処方箋

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「何で生きているのだろう?」
そんなとりとめもないことを考えていた時期がありました。
もしかすると、そんなことを考えている人は世の中結構多いのではないか?
と最近思いました。

日本映画や文学小説などでも若者の苦悩について描かれているものは意外と多いです。それに共感する人もまた然り。

自分自身を振り返ってみると、中学3年ごろからそんなことを考えていたような気がします。発端は、「何で受験なんてあるんだよ?」
というところだったと思います。(もともとそんなに勉強は好きではなかったので・・・)そこから、人生って何?というような疑問や、
何で生きているんだろう?、この先どうなるんだろう?という不安で苦しんでいきました。

高校に入ると、倫理という授業があり、そこでいろいろな哲学者の話が出てきました。今でも記憶に残っている言葉は、ソクラテスの
「よく生きる」という言葉です。よく生きるというのはシンプルな言葉だけに、人によって捉え方はそれぞれだと思いますが、
誰かの解釈ではなく、自分自身の解釈が必要な言葉でもあると思います。

今でもこうした哲学や、人の考え方を知ることは楽しいですし、好きですが、以前ほどそれに没頭することはなくなりました。
いろいろと病んでいたのかもしれません。

たまに、こうした話をすると自分もそういう時期があったという人が周りにはいました。ただ、時間がたつにつれ年齢を重ねるにつれ、
こうした悩みもなくなっていくのも確かです。
遅いか早いかは、人それぞれだとは思いますが、僕の場合、中3から大学卒業までそんなことばかり考えていました。
ただ、仕事をし始めてからはそうしたことを考える時間がなくなり、次第に考え方も変わって、こうしたことでは悩まなくなりました。
そうした疑問を考えられるのは無駄に時間があったからなのだと、今は思います。もともと、学校(School)
はギリシャ語のスコラーから始まったといわれますが、その意味は暇な人です。学問は暇な人が行うのです。
今でもそれはあまり変わらないかもしれません。
昔も今も、暇な人が集まってとりとめもない話をしているわけです。

最近はニートという言葉が流行り始めましたが、その考え方の根本には、こうした悩みがあるのではないかと思います。ちょっと前は、
自分探しと称して突然どっかへいってしまう人もいましたが、自分自身は常にそこにいるので、わざわざ探しに行く必要はありません。と、
思うのはそうしたことで悩まない人です。

ただ、悩んでいる人にとってはそれは大問題なのです。人間は、自分の考えを言葉にし、それを行動に移すことで生きています。
いわゆる成功哲学と呼ばれる本には、成功した自分をイメージしそれを紙に書いて言葉にすることが必要だとあります。
逆に言えば、考えがまとまっていないうちは言葉にもできず、行動にも移せないということでもあります。
自分が何を目指しているのか?何をやりたいのか?それがわからないうちは思い悩むわけです。そして行動に移せない。まるで、
初恋で悩んでいる少女のように。ただ、その少女はこのままではいけないと気がつくのです。
そして思いを告げる。
大抵はじめてはうまくいきません。
僕の母親は、「初恋は実らない」と断言していました。
(何か昔あったのでしょうか?それ以上は聞けませんでしたが)

ただ、そうして傷つきながら少しずつ学んでいくのだと思います。成長するには痛みが伴うものです。
身長が急激に伸びる成長期などは関節痛で夜も眠れない人もいたりします。体の成長でも痛みが伴うのですから、
心の成長にももちろん痛みは伴います。ただ、その痛みを我慢して耐えることができるかどうかが肝心なのだ思います。
成長するには耐えるしかないですが。

本当の自分と向き合うには、こうしたことから逃げてはいけないと思います。つらいこと、
しんどいことから目をそむけるといつまでたっても成長はできません。同じ輪の中で回っているハムスターと一緒です。先に進もうと思ったら、
その輪から出なければ先には進めないのです。

環境を変えることもひとつの手段だとは思いますが、自分自身が変わらなければ、
いくら環境が変わったところでまた同じことが繰り返されるだけです。逆に、自分自身が変われば、おのずと環境は変わっていきます。
自分自身が変わるということは、「自分の考え方を変える」ということです。先にも述べましたが、考え方が変われば、言動が変わり、
行動が変わります。行動が変われば、おのずと環境は変わっていくのです。

ただし、いくら考えても答えの出ない問題もあります。
こうした問題は、時間が解決してくれるか、もしくは別の解決手段をとらなければなりません。
別の手段とは、考え方を変えるために行動するのです。
とりあえず、やってみる。
やっているうちに答えが見えてくる場合も多いです。

これまで、何人もインターン生を紹介してきましたが、はじめは考えがまとまらない人だったとしても、
やっているうちに自分自身の考えがまとまり、自分のやりたいことが明確になったという人がたくさんいました。そして、
生き生きして輝いている人になっていくのを傍らで見ていました。

ただ、何か始めるということは非常にパワーを使いますし、簡単なことではありません。中には一人で始める人もいますが、
そういう人は会社を作ります。そうしたバイタリティがすべての人に備わっていればよいのですが、現実はそうではないのです。
進もうと思っているが、一歩が踏み出せないでいる人。
進もうと思い始めた人。
思い悩んでいる人。
こういった人のほうが多いと思います。

よく学者は外来語を使いたがります。
「フリーター」、「ニート」、「リストラ」、「モラトリアム」など。
大学という概念は外から入ってきたものなので仕方がないのかもしれませんが、それでは問題を直視できていないようにも思えるのです。

日本人は日本語のほうが理解しやすいのは明白です。
わざわざ外来語を使う必要はありません。そんなかっこいいものではないのですから。

近年、どんどん自分自身の選択肢が増える一方でますます混乱に向かっているのも事実です。ただ、
そのまま何もせずに見ているだけではそこから抜け出せません。そこから抜け出したいと本当に思うのなら一歩を踏み出す勇気さえもてれば、
すべてがよい方向に向かっていくはずです。