道が開けた

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デール・カーネギーの名著「道は開ける」のCDを聞きました。
内容は、原書で書いてあることと同じだと思います。

道が開けないのは、「悩んでいる」からというのが結論で、悩みに対する解決法や様々な人が様々な悩みを抱え、
どのように解決していったかという話が延々と続きます。

あれだけの量の他人の悩みを聞いていると、自分自身の悩みなど大したことがないような気持ちになることと、
深刻な悩みなどは一切ないということに気付かされます。

悩みの解消法でもっとも有効とされているのが、「祈り」だそうです。宗教的ではありますが、信仰心をもち、
神に祈りをささげる人は悩まないということでした。

確かに、それは一理あると思います。

その話から導き出されることとして、今の日本人の多くが、さまざまな悩みを抱えているのは、
宗教的な祈りがないからということもいえます。

聖書には、悩みに関する解決法が満載なのです。迷える子羊たちを導かれるのが、キリストなのですから。

イスラム教の戒律は厳しく、一日五回の礼拝は欠かせません。それもまた、神に祈りをささげる行為そのもので、
そんなに日に何度も礼拝していては悩む時間もないのです。

だからと言って、宗教を信じなさいとは言いません。今さら多くの日本人に信仰心を求めるつもりもありません。

私は、良く人から、「悩みとかなさそうだよね。」と言われますが、全くその通りだと思います。
深刻に悩んだことはこれまで1度か2度ほど。基本的には悩みません。悩んでいる時間がもったいないから、うまくいくことだけを考えます。

どうしてもうまくいくようなアイディアが浮かばない時は、やめます。。。すっかり忘れます。だって、
それにかかわっている時間がもったいないじゃないですか。

そんな話を書いていて思い出したのですが、「おがくずをひこうとするな」という一節がありました。おが屑は、
のこぎりで木を切る時に出る屑のことですが、木を切ったことがある人はたくさんいると思いますが、
おがくずをのこぎりで引こうとする人はいないでしょう。
だから、過ぎ去ったことに対していつまでも気に病んでいても仕方がないということを、この「おかくずをひこうとするな」
という言葉に集約しているのです。

過ぎ去ったことをいつまでも気に病んでいても、先には進めません。そして、それが悩みの原因でもあります。
だから、そんなことはすっかり忘れてしまって、新しいことに目を向けるべきだということなのです。

誰もがそうしたいと願うくせに、誰もそれを実践できていないから、不幸なのだと、語っています。

要するに、ポジティブに物事をとらえ、そして考えていけば何も問題も起こらないし、悩みだって抱えないのです。
そうした精神状態での生活は、まさに健康そのもの。
そして、それこそが幸せなのだと、デール・カーネギーはつづります。