ウサギと亀の話

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誰しもが、小さいころにウサギと亀の競争の話を聞いたことがあると思います。

ウサギは亀に「お前には負ける気がしない」と豪語しました。

しかし実際はウサギは負けてしまったわけですが、その理由はウサギが怠けて寝てしまったから、
歩みが遅い亀でも勝つことができたのです。

ただ、この考え方は昔の社会制度にあった考え方で、こつこつ地道にやっていれば、いずれはその歩みは報われるという話です。

僕は、今までの浅い人生の中で何人かウサギと同じことを言って負けた人を見てきました。
「お前には負ける気がしない」

この言葉自体に既に油断が生まれているのを知らなかったのです。
「窮鼠猫を噛む」という諺がありますが、これも立場的には弱いネズミですら追い詰められれば猫を噛むのです。
人も同じで、追い詰められた人ほど強い人は居ません。

特にそういう人は何をするかわからないので、危険でもあるのです。

一般的には亀が勝ったというお話に見えますが、なぜウサギが負けたのかと言うことを教える話でもあるのです。

普通に考えれば、まずウサギが負けることは無いのです。
負けた理由は油断して寝てしまったことにあるのですが、勝負に負けたことに変わりはありません。

「反省すべきは反省しですね・・・」と国会答弁で述べた代議士ではありませんが、ウサギにもその点を反省してもらいたいです。

同じ競争をもう一度やれば、負けることは無いと思いますが、お話の中でもそれは行なわれてはいないのです。
現実社会で「もし」「…だったら」といったことは存在しないという事も暗に伝えているのかもしれません。

誰もがこういった油断を常に抱いている事はあると思います。

僕だって、油断しているときはあります。
油断大敵という諺もありますが、ウサギは勝負には油断に負けて試合には亀に負けたのでしょう。

油断をしているなぁと感じたとき、「己に勝てば百戦百勝」という言葉
を思い起こします。

己(自分)には常に油断という敵が存在し、まずその強敵から倒さなければ、相手に勝つことはできないという考え方です。
一種の戒めでもありますが・・・・。

言葉を知ると言うことは、ある意味考え方を知ることなのです。
(どっかで同じ事を言っていた人が居たような…)
特に日本語は2千年以上の歴史があり、その時代時代で言葉が違うのです。
それは、常に日本人の考え方が変化してきたことを表しているのでは無いでしょうか。

これからも日本語は常に変化していくでしょう。
100年後、今使用している言葉が通用しなくなる可能性は大いにあるのです。

既に外来語として外から入ってきた言葉によって会話の内容を理解できないところまで来ています。
(だから、『これだけは知っておきたい日本語』と言う本が馬鹿売れするのです)

 

今回の要点は、ウサギと亀の話でなぜウサギが勝てなかったのかということだったのですが、
色々と諺を出しているうちに言葉の話になってしまいました。

無理やりまとめると、より多くの言葉を知り考え方を広げ決して「勝てないウサギにはならないこと」とでもしておきましょうか。