マニア論
- 2000.11.21
- 考察
「極楽へ行かせてあげる。」でおなじみのゴーストスイーパー・美神。
あれって、バブル絶頂期の漫画だった。
ワンレンボディコン(←死語)に、身を包みバブリーな発想で物語が形作られていく。しかも、高額な依頼料。
だが、バブルが終焉した、今はもう忘れられているだろう。
漫画は、以外とその時の社会状況がみられる。ずっと連載されるものは、社会状況をうまく考慮したものが多い。
連載が終わる理由は、面白くないという理由もあるだろうが、社会状況が変わると淘汰される面もある。
だが、本当にいいものは時代に流されない。
一流といわれるものは、大体がそうだ。
淘汰されるのは、二流なのだ。
それは、なんでも同じで本物は時代に流されることはない。なぜか?
いい作品には、必ずマニアが生まれる。
マニアは、作者を崇拝する信者なのだ。
マニアには、二種類いる。
専門マニアと、ジャンル・マニアだ。
専門マニアとは、それ専門に一種の研究にも似た行動をとる。例えば、007マニアとか、ブルース・リーマニアなどである。
ジャンル・マニアは、ジャンル別に分かれるようなマニアで、ゲームマニアなら、ゲーム全般、アニメマニアならアニメ全般という具合だ。
マニアは、自分の専門領域なら右に出るものは、いないだろうが、しかし他のことは、あまり知らなかったりする。
そこら辺は、大学の教授とかに似ている。
コミケなんかも、学会とか、シンポジウムと同じ役割を果たしているのではないだろうか?
大学の先生たちは、社会的に擁護せれているから、好きな研究をして(好きなことをして)も、誰もばかにしたりしない。確かに、有用的なものだからという理由もあるだろうが、果たして全ての先生が、役に立つ研究をしているとは限らない。
マニアと呼ばれる人たちは、自分の好きなことをしているが、有用性にかける部分が、多々ある。しかし、もしかしたら有用性のあるものもあるかもしれない。そして、社会的には認められてない部分が多い。
このちがいはなんだろうか?
構造的に考えれば、同じことなのだが、先入観と偏見が先立ってしまう。
未開の現住民族と、日本とを見比べた時、現住人を遅れた文明のかわいそうな人と見ているのとあまり変わらない。
しかし、実はそこに住んでいる人は自分が遅れているとは感じないし、精神的意味ではあまり変わらない。ただ、儀礼が違うだけなのだ。
科学は人間に快適さをもたらしてくれたが、快適が故に時間が失われたように思える。
時間は、人間にとって限られているものだが、それをどう使うかはその人によって違う。
人は、何かの練りこめるものがある。
それが、ただ、人によって違うだけなのだ。
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