国家の品格

最近、愛国主義的な本が売れていると聞きます。
その中でも、国家の品格は実際に読んでみました。内容的には、アメリカ的な文化よりも日本には古来よりもっと素晴らしい文化があったんだよ。武士道ってすばらしい!というようなものですが、いろいろと考えさせられた部分、懐かしく思った部分がありました。

ちょうど、大学生時代に「詭弁論考」というものをネットで公開していました。なんてことはない、ただの詭弁です。でも、それはわかっていても訴えたい何かがあったんだと思います。それをもっともらしく書こうと思ったのがきっかけでした。
若気の至りですね。。。

大学時代に友人がこんな事を言っていました。
「日本には本当の意味での知識人が少ないんだって。」
また、別の友達は、
「日本には本当の意味でのエリートはいない。」

国家の品格の中でも、そうしたことが書かれていましたが、感受性という点ではまだまだ日本の若者も捨てたものではないでしょ?と思いました。

もともと数学者である筆者は論理に関しては、やはり素晴らしいです。
論理は始まりがすべてと言っていましたが、まさにこの本にもそれがしっかりと内在しており、一貫した論理構成になっているため、読みやすいと感じた人も多いのではないでしょうか。また、あまりにも右寄りな内容であるため、作者自身が多少変わっている人というイメージを随所に垣間見せていました。

最近、稀に見る秀逸な本です。

この本を読んで、思い出したことは、昔自分も似たような事を考えていたなぁということです。アメリカにしてやられた!という気持ちは、英文学や米英の文化を学ぶようになってからでした。英語はアルファベットで構成される言葉ですが、日本語は、漢字、カタカナ、ひらがなで構成される言葉です。ただ、英語の母音は日本語のそれとは明らかにその数が違います。日本語と韓国語だけは、母音は5音と決まっていますが、他の言葉は平均10ぐらい母音を持っています。
実は、このことは歌などに非常に差が出るのです。やはり母音が多いほうが聞いているほうとしてはよく聞こえるものです。ドミソシドという5音しか使えない曲と、ドレミファソラシドが使える曲とではその表現力に絶対的な差が生まれてきます。
同じ論理でいうと、日本語のそれは書き言葉に美しさを感じるのだと思います。

書道はありますが、話道や歌道などは聞いたことがありません。

ちなみに、「●●道」と言うように「道」がつくものはすべて形式化されたものです。形の文化ともいわれるほど、日本の文化は「形」から入ることが多いわけですが、共通の形として体系化されたものが「道」を冠することができるのです。
そもそも、「●●道」のミチとは、中国のタオから来ていると言われ、真理に近づくための一つとされています。日本では、「心」(情緒)を養うために使われます。

柔道、剣道、華道、茶道、弓道などなど、道がつくものに共通していることは、そこに心(情緒)があるかどうかなのです。
小学生の頃、柔道と書道をやっていた経験からいっても、一時期、茶道を嗜んでいたことからもやっていることは違えども、同じ所を目指しているのだと思いました。
特に武術系は、「心身ともに鍛えることを目的とする」ことが第一命題になるわけですが、体だけや、技だけであれば、柔術や剣術というものだけで十分なのです。それに心が備わるので、道が開けてくるわけです。
そんな意味では、アントニオ猪木の有名な「道」という言葉にもプロレスというものを通して道を見せているわけですから、すでに「プロレス道」ともいうべきものなのかもしれません。

そのほかにも、国家の品格のなかで「ダメなものはダメ。理屈じゃない!」ということが書かれてありましたが、「無理が通れば道理が引っ込む」という諺があったりもします。道筋を立てて論理的にいくら話しても、「絶対ダメ!」と無理に通してしまえば、その道理は意味を成さないわけです。この諺が示すところは、そうしたことが日本では当たり前だったということです。

以前の仕事では、都内の大学生とよく話す機会がありましたが、教養学部という一見何にもなりそうにもない学部の学生は、とても優秀でした。これが、エリートなのかと思いました。
特にICU(国際基督教大学)の生徒は、一番優秀だったのではないかと思います。
教育については、昨今さまざまな議論が交わされる部分でもありますが、確かな教育を行っている学校もあまり知られていないだけで、結構あります。
また、教育にはやはり親の影響が大きく左右してくるものだと、思いますし筆者も父親の教えについて書いていました。
私自身も、父親には「ダメなものはダメ!」ということをはっきりと言われて育ってきたので、論理ではどうにもならなかったり、理不尽なことのように思えることも多々ありました。(子供の論理などエラーの多いプログラムそのもですが)

本の前半は、論理の話でしたが、論理はプログラムそのものだと感じました。というより、プログラムが論理そのものなのです。ベテランのプログラマーに言わせると、良いプログラムとは、短いプログラムのことだと言います。「短いプログラムは無条件で正しい。なぜなら、短いプログラムは短いというだけで実行速度も速く、理解も容易であるからだ」そうです。もともと、プログラムを書くことが多かったこともあって、すぐに論理の話とまったく酷似していることに気がつきました。
私は、有名な数学者ではありませんし、海外で教鞭をとった経験もありません。
でも、国を愛する気持ちや論理性という部分にかなり共感されました。