いまさらながら学校の勉強

昔、数学は苦手でしたが、暗記科目だけは得意でした。

暗記科目が得意な理由は、暗記方法にあったのかもしれません。

自分でも気が付いていなかったのですが、どうやら、物を覚えるのに書くことが一番覚えるようです。

英単語も10回書けば、たいてい頭に入っているようです。

いつもこの勉強方法で、暗記教科はたいてい90点以上取れていました。

高校入学時の全国模試で社会科だけは確か100位以内に入っていたような気がします。

でも、テストの平均値はあまりよくありません。

数学は、毎回赤点だったからです。頑張っても40点ぐらいしかとれませんでした。

この世から数学がなくなってしまえばいいのに…と何度思ったことか…。

平均的に悪いのなら、もともと出来が悪かったと、あきらめもつくのですが、中途半端に良かったりするので、自分でも、いいのか、
悪いのか?まったくわかりません。

仕事をし始めると、そんなことはほとんど関係なくなってしまいますが、実は社会人になってから数学をもう一度勉強していました。

できなかったことが悔しかったのではなくて、数学的発想は意外と便利だということに気がついたからです。

それまでは、数学の存在意義すら疑っていました。「なんで数学などというものがこの世に存在するのか?
社会に出てから誰がそんなものを使うのか?数学なんてものは、一握りの数学者が自己満足のためにやる学問じゃないのか?」

数学を全否定しても普通に生活はできるし、そんなものが必要なくても自分は生きていける!

何が、その考えを変えたのか?

それは、アルゴリズムとの出会いでした。自分にとって、
これほどまでに合理的に物事を発想できる概念はないと思えるぐらいの衝撃を今でも覚えています。

そう考えると、なぜ昔数学ができなかったのか?ということもわかりました。

どうやら、問題が理解できていなかったのです。

たとえば、

>

全体集合を自然数全体とするとき、B={x|x
11x+18>0} の補集合を求めなさい。

こんな問題があったとします。

>

ここで気になるのは、集合という意味です。
全体集合と補集合という言葉が出てきていますが、言葉の意味としての集合は一緒であるはずですから、
なぜいまさらそれを聞かれているのか?違いがあるとすれば、補集合と全体集合というもの。数式はそれを数学的に表現したものにすぎない。
しかし、補集合というものは一体何なのか?集合という言葉自体、
何か集まっている状態のことを指しているのに、あえて全体集合という意味は何なのか?
一般的に考えて、集合という言葉に「全体」をつけること自体おかしいことなのではないだろうか…?

などと、考え込んでしまうわけです。

もともと、
数学は哲学をわかりやすく扱うために生まれた学問とされていますが、数学の問題を哲学的発想に基づいて説こうとしても、
根本的なスタートに戻ってしまい、一生かかっても解けない状態に陥ります。

これを、パラドックスと言います。数学的には正しくても、
一般的な直観とは反していることです。数学の問題を見るたびに、常にそんな状態に陥ってしまうわけですから、
好きになるわけがなかったのです。

その点、暗記教科は楽でした。何も考えずに覚えるだけでいいのですから。

考えれば、考えるほど、どんどん深みに陥ってしまい、
答えの出ない状態になってしまう…。

そもそもの頭の使い方自体間違っていたのだと、
社会に出てから知りました。