反省と改善

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ジョイブに入って早3年になりますが、自分自身まだまだだと昨年のことを反省しつつ、想っています。

1年目、2年目は仕事はそつなくこなしていたと勝手に思い込んでいました。人数も少なく、
自分の枠内だけで仕事をしていたのだと思います。しかし、昨年は人数も増え仕事の量もかなり増えました。
実際、自分ひとりでは回しきれないほどの仕事をしていました。

それは自分の仕事力のなさがはっきりと露呈した瞬間でもあったと思います。それまで、自分は出来ると思い込んでいましたが、
ある一定の容量を超えると仕事が出来ない自分に気が付きました。
ミスは多く、周りの人にも迷惑をかけ、それで落ち込んでその様を見てまた周りの人が気を使い。。。
そんなマイナスな状況ではっきりと分かったことは、出来ないことをやろうとすると、いろんな人に迷惑をかけるということです。
それは、自分の力量のなさなのかもしれません。または、時間的余裕の無さなのかもしれません。
自分の力量のなさであれば、一層努力し仕事力を上げれば事足りると思いますが、時間的余裕の無さはどうすることも出来ませんでした。

能力は努力した分だけ公平に与えられますが、時間だけはどんな人にも平等に与えられた唯一のものだと思います。

能力差があるのは、先天的な理由もあるとは思いますが、努力しなければそこから伸びません。だから、
努力した分だけ公平に与えられるものだと思います。
一方で時間はどんな人に対しても地球上にいる全ての人に対して平等です。1日24時間は誰もが同じだけ持っています。
時間を縮めることも伸ばすことも出来ません。

そう思っていました。。。

ただし、時間の使い方は人によってまちまちです。
上手に時間を使う人、無駄な時間を過ごすことが多い人。

時間的余裕のなさは、時間が足りないのではなく自分の時間の使い方が甘いから足りなくなるのだと思うようになりました。
時間がないというのは、その人の言い訳でしかなく他の人にとっては関係の無いことです。
例えば、学校であれば先生にとって生徒は大勢の中の1人なのかもしれませんが、生徒にとっては、先生は1人なのです。
学校の先生は、生徒の為に夜遅くまで仕事をしていたり、休日返上で部活の顧問をしていたりと非常に忙しくしていますが、
そんな状況でも学生に対して忙しいからという言い訳はしませんでした。
少なくとも僕が尊敬する先生はそういう人でした。

自分を正当化することを覚えてしまってからは、何かに理由をつけて、逃げみちをうまく作っていたのだと思います。

僕は弱い人間です。
弱い人間だからこそ、傷つきたくないから自己正当化をすることで、自分を守っているのです。
ただ、このことはなかなか1人では気付きませんでした。
いつの間にか、そういうことを覚えてやっていたのだと思います。
今思い返すと、「丸子さんは最近怒られないでしょう」といわれた言葉の裏にはこうしたことが含まれていたのかもしれません。
その時は、「確かに怒られませんね。」と返して心の中では、「今更怒られることもないだろう」と思っていました。
でも実は、そういうことを言っていたのではなく、自己正当化し、自分自身を守ることを知ってしまっているので、
何を言っても無駄だと思われていたのかもしれません。だから、怒られることも怒ってくれる人もいないでしょう。
という意味だったのだと思います。

自分のコップには既に水が一杯に入っています。
昨年は、その水を無くさなければならないことに気が付きました。
今年はコップを空っぽにして、新しい水を入れなおさなければならなりません。コップに水はそのまま貯めておくと濁るように、
人の心も同じだと思います。濁った水を捨てなければ、新しい水は入れることが出来ません。
そして、新しい水を入れることが成長なのだと思います。