紹介する3冊について広めるという字を使っていないからです。

 

京都で行われた広告塾の内容を書籍にしたものですが、毎回業界をリードする人たちが、自分のこれまでの仕事をベースに広告について話を進めるというスタンスの本です。

口語体で書かれているので、大変読みやすく、あっという間に読んでしまいます。また、内容も大変興味深い内容ばかりで、それもあっという間に読んでしまう要素だと思います。

この3冊を読んで学んだことは、何のためにその仕事をしているのか?ということです。お金をもらうからクライアントの指示通りのものを作るということではありません。彼らは、そんな仕事は一切しません。

クライアントと一般消費者(エンドユーザー)との間のコミュニケーションを作るのが、彼らの仕事です。そして、それが最大の目的でもあります。

この本を読んでみて、「そりゃ、そうだよなぁ~。」と思いました。

マス=コミュニケーションと言われるゆえんでもあるわけです。

WEBにばかり集中してしまうと、どうしても技術や理論ばかりが先行してしまい、もっとも大切なことを忘れがちになってしまいます。

そもそも、モノが売れるとっかかりは、関係づくりからです。いきなり知らないモノを売る人や、買う人はいないでしょう。

知らない人と初めて会った時、あなたはどうしますか?

私は、挨拶をして、自己紹介をします。

これって、当たり前のことですよね。これがコミュニケーションの第一歩だとすれば、広告も同じだと思います。

新商品の場合は、まずは自己紹介をするわけです。

逆によく知られた商品やサービスの場合はどうでしょうか?

たとえば、よく知っている人と会うとき、どんな話をしますか?

私は、なるべくお互いにとって新しいと思われる話題について話をします。

よく知っているという仲だとしても、意外な一面やもっと相手のことを知り、自分のことを知ってもらうことによって、コミュニケーション度は高まります。

既存商品の場合も、こうした意外な一面や新しい角度などによってコミュニケーションをとることができるわけです。

業界をリードする人たちは、それを自分というフィルターにかけ表現していきます。たぶん、同じモノを素材として選んだとしてもそれぞれ表現されるものは違ってくるでしょう。

CMという制限の多い枠の中で最適な表現するというのは、まさに至難の業。

聖書には、初めに言葉があった。とあり、そこから1週間かけて神が世界を作り上げていくわけですが、コピーから作り始めてCMという形にする作業はまさに、それとおなじ作業工程を経ているようにも思いました。
(そんな仰々しい言い方をすると誤解を招きそうですが)

しかし、こうしたやり方は、制作上とても有効な手法だと感じました。言葉で説明できるものは、どんなに多くの人がかかわっていたとしても、方向性はずれませんし、イメージが伝わりやすいのです。

これは、企業理念などにも通じるのではないでしょうか?言葉で説明し、社員がその言葉を理解し、その会社を作っていく。完成のない制作物かもしれませんが、会社は作り続けることに意義があるのです。

話がずれてきましたが、広告においての目的は、あくまでもコミュニケーションをとることです。クライアントが、エンドユーザーとよりよいコミュニケーションをとるためにはどうすべきか?ということを常に考えていれば、それ自体が効果にもつながるのだということが、わかりました。