仕事・・・自己成長の場として・・・
- 2004.12.24
- 考察
自己成長の場として捉えた場合の「仕事」について自分自身を振り返り整理してみました。
- 人として成長すること
人の成長は、いかに多くの人と接するかで変わってくると言います。自分ひとりでは学校の勉強は出来ても、社会の勉強は出来ません。
社会は人と人との関わり合いの中で諸活動を行なう場である以上、社会勉強、社会経験を積むには人と出会うことが必要なのです。特に、販売は不特定多数のお客様と接するまたとない機会です。
年齢、性別、国籍、肌の色など様々ですが、どんな格好であれ男であれ、女であれ、子供でも、大人でもみんな同じ人間なのです。
人の出会いは全てが縁です。その人と出会うことは、限りなく「偶然に等しい確率」なのです。その出会いは、一回きりかも知れませんし、
その後も続くものかもしれません。
どうなるにせよ、「偶然に等しい確率」はどんなに性能の良いコンピュータでも計算は出来ませんし、
あまり意識したことが無いとは思いますが、実は人知を超えているのです。
そう考えると、一つ一つのご縁は何より大切にしたいと思います。より多くのお客様と出会い、商品説明以外でも色々と話してみてください。
いろんな人と出会い、いろんな話をして自分の人間性を高めていってください。 - 仕事に対して成長すること
一人で出来る仕事は限界がありますし、自分の器を越えることは簡単にできません。自分の器以上の成果を上げるためには、
他の人と一緒に仕事をしなくてはなりません。
人と一緒に仕事をするということは、楽しいこともありますし、面白くないこともあります。ただ、
そうした苦楽をともに出来る人たちこそ仲間なのだと思います。楽しい事ばかりが仕事では無いですが、
それでもその仲間とだったら一緒に乗り越えられると楽観的に考えられるような環境と人たちと仕事が出来れば最高です。
そうした環境や人たちと一緒に仕事がしたいと思ったら、まずは自分が変わらなければなりません。
なぜなら、「類は友を呼ぶ」からです。自分が変われば必然的に周りも人たちも変わってきます。それは、転職という形かもしれませんし、
独立という形かもしれませんが、通常出世という形に落ち着くのでは無いでしょうか。 - 社会人として成長する
仕事ばかりが人生ではないように、自分自身の周りには仕事以外でも多くの人たちが関わっています。身近なところでは自分の親、兄弟です。
「親しき仲にも礼儀あり」という言葉があるように、自分の親でも兄弟でも「礼」は尽くしたに越したことはありません。
自分の親にも礼が尽くせない人間が、他の人に礼を尽くせるかというと、そうではないと思います。
身近な人から、練習もかねてやっておくと、他の人たちとも同じように接することが出来るはずです。
親は、無礼だからといって縁を切られることは殆ど無いと思いますが、他人であれば、無礼だからといって縁を切られる場合はあります。
まずは、身近なところから練習もかねて。
ちなみに今年初めて実家と母親の実家にお歳暮を出しました。
成長には痛みを伴います。
(改革にも痛みを伴うといった人がいましたが)
成長痛というものです。
小学校のころ、いきなり身長が伸びるものだから、手足が非常に痛い思いをした記憶があります。
ただ、その痛さから逃げるとまた同じところを行ったり来たりして延々と同じところで繰り返してしまうのです。
全ては受け入れられなくても、少しずつ受け入れていけば、ループではなく、螺旋になりちょっとずつでも上昇すると思います。
そうした、日々の繰り返しが確実に力になっていくのだと僕は信じています。
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