新・日本型経営システム

新・日本型経営システム

第一章 はじめに

このレポートを執筆するにあたり、数多くの参考資料に目を通し考察を深めるほどに、自分も経営が出来るのではないかと、錯覚してしまうことが度々あった。
また、ここ10年にわたり数字の上では日本経済が低迷しているにもかかわらず、それほど一人一人が不安がっているようには思えない。一番不安がっているのは、経営者である。大手企業が倒産していくにつれ、明日は我が身と考えている経営者は少なくないだろう。

日本のこの10年は、大きな転換期であったように思われる。高速な成長を遂げてきた経済が、ついには減退していく。この過程は、生物の成長とよく似ている。成長が早ければそれだけ死が早まるのだ。多分、成長のピークはバブル経済までで、その後はすでに減退の域に達していたのではないだろうか。それに加え、中国の経済成長には目を見張るものがある。先日、WTOに加盟したことにより、それまでの閉鎖的だった経済が大きく変容した。(それ以前から、外国資本が中国に流れ出していたのだが)このことにより、日本の経済大国世界第二位の地位が危ぶまれ始めている。

私が思うに日本経済は、第1、2次ベビーブーマーが作り支えてきたものだと考える。人口比率の推移を見れば、私が言わんとしている事はおわかり頂けるだろう。社会は人を作るというが、社会もまた人から作られることを忘れてはならない。そして、国が経済を動かすのではなく、経済が国を動かさなくてはならない。要するに、今までの日本型経営では行く末が見えないということなのだ。
そこで、日本型経営システムの形成と内容をからそれまでのメリットとデメリットを考え、欧米の経営理念とは一体何か、今日本にかけているものは何かということを踏まえた上で、これからの日本型経営システムを考えていきたい。

新しい日本経済を作り支えていくのは、我々の父や母ではなく、自分自身だということをここで宣言したい。

第一章 日本型経営システムの形成と内容

日本型経営システムの形成

それでは、始めに日本型経営システムとは何かという問題をまず論じていきたい。
「日本型経営システムは、終身雇用、年功序列、企業内組合のいわゆる日本的経営<三種の神器>と呼ばれるとくしを持ち、労働力には不動性を重視していた。」【本論111】この3つの特徴は、新卒者を一括採用し特別な事情が無い限り定年まで、雇用契約を持続させる終身雇用。その終身雇用と表裏一体となっている、勤続年数と供に賃金が上昇する年功序列。そして、同一企業内での労働組合の編成である。
「日本型」と呼ばれるところは、これらの体制が基本となる。では、いつ頃この「日本型」経営が定着したのだろうか。始まりとしては、世界恐慌が起こった1920年代後半から、1930年初頭に掛けてであり、この時期は日本でももちろん不景気である。

~引用文1~
〔当時大部分を占めていた非財閥系企業では約半数の労働者が調整されている。つまり、この頃は未だ現在で言う「日本型」は定着していなかったと言える。しかし一方で財閥系企業のほうを見てみると、ほとんどの労働者が調整を受けていない。〕

【緒方ゼミナール:日本市場システムの展望】

このことから、第二次世界大戦前までには「日本型経営」と言われるものは、まだ多数派(非財閥系企業)ではないにしろ、少数派(財閥系企業)には「終身雇用」的なシステムが確立され始めていた。

なぜ、財閥系企業で労働調整を受けていないのかと言うと、第一に財閥という組織が世界恐慌に対して、ある程度抵抗力があったと考えられる。第二に、

~引用文2~
〔第一次世界大戦に多発した労働争議に対し、財閥系企業では「工場委員会」という組織が作られ、労働者の地位が向上し、雇用の長期化が進んだためである。〕

【緒方ゼミナール:日本市場システムの展望】

という理由がある。また、ここで企業内組織の先駆けが生まれたわけである。労働組合とは、<賃金や労働条件の改善をめざして結成された労働者の団体>【丸山 1996:337】である。
ということは、「企業内組合」が組織され雇用者と被雇用者の闘争の結果、「年功序列」と「終身雇用」を労働者が勝ち得たものであると言える。

しかし、この頃は未だに少数の財閥系の企業内でだけでの話であり、多数派である非財閥系の企業すなわち中小企業では一般的ではなかった。ではいつ頃から一般的なものとして、多くの企業に波及したのだろうか。

~引用文3~
〔それは、日本が戦時統制経済下に入った時と思われる。アメリカとの戦争を考えるにあたって、日本経済は軍拡を生産力増大という二つの目標を実現しなければならなかったが、そこでそれまでの日本の企業システムとの間で摩擦が生じた。それは活発な労働争議と、株価の配当にしか関心のない株主の問題であった。
そこで当時「革新官僚」と呼ばれた人たちは、軍需産業・基礎資材産業の急速な拡大という日本が抱えていた課題を達成しつつあったソ連の計画経済に習い、日本経済を統制経済下におき、株主の発言力を弱める一方で労働者の地位を向上させ労働意欲を高めるという方向に企業を変えていったのである。〕

【緒方ゼミナール:日本市場システムの展望】

日本では、第二次世界大戦中に経済が国によって統制されたという歴史がある。そこで、社会主義の計画経済を取り入れ、それを解消しようとした。計画経済とは、「国家が一定の目的をもって全体としての経済活動を意図的に制御しようとする試みであって、社会主義においては経済計画が不可欠である。」【ロシア経済研究室:計画経済】要するに、市場における生産・消費を国家が管理しようとするものであり、多くの資本主義国でも全体的にではないにしろ、ある程度の部分取り入れられている手法である。

そして、ここで注目すべき点として、「株主の発言力を弱める」ことがあげられている。日本の企業体において、アメリカや他の西欧諸国の外資系企業と決定的に違うのは、この点ではないだろうか。外資系の企業体では、株主あっての株式会社という認識が強く、株主の意見が会社運営にあたってかなりの部分尊重される。そして、株価の配当も最低5%はある。

だが、日本において株式会社は株主のものではなく、株の配当も大手企業で最高5%程度であり、社長または会長の私的財としての認識が強い。日本の多くは中小企業だが、その中では特にこのワンマン社長的意識が強く感じとれる。理由の一つとして考えられるのは、会社の株の多くを社長やまたはその親族が所有しているケースである。やはり持ち株の量で株主総会での発言力に多少影響がでるのは、想像するのに難くない。

以上のことが、日本型経営システムの特徴として考えられるわけだが、実は、「1977年に経済協力開発機構(OECD)から日本の経営システムの報告がなされ、終身雇用制度、年功序列制度、企業内組織を特徴とする日本型経営システムは世界から注目をあびることになった。」【本論111】と、される。そのことから、日本型経営システムが1970年代から優れたシステムであると大抵国内から指摘されていたものが、国際的に評価を受けたことになる。

日本型経営システムとは

~引用文4~
〔報告内容では、三種の神器に加え、四つの柱からの日本の労使関係は成り立っていると述べられている。終身雇用については、「企業は生産活動の拡大や縮小に対処する為の雇用調整手段をもっているとして、企業間の相互移動が行われないことから企業がこうむる不利は、終身雇用と企業内訓練から得られる利点より、十分相殺され得る」として、終身雇用は日本の戦後の経済成長に寄与した評価されている。年功序列制度に関しては、「労働者にとっては、賃金が自動的に上昇していくため、一定の保証と将来の見通しが得られるし、家族維持に必要な収入水準の変化にもある程度対応しているといえる。また、年齢と勤続という客観的な要素を賃金決定の基準としているため、賃金をできるだけ固定化したいという経営者の意図に制限を加えることにもなる。しかし、定年まで勤めず企業をやめることは労働者にとって既得権を放棄することになり、企業を離れることが困難になるという不利益もある。」と、労働者には安定的な雇用は保証されているものの、何らかの理由で企業を辞めてしまうと再雇用には多大な労力を消費することになるだろうとしている。一方経営者側には「労働力の安定と若年労働者への教育訓練投資を長期的にわたって回収することを保証する」し、「しばしば柔軟性を阻害する『職務別賃金』の適用から派生する諸々の対立を、この制度は回避でできる」が、他方、労働構成の高まりが企業にとってコスト増をもたらし、不況期には耐えがたいものになる可能性があるのだが、報告の最後には「日本の年功賃金制度は、その結果において、一見して見えるほどには、他の国々の賃金制度とそれほど大きく隔たってはいない。それは決して硬直的ではなく、労働市場の変化にも適応し得ている。また、全体の能率を損なっているようにも思われない。それは、社会的経済的に見て利点と欠点を合わせ持ち、ある程度それらが相互に打ち消しあっている」と結論している。企業別組合は、企業中心主義の傾向を持ちやすい。とはいえ、「組合員も使用者もこの形態に満足しており、日本の組合員労働者が、別の異なった制度の下にある労働者よりも、物的条件に関して状況が悪化しているとか、十分保護されていないということを示す事実は存在しない。」この点も多少の評価はしているとみられる。報告に出てくるもう一つの柱、企業内社会規範は、企業をもっとも主要なひとつの社会単位としてみている、共同体としての企業意識と、日本人の持つ強い集団意識から出てくる、「ヨコ」のつながりよりも、「タテ」の(年長者と若年者という序列の)方が主要な役割を果たす、相互義務と、ある責任者一人が、限定された債務を遂行するのではなく、活動全体への刺激づけを行うことを期待される、よって経営に携わるものは社内を統括し、すべての合意による意思決定が、日本的な評価・判断・行為などの拠るべき基準である為このような独特な労使関係の性質が成立していったと報告では述べている。〕

【本論111】

ここで注目すべきは、日本型経営システムの不利益の点である。労働構成の高まりが企業にとってコスト増大につながり、不景気には耐えがたいものとなることをこの時点ですでに予測していたことである。そして、実際にこうした問題が日本企業に現れていることは否定できないだろう。

日本型経営のメリットとデメリット

日本型経営システムは、好景気時には雇用の確保にもつながり、長期的視野での生産性の拡大も期待できるというメリットがあるが、その一方で、不景気時に
は雇用調整がままならず生産性は著しく低下してしまう、というデメリットが生じるといえる。図表1には、日本型経営システムの順機能と逆機能とがある。

図表1

項 目順 機 能逆 機 能
【 企業文化 】
横並び意識日本経済全体のレベルアップ
ベンチマーキング
リスク回避行動思考の停止
主体性の欠如競争原理の不足
増分主義着実的な成果現実直視戦略性の欠如
現状安住イノベーションの遅延
*家族主義目標整合性強い結束力馴れ合い
セクト主義世代間の違和感
*使命感士気の維持成功体験仕事第一主義の弊害
失敗時の自己嫌悪
社会的倫理との乖離
集団主義和の重視パワーの結集均質性没個性化方向転換の遅延
不明確な責任所在
三現主義早い現実的対応
絶え間無い改善の蓄積
従業員の能力アップ
現状への固執
目先の改善少ないイノベーション
*以心伝心暗黙知の共有
低いコミュニケーションコスト
多様な解釈
不明確な責任所在
プロセス無視
【 雇 用 】
企業内組合経営の安定
労使協調
情報の共有
内部牽制力の低下
馴れ合い主義
長期雇用慣行従業員の心理的安定感
ロイヤリティーの向上
人材の育成
自己成長誘因の低下
過度の人的関係重視
人材流動性の欠如
年功序列賃金社会的秩序
将来への不安の払拭
ライフサイクルとの合致
実力者の不満
モラールの低下
悪平等
企業内教育実践的知識体系の構築
知識・技能の円滑な移転
実利的人材育成
汎用性の不足
高コスト教育
内容の偏り
【株主・ボード 】
社内昇進役員豊富な経験と実務への精通
中間管理者のモチベーション向上
事なかれ主義
執行役員化
メインバンク制度社外からの牽制
経営の安定
自律性の喪失
競争原理の不足
株式の持ち合いリスク回避
安定した配当収入
経営の安定
利益平準化行動の助長
チェック機能不全
【 企業戦略 】
*長期的視野大局観
柔軟な事業戦略
楽観的シナリオ
短期的目標との非整合性
先行投資先行者利益不明確な責任所在
収益性の軽視
総花的な分散投資
量的拡大規模の経済
市場占有率の向上
明確な目標
日本企業脅威論
低収益率
資源の浪費
品質重視競争優位
顧客満足
市場での高い評価
過剰品質による高コスト
専門家集団の形成
製品開発マネジメント開発期間の短縮
情報の共有
イノベーションの遅延
不明確な責任所在
【 取 引 先 】
系列取引信頼に基づく安心感
共存共栄体制の維持
グループの技術の向上・蓄積
取引先への強制力の行使
取引ルールが不明確
競争原理の不足
業界団体秩序ある競争
協調による競争力の維持
非関税障壁
横並び意識や序列関係の形成
産官共同国家プロジェクトの推進
国益と民益の共存
癒着体質
排他性
【 組 織 】  
稟議制度合意形成
チェック機能
意思決定の遅延
不明確な責任所在
ボトムアップ参加型経営
従業員への動機付
スピードの欠如
過大な事務量
官僚制合理的な管理
属人性の排除
専門性の発揮
規則や手続きの優先
変化への低い適応力
目的意識の欠如
【企業改革委員会:1998】

第一章のまとめ

年功序列賃金制に関していえば日本の文化特性としての、儒教的価値基準が強く影響していることは明らかである。「ヨコ」のつながりよりも、「タテ」のつながりを重視することからは、被雇用者は会社のために「忠義」を尽くし、雇用者は社員のために「恩」を与えるといったような封建的企業像が浮かび上がる。

鎌倉時代より続く武士による封建的社会構造は、日本型経営システムの中にもみられる。文化的な視点から見れば、この経営システム自体、実に日本的であり日本文化の土壌の上でしか作りえなかったものということができる。

1970年代頃、各国から「日本人は働きすぎ」「まさに侍だ」といった指摘を受けていたが、日本型経営システムにみられるような企業と労働者の密接な関係が無ければ、第二次世界大戦からの復興や、高度経済成長もバブル経済も、2度にわたるオイルショックからの立ち直りも無かっただろう。そういった意味では、日本型経営システムはこれまでの日本経済を支えてきた重要な経営システムとして捉えることが出来る。

第二章 欧米と日本

ナポレオン・ヒルとプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

我々日本人は、無宗教とよく言われるが、それを裏付ける先日面白い話を聞いた。「臨死体験者は世界で2000万人いるといわれるが、その誰もが同じような体験をしている。はじめに眩いばかりの光が現れて、そのあと神さまの中に吸い込まれていく。気が付くと、そこは綺麗な花々が咲き乱れこの世のものとは思えない美しいところに、立っているのだ。足元を見ると、小川が流れておりその小川の対岸には、とても懐かしい人たちが立っているのだ。しかも、その人たちはみな死んだ人ばかりで、口々にこっちにくるのはまだ早いと言っていた。そこで、戻ろうとした瞬間意識がはっきりして気が付くのだ。」【TBS 創立50周年特別番組 生命38億年スペシャル”人間とは何だ!?Ⅲ”2001.11.7土曜日9:00~】ここでは、臨死体験とは脳が見せる記憶の一部だということをいっていたが、それはどうでもいい。この体験は日本人も同じ内容なのだが、一箇所だけ違うことが多いという。それは、神が現れないのだ。大体において日本人の臨死体験の内容には神は出てこないのだという。このことは、宗教観が違うという一つの結果が生み出したものなのだろう。

しかし、文化的に観ればちょっとした違いかもしれないが、実はそれは経営にとっては大きな違いになってくると私は考える。それは、マックス・ウェーバーの著書『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(以後プロ倫)の中から読み取れることであるというのは、周知の事実であるし、今でも多くの経営者が読むとされるナポレオン・ヒルの著書『The13 Steps To Riches』の中にも、同じようなことがかかれていた。ウェーバーのほうは、プロテスタントの禁欲と資本主義の精神が繋がっているといったが、ヒルも、プログラムの中で自己訓練という言葉を用いて感情と理性のバランスをとることで、禁欲を実現できるといっている。ヒルのプロブラムは、自己啓発的な側面が強いが概念それ自体はプロテスタンティズムの倫理の類似していると思われる。この2人の違いは、ウェーバーの方がより観念的であり立証しただけで終わっているが、ヒルはより具体的に資本主義で成功するための方法を教えている。

この2人を結び付けて考えるのは、世界でも私一人だろう。なぜ、こんなことを言うのかというと、一見全く違う現象を観察・考察していくうちにお互いに類似性があることを発見することが出来るのも、科学的手法によるものだと私は、考えているからである。

愛プロ倫とヒルの類似性は、これだけではない。
また、プロテスタントとはキリスト教の1宗派であることを忘れてはならない。西欧哲学には「愛」といった場合通常2種類の「愛」が存在する。一つは、プラトンのエロス。もう一方は、キリストのアガペーである。簡単に2つを分けると、エロスのほうは、自己中心的な愛・人間的な愛・自己実現の愛であり、より低級な利己主義に近づく危険性を持っている。それに対してアガペーは、超越的な愛・神の愛・他者実現の道であり、欧米において人格的な愛を育てたのはキリスト教である。実は、この人格的な愛がプロ倫とヒルを繋ぐ楔であると私は考えている。プロテスタントは、もともとキリスト教だからこの点はクリアーしている。しかし、ヒルの方はどうだろうか。ナポレオン・ヒル財団の理事を務め、ヒルと共同で、新しいプログラムの開発を手がけたW.クレメント・ストーンは、こう曰う「Give &Give」(与えそして与えよ)【ナポレオン・ヒル 1991:534】この言葉は、人格的な愛を象徴していると思われる。この言葉の示すところはそれこそ他者実現そのもので、言うのは簡単だがそれを実際に実行できるかと問われると、多くの人の答えはNOだ。なぜなら人は自己実現にばかり気が取られがちで、他者実現を重視しない。あとで述べるが、実際はこのことが、経営などに大きく影響してくるのだろう。

プロテスタントの独自性

同じキリスト教でも、カソリックの場合は教会が間に入ることで、厳格な神の姿が肝要になってしまう。だが、プロテスタントの場合は、神と人間の間には聖書しかなく神が以下に厳格であるかということが、そのまま伝わってくるのである。最後の審判の日まで、自己の行動は自己によって管理しなくてはならず、自ずと自立心が芽生え禁欲的で節制を重んじるようになるのだ。同じユダヤ教系一神教の中で、一番厳格であるといわれるのは、イスラム教のアッラーである。イスラム教も禁欲的で節制を重んじるが、「礼拝に加え、ラマダーン月の斎戒(断食)、巡礼といった宗教儀礼から、商売で守らなければならない規定(利子の禁止など)、結婚、離婚、相続の規定、戦利品の分配規定まで、人間が社会生活を営む再に不可欠な行動の規範が定められていた」【井上順孝 1997:105】ので、同じ一神教でコーラン(聖典)を重視する類似性はあるものの、資本主義が形成される土壌はなかったといっても過言ではない。

ユダヤ教には、同じエッセンスがありユダヤ教徒(ユダヤ人)は経済的成功者を多数輩出しているにもかかわらず、資本主義にまで至らなかった理由として考えられるのは、「ユダヤ教徒の迫害」である。中世ヨーロッパでは、ユダヤ人はその当時下賎とされていた金貸しや宝石商といった職業にしか就けず、シェークスピアの『ベニスの商人』に観られるような悪いイメージが定着していた。しかし、ユダヤ教徒(ユダヤ人)は勤勉に働き富を蓄えていった。悪いイメージが定着していたので、裕福そうなユダヤ人をみて中世ヨーロッパの人々は、ますます嫉妬しホロコーストといった悲劇を生んでしまったのである。ここにも、残念ながら資本主義が育つ土壌は養われなかったのである。
ルネッサンス以降中世から近世の変動期に宗教改革を経て、ヨーロッパ人に新しい判断基準が示されたことは、資本主義にとって大いに意味をなすものだった。カルヴィンの予定説を引用させてもらえば、資本主義は生まれるべくして生まれたのである。

日本と欧米の相違点

私が思うに、欧米と日本の経営者の違いは、自立性だと思う。プロテスタントには、それを養うためには最適だったのかもしれない。第一章の日本型経営システムの形成で述べたが、国家主導型の計画経済の形がこれまでの日本型経営に大きく影響してきた。銀行は、日本銀行を中心とする護衛せんだんに守られ、その他の企業も同族経営が多く観られ、多くの企業体が世襲的に経営してきた傾向がある。

それに対し、欧米(特にアメリカ)ではその多くが起業家による0からのスタートであり、永続的な経営も優秀な人材を起用し運営を任せるという形態をとってきた。先日引退したGE前会長のジャック・ウェルチ氏もまたその経営手腕が買われ、長らく世界でもトップ企業のGEの経営を行ってきたのである。あれだけ大きい企業であれば、人材に事欠くことはないので、自社から優秀な人材を輩出できるが、そうでない企業は倒産の憂き目をみるかもしくは、経営を委託するのである。こういったことは、合理的な企業運営ではあたりまえの事だと私は考えるが、日本型経営の同族・世襲経営はそれなりに理にかなっているところがある。それは、自分の子供に幼い頃から経営のための教育が施せるからだ。『金持ち父さん貧乏父さん』で出てきた金持ち父さんは、その手法を遺憾なく発揮し自分の子供(マイク)に経営を譲った。日本型の経営では、例え自分の子供に潜在的な経営手腕(私の定義する経営手腕とは、解法のわからない方程式を解くと言うことであり、実際数学の領域に於いても根は存在するのに説くことが出来ない問題が存在する。それを証明するのが、ガウス・アーベル・ガロアの三大定理である。特に、解法がわからない問題は社会科学に多く存在する。【小室直樹2001:37~47】)がなくとも経営を譲ってしまう場合も多い。

日本の経済を支えてきたのは多くの中小企業だという。ここで忘れてはならないのは、その中小企業がどれだけ事業拡大が出来たかということである。大手の銀行や企業は政府による公的資金が受けられるのに対し(そもそも公的資金の導入自体が、政治主体の経済であることを物語っているし、またこんなことをするのは日本だけではなかろうか)、中小企業は銀行からの融資が受けられず、倒産してしまう。銀行の決済期に自殺者が増えると言う話を聞いたことがあるが、納得してしまう。

こういったところにも、経営理念の違いが見受けられる。欧米の起業家や事業家は、失敗したからそれでお終いというわけではない。そこから、学んだことを次の経営に生かそうとする。前に、こんな話を聞いたことがある。「一度失敗した経営者ほど、投資するに値するものはいない」これは、一度失敗したから、もう二度と同じ過ちは繰り返さないこと考えているからである。ケンタッキーフライドチキンの創始者であるカーネル・フランダースは、晩年になってやっとあの有名なフライドチキンのチェーン店を経営することとなった。彼は、「66歳のときに事業に失敗し生活保護を受けるようになった。しかし、それだけでは生活していけなかった。そこで、自分が考え出したフライド・チキンの作り方をだれかに買ってもらおうと全国を回った。そして、1009回断られ、やっと1010回目に買ってくれる人を見つけた。その結果、サンダースはたいていの人が引退生活に入る頃になって大富豪への道を歩みだした。」【ロバート・キヨサキ2000:220】

日本人には、彼のような勇気と根気を持った経営者は少ないように思われる。特に中小企業の社長は、責任をとったつもりで自殺する。ここが、いまだに”HARAKIRI”が抜けてないところなのかもしれない。そういう人は、侍には向いているが商人には向いていないのだろう。こう言うことをいうと、いささか良心を咎めるがいたし方のないことだ。
プロテスタンティズムは、実はここにも大きく作用しているのでは無いかとおもう。なぜなら、ルターの唱えた「ベルーフ」という思想を持つか持たざるかということである。ロバート・キヨサキは、大金持ちになったが実は自分は教育者であったといっている。そこで彼は本を書き講演会を開き、教育用のゲームまで作った。どんな事を教えるかというと、それは金持ちになることである。学校では絶対に教えてくれないので、彼は自分が教える事にしたということだ。彼のベルーフは教育者である。ビル・ゲイツも製品開発に戻ったということは、彼も自分のベルーフに気がついたのだろう。日本人は、職業選択の自由という言葉に翻弄され、自分のベルーフを見失った人が多く存在するように思われる。そういった点も、欧米との違いである。

日本型経営システムの現状と将来

日本型経営システムの現状

現代の日本企業は、長期的不況の影響で、それまでとっていた日本型経営システムを、見直さなくてはならなくなった。それまでとっていた日本型経営システ
ムとは、「終身雇用」「年功序列」「企業内労働組合」の三種の神器と言われる三本柱が、その中核をなしていた。これらの、問題点は好景気には強いが不況に
弱いという弱点があった。そのため、日本の大企業・中小企業の多くは経営システムの抜本的見直しが要求された結果となる。

雇用においては、調整が必要となり多くの被雇用者がリストラクチュアリングによって、過剰労働力として処理された。しかし、そんな状況においてもなお、雇用を確保しようとしつづける企業もある。たとえば、いすゞ自動車の乗用車生産からの撤退【授業配布資料:9】などは、そのいい例としてあげられる。これは、いすゞ関和平前社長が1991年に生産担当副社長時代に、不採算部門であった乗用車・ガソリン部門の設備発注の7割(全額300億円)を停止し、事実上撤退を決定した。しかし、ここで関前社長は乗用車・ガソリン部門の開発要因1,000人を商用・ディーゼルの開発部門と生産技術部門へ転属させ、一人の解雇者を出すことなくリストラクチュアリングを成功させた。その他の大手の企業では、新卒者の雇用をなくしたり、余剰人員の解雇に踏み切ったりといった人員整理や、採算の取れない部門の撤退や外部委託といったさまざまな手法で、生き残りを図っている。

これまでの日本型経営システムでは、これからの時代生き残れないといえる。では、これまでの日本型経営システムとはどのようなものだったのだろうか。

〜引用1〜
〔報告内容では、三種の神器に加え、四つの柱からの日本の労使関係は成り立っていると述べられている。終身雇用については、「企業は生産活動の拡大や縮小に対処する為の雇用調整手段をもっているとして、企業間の相互移動が行われないことから企業がこうむる不利は、終身雇用と企業内訓練から得られる利点より、十分相殺され得る」として、終身雇用は日本の戦後の経済成長に寄与した評価されている。年功序列制度に関しては、「労働者にとっては、賃金が自動的に上昇していくため、一定の保証と将来の見通しが得られるし、家族維持に必要な収入水準の変化にもある程度対応しているといえる。また、年齢と勤続という客観的な要素を賃金決定の基準としているため、賃金をできるだけ固定化したいという経営者の意図に制限を加えることにもなる。しかし、定年まで勤めず企業をやめることは労働者にとって既得権を放棄することになり、企業を離れることが困難になるという不利益もある。」と、労働者には安定的な雇用は保証されているものの、何らかの理由で企業を辞めてしまうと再雇用には多大な労力を消費することになるだろうとしている。一方経営者側には「労働力の安定と若年労働者への教育訓練投資を長期的にわたって回収することを保証する」し、「しばしば柔軟性を阻害する『職務別賃金』の適用から派生する諸々の対立を、この制度は回避でできる」が、他方、労働構成の高まりが企業にとってコスト増をもたらし、不況期には耐えがたいものになる可能性があるのだが、報告の最後には「日本の年功賃金制度は、その結果において、一見して見えるほどには、他の国々の賃金制度とそれほど大きく隔たってはいない。それは決して硬直的ではなく、労働市場の変化にも適応し得ている。また、全体の能率を損なっているようにも思われない。それは、社会的経済的に見て利点と欠点を合わせ持ち、ある程度それらが相互に打ち消しあっている」と結論している。企業別組合は、企業中心主義の傾向を持ちやすい。とはいえ、「組合員も使用者もこの形態に満足しており、日本の組合員労働者が、別の異なった制度の下にある労働者よりも、物的条件に関して状況が悪化しているとか、十分保護されていないということを示す事実は存在しない。」この点も多少の評価はしているとみられる。報告に出てくるもう一つの柱、企業内社会規範は、企業をもっとも主要なひとつの社会単位としてみている、共同体としての企業意識と、日本人の持つ強い集団意識から出てくる、「ヨコ」のつながりよりも、「タテ」の(年長者と若年者という序列の)方が主要な役割を果たす、相互義務と、ある責任者一人が、限定された債務を遂行するのではなく、活動全体への刺激づけを行うことを期待される、よって経営に携わるものは社内を統括し、すべての合意による意思決定が、日本的な評価・判断・行為などの拠るべき基準である為、このような独特な労使関係の性質が成立していったと報告では述べている。〕

【本論111】

〜引用2〜
本型経営システムはこれまで、 日本企業の競争力を生み出す重要な源泉となってきた(変化への柔軟な適応力、 熟練・技能に裏打ちされたハイレベルの製造技術の醸成など)。
しかし、環境や技術の変化が激化するなかで、 日本型経営システムは適応能力を喪失し、非効率な状態に陥っている。

【米山:1】

日本型経営システムの現代の日本経済における不適切性を指摘している。この現状を打破するために、新たな試みがなされていることを上げている。

〜引用3〜
新たな経営システムのモデルとなるのが、 近年革新を遂げたアメリカ型経営システムである。 アメリカ企業は80年代後半以降、日本型経営システムの長所を、情報技術(IT)を活用することによって、より先進的な形に進化させ、 経営システムに取り入れた。

【米山:2】

〜引用4〜
日本企業は、新しいアメリカ型経営システムにならい、 情報共有・外部連携の可能性を広げる必要がある。 そうしたことを通じて、企業間関係や雇用関係を柔軟に組み替え、環境や技術の変化に対し、 短時間かつ最小の費用で適応する柔軟性を身につけることが求められている。

【米山:3】

現状では、これまでの日本型システムといわれるものが、合わなくなって来ていることが以上の資料よりわかることだろう。そこで、IT(Information Technology)を活用することが現在の日本経済に必要なこととしてあげられている。このことを踏まえた上で、次の日本型経営システムの将来について移っていきたい。

日本型経営システムの将来について

ここでは、これからの日本型経営システムについてGlobal Standard Ageの到来による日本型経営システムの問題点を踏まえ、今後の日本経済にとっての新たな経営システムの取るべき道を模索するものとする。

まず始めに昨今よく耳にするGlobal Standardとは何か、ということを定義しなければならない。なぜならば、この用語は多様な意味で捉えられたおり、そのことが以後の議論に対して混乱を招く恐れがあるからである。

Global Standardは日本語に直すと、「世界的基準」ということができる。その対照的な語として「局部的基準」(Local Standard)がある。この二つを比較してみると、Global Standardは世界ならどこでも通用する基準であり、Local Standardはその国でしか通用しない局地的な基準と言える。また、日本型経営システムは、Local Standardの枠に入るといえる。

ではなぜ、Global Standardが必要とされたのだろうか。

〜引用5〜
国際規約や国際法規に関するデファクト・スタンダードの確立は、それ自体が激烈なパワーゲームである。それは、一旦構築されたデファクト・スタンダードに追随することに関連するコストが非常に高いことからも容易に理解できる。
魅力的なマーケットには、だれもが注目する。しかし、多くの企業、多くの産業、多くの国が独自の方法でマーケットの獲得を無秩序に進めると、多数のスタンダードが生まれることになる。状況によっては、複数のスタンダードが併存し得ることもあるが、その場合でも存続できるのは比較的少数のスタンダードであり、提案された実現方法の大部分は、競争に破れて姿を消していく運命にある。技術的に見て相対的に優位にあるシステムが、デファクト・スタンダードを取るとは限らない。
一方、マネジメントや意思決定をめぐるスタンダードでは、有効性と効率性が高いものがデファクト・スタンダードとしてグローバル・スタンダードの地位を確立する。より劣位の仕組みしか持たないものは、グローバル・スタンダードへの追随が不可欠となるだろうし、優れた仕組みを持つものは、それをグローバル・スタンダード化するために積極的な取り組みを行い、将来の追随コスト軽減を目指すべきである。もっとも、マネジメントや意思決定の仕組みは、各国の社会システムに深く根差しているため、追随も積極的な取り組みも、ともに容易であるとはいえない。

【企業改革委員会,1998:(2)】

市場は世界各地に存在し、そこには多くのビジネスチャンスが眠っていることが注目され始めた。そして、その市場を求め多くの企業が参入しようと試み、さまざまなビジネススタイルが競争し、淘汰される。そこで生き残ったビジネススタイルが、他の企業も参考にしスタンダード化されていくのである。こうして、国境や文化を越えGlobal Standardとして確立されていくのである。国際的なヒト、モノ、カネや情報の大量移動が頻繁に行われるようになった今日に、Local Standard同士の衝突が避けられなくなってきた。その理由として、異なるルールではビジネスは出来ないからである。サッカーにしても、野球にしても、ルールが一定であるが故に世界各国で知られるスポーツになったのである。そのことはビジネスについても同じである。国際的舞台では、そのルールでビジネスをしなければならない。そのことは、どこの国にも言えることである。もちろん日本にも言える事である。これまでの日本型経営システム(=Local Standard)は、岐路に立たされている事実は、これで理解できるだろう。〔他方、日本型経営システムの中から生み出されてきたハイレベルの製造技術は、 ITの発達によってその役割が相対的に低下している。 こうした面からも従来の日本型システムの優位性は失われつつあり、日本企業は、新たな競争力基盤の構築を求められている。【米山:4】〕からも日本型経営システムの構造改革は求められている事がわかる。

そこで、これからの日本型経営システムが取り得るべき道が、以下の3つの事柄であると考える。

〜引用6〜
① ローカル・スタンダードのグローバル・スタンダード化
② グローバル・スタンダードへのキャッチアップ
③ グローバル・スタンダードの形成

【企業改革委員会,1998:(3)】

この3つには、成熟度と容認度の低い場合はGlobal Standardの構築が、重要課題となる。また、現実には支配的なLocal Standardが機能していたり、複数のLocal StandardがGlobal Standardの候補として機能している場合、Global Standardをめぐる覇権争いが生まれるという問題点も抱えている。日本型経営システムをGlobal Standard化するためには、順機能を発信・啓蒙することと、不必要な逆機能を捨て去らなければならない。(順機能と逆機能については【日本型経営システムの形成と内容】を参照)

日本型経営システムとは、外から入ってくるものに対して抵抗をあまり感じない(特に欧米)という日本人の国民性がとても影響されている。

地球上にはさまざまな文化、人種、宗教、国家、経営システム、市場が存在しそれが多くのビジネスチャンスを得ることが可能なのは先に述べた。「郷に居れば郷に従え」という言葉があるが、この先そういうものはなくなっていくのではないだろうか。なぜなら、それまでの経営システムをリストラクチュアリングすることによって、より大きな舞台、異なる市場に参入可能だからである。要するに、そこのLocal standardに従う必要は無く、自分のLocal StandardをGlobal Standardizeして、キャッチ・アップし形成することが求められているから得ある。

日本型システムは将来的には、さまざまな他の機能を取り入れつつ発展・成長していくと考えられる。そもそも、日本型経営システム自体色々な要素を取り入れつつ形成されてきたものである。【日本型経営システムの形成と内容:別冊】それ故に、これからの日本型経営システムもまた、アメリカや、ITなどを取り入れGlobal Standardとして完成されていくものと考え得る。また、それがもうすでに機能しているかもしれない。

総論

新・日本型企業~ユニクロ・ベネッセ~

現在では長引く景気の減退に淘汰される形で日に日にその数を減らしつつある中小企業だが、その中で独走しているのがファースト・リテイリングの”ユニクロ”であろう。私は、約2年間ユニクロの中から観察をしてきたが、やはり柳井社長の経営手腕には驚かされるばかりであった。私が入った当初は、ユニクロブームも手伝って連日信じられない売上を記録していた。当時最も売上をとっていたのは原宿店である。私もそこにいた。当時の原宿店店長は、一人の独立した経営者だった。

それは、具体的にではなくより抽象的な感じがしたのである。もちろん、ファーストリテイリングの社員であるが、一己の独立した経営者として仕事をしていたと思う。率先して、店頭に立ち接客し他のスタッフをリードする。そういったものを見ると、誰もが彼の指示に従うのだと思った。

原宿店は、5階建てのビルに3回までがフロアとしてあり4,5回は、倉庫として使われていた。既存店に比べてもフロア面積は当時としては群を向いており多かった。(現在は渋谷に2店舗新たに出来て客を分散できるようになったのもあり、当時ほどの混雑は無いが土日祝日はやはり込んでいる)ここでの経験は、今後の人生にかなり役に立つものであると、確信している。

ユニクロは爆発的な成長を遂げて、今は軟着陸し安定成長となり海外にも進出している。このビジネスモデルは、新たな日本型経営システムといえるだろう。その後このモデルを真似た経営手法が用いられている企業も多いし、柳井社長の考えは立証されたといえよう。

また、ベネッセコーポレーションも日本の中では急進的な成長を遂げてきた企業といえる。(今はこちらでバイトをしている)ベネッセも食はじめは岡山の福武書店という本屋からの出発だった。ここでも経営権は息子に譲られ、今の福武社長は通信教育というものに目をつけた。それまでの通信教育とは異なるシステムがここには存在する。

通信教育は、それまでにも在ったがもともと本屋であることも手伝って、学校で使用されている教科書と授業要領に沿った教育が受けられるということと、毎月送られてくる教材は一括払いでも途中で止めれば返金するというものだった。私は、これは画期的なことだと思う。

利用者が通信教育で一番不安なことは、途中でやらなくなったらどうしようかと思うことである。よく、新聞の折り込み広告に通信教育の物が入っているが、あれは、分割は出来るが教育に準じた支払いではない。なぜなら、教材が一括で届いてしまうことに問題があるのだ。

この場合、途中で飽きてやらなくなった場合残るのは支払い(分割の場合)と置き場所に困る教材である。利用者はこう考えるだろう。「金を溝に捨てたようなものだ」と。

また、入会案内方法も他の通信教育とは異なる。どこで調べるのかはわからないが、子供当てにDM(ダイレクトメール)もしくは、パンフレットを送ってくる。普通なら、何が送られてきたかを確認したらすぐに捨ててしまうとこだが、そのDMには、ちょっとした仕掛けがあって、一般的なDMよりも長い期間もっていることになる。その仕掛けとは、利用者の体験をもとに書かれた漫画である。その内容は非常にわかりやすく、自分のやってみようかと思わせる。実は私も、その口で一度利用したことがあるのだ。

以上のことはビジネスモデルであり、経営システムではないが、こういったことは経営を行う上で参考になり、新たなシステム構築の足懸かりともなる。

ベネッセとファーストリテイリングに共通して言えることは、こちらの身が持たなくなるほど、客の声を重視するということだ。クレームが出れば、誠心誠意を尽くし対処するのはもちろん、それ以前にクレームが出ないように数多くのマニュアルが存在し、対象方法が決められている。また、従業員はバイトであれ社員であれ福利厚生がしっかりと受けられる仕組みがある。ユニクロに関して言えば、バイトでも有給がついた。実際私も有給というものをはじめて使った。

こういった点は、一度育てたベテランを外に出さないということもあるし、従業員こそが歩く広告塔だという認識があるからなのだろう。これだけ大きな企業だから、外で話題に出ないことは無い。そこで従業員が会社に大切にされていると感じれば、自然とイメージアップが図れるわけだ。そう考えると、ユニクロブームは柳井社長のシナリオの中にあったのかもしれない。

まとめ

新しい優良企業を目で見て実際に体験することは、社会学で言うフィールドワークをしているのと同じである。幸い、自分のやっていたことが、今回授業用レポートとして、一旦まとめる事が出来たのは喜ばしいことだ。

しかし、新・日本型経営システムと銘うって書いてはいるが、実際、新しい日本型経営システムのモデルは、実際の経営を通して証明するしかない。この結論は多くの時間と助力が費やされなければ導けないだろう。もちろん、自分でも行動に移さなければならない。

近い将来、この結論を導き出せたら本にまとめてみようかと思う。

【参考文献目録】

  • 『日本型市場システムの展望』 
    緒方ゼミナール(大山繁敏、芳川和宏、土屋武司、酒井剛、有沢有紀、山下俊和、鈴木広基、山越功、横須賀秀孝、鴨下和可子、寺田紀子)
  • 【本論111】 『第一章 日本の従来型雇用システム』―第一節 賞賛・日本型雇用システム?
  • 『日本企業の経営システムの歴史的展開とその特性について』
  • ロシア経済研究室 http://www.s.fpu.ac.jp/u-abcpage/injapanese/injapanese.htm
  • 計画経済
  • よりよき日本経営システムを目指して―ハイブリット型グローバル・スタンダードの形成―
    企業改革委員会 1998,4
  • 『研究レポートNo.48日本型経営システムの変容と今後の課題』
    FRI研究所Report 主任研究員・米山秀隆 1999/4
  • 『ナポレオン・ヒルの巨富を築く13の条件』Napoleon Hill 田中孝顕訳 騎虎書房 1991 
  • 『金持ち父さん貧乏父さん~アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学~』
    Robert Kiyosaki & Sharon Lechter 白根美保子訳 筑摩書房 2000
  • 『金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント~経済的自由があなたのものになる~』
    Robert Kiyosaki & Sharon Lechter 白根美保子訳 筑摩書房 2001
  • 『現代哲学事典』山崎正一・市川浩編 講談社 1970
  • 『世界の宗教101物語』井上順孝編 新書館 1997
  • 『新しい世紀の社会学中辞典』 丸山哲央監修・編集 ミネルバ書房 1996
  • 『新約聖書』新改訳聖書刊行会 日本聖書刊行会 1988
  • 『数学が嫌いな人のための数学』小室直樹 東洋経済新報社 2001