会社は誰の為にあるのか?何のために仕事をするのか?

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だいぶ前にiTuneでダウンロードしたP.ドラッガーのオーディオブックを思い出しました。
会社はだれのために存在するのか?これが、21世紀を迎えた経営者に突きつけられた問題であると。

日本において、70年代の高度成長時代は、社員のためにあるものとして会社は位置づけられていました。そして、その時代は、
海外から日本型経営を学ぼうと多くの経営者や経営学者が来日していました。

ドラッガーもその一人です。その後、暗黒の10年といわれる時代を経て、日本は大きく変わったとドラッガーは言います。
アメリカでは会社は株主のためにあり、ドイツでは、社会のために会社が存在するといいます。日本では、
今でも会社は社員のためにあるといえるのでしょうか。ご存じのように暗黒の10年に人事制度は大きく変わりました。

アメリカ型の能力尊重主義を導入した企業も数多くあります。やればやった分だけの見返りが得られるというものです。一見すると、
年功序列型よりも公平な人事評価だと思いますが、それは、若いうちだけです。
その餌に群がってくるのは、たいてい血気盛んな若者ですが、経験不足という面から、
入社当初は生活する分だけの保証が得られないという側面も持っています。
それをばねにして伸びる人は、確かに年俸1000万円も夢ではないでしょうが、たいていは初めの段階でつぶれてしまいます。

企業にとってみれば、それでも売り上げが伸ばせるなら…と思っているかもしれませんが、実は、そこにも問題がありました。

というのも、会社にノウハウが蓄積されないのです。競争に敗れた人は会社を去っていくでしょうが、
競争に勝ち残ったひとも会社を去っていきます。

転職という文化が既に定着してしまっている現在、一生同じ会社で仕事をする人の割合は極端に少なくなってきました。
人事面においても、それを考慮して退職金の支払をせずに、その分を日々の給与に反映するという就業規則を定めているところまであります。

変化の激しい現代において、柔軟さこそが生き残る最良の手段とも言われています。しかし、会社はだれのためにあるのか?
というところの考え方は、アメリカと日本とでは大きく違っていました。アメリカでは、会社は出資している株主のためにあります。日本では、
そこで働く社員のために会社は存在しています。

株主のために存在するという経営方針は、ホリエモンという存在を産みました。株主に対しての経営を重点にすればするほど、
株価が決算書よりも大切になってしまうのです。
決算書が悪ければ、株価は下がるというのは当たり前ですが、株価に重点を置くことによって、
粉飾決算という手段に対しての認識が甘くなってしまうのです。

だって人間だもの。。。しかも、特に優秀な人は、自分の行動や判断には常に優先順位をつけています。優先順位さえ間違えなければ、
今でも優秀な経営者として君臨していたかも知れません。

仕事をする上で忘れてはならないことは、何のために仕事をしているのか?ということです。お金を稼ぐことは手段であって、
目的ではありません。目的はもっと別のところにあったはずなのに、いつの間にか、
お金を稼ぐことが目的となってしまっていることはありませんか?

会社はだれのためにあるのか?人は何のために仕事をするのか?私たちはその答えを知っています。