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2000-2001 Archive
芸術観
- 2000年12月23日 21:56
- 2000-2001
芸術ってなんなのか?
今日そのことについて考えてみた。
たぶんそれは、言葉では表せないことを、相手に伝えようとした行為が、そうなったのだろうと思った。
実際、頭で考えたイメージとかニュアンスというものは、とても言葉では、表現しにくい。
もし、人間がテレパシーを持っていたら、この分野は発展していなかっただろう。
それがあったら、考えていることがそのまま相手に伝わる。イメージだって、ニュアンスや映像的な物が、念じただけで相手に送られる。
そう考えた時、テレパシーがなくて良かったとはじめて思った。
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かっこいい男の条件
良い男、かっこいい男、男が惚れる男の、条件ってなんだろう?
顔が良い?スタイルが良い?お金持ち?頭が良い?運動神経が良い?優しい?力強い?そんなものじゃないと思う。
それは、女が決める打算的なかっこいい男のことだ。
そんなものは、本当のかっこよさじゃない!
本当にかっこいい男は、渋くて、二枚目じゃなく、男くささが、体全体からかもし出しているけど、別にそれを嫌とは感じさせないものをもっている人が、本当のかっこいい男だと思う。
そんな奴はたぶんいないだろう。
でもそれに限りなく近いのが、ルパン3世じゃないかと思う。
それが、ルパンを時代遅れのダサいオヤジアニメにしない理由だと思う。
え?時代遅れで結構ダサいのじゃないの?と思う人もいるかもしれないが、そこもまた、かっこよさの中に組み込まれている。「ダサかっこいい」という言葉を
ご存知だろうか?ダサいけどかっこいい!はっきり言って意味がわからない。
変な日本語であることは確かだ。けれど、その表現が語っているものは、それがどういうものなのかワカル人には、通じる言葉である。言葉は、「そのものが持っているニュアンスを伝えるための道具なのである」ニュアンスを伝えるために、いろいろな言葉がある。
いまや死語になった、アンニュイなんかも、元はフランス語である。
ケセラセラもスペイン語だし、クールな~とか言う使い方も、英語からだ。(e.g.クールなサウンド)
言葉は伝われば問題ないのである。渋谷に出没する最近はあまり黒くない派手なティーンエイジャーが使う言葉は、はっきりいて何を言っている解からない。
そ
れでは言葉の意味をなさないのである。何を言っているのかわからなければ、解かろうとする努力をするが、ボディーランゲージや、リアクションを見ても何を
言いたいのか伝わってこない。(外国人は大体理解してくれるし、こちらもなんとなくわかる。)
たまにテレビ番組で、解説しているのを見たりするが、新しい言葉は、どんどん出てくる。
新しい物が出れば出るほど、結局人の脳裏には焼きつかないものなのだと思う。
「ダサかっこいい」も、知らない人には通じない言葉なので、なんとも言えない。
「益荒男ぶり」というものにかっこいい男の全てが入っているといっても、多くの人は、何を言っているのか分らないだろう。
分りやすく表現するというのは、実は至難の業なのだ。
本当にかっこいい男は、言わなくてもそれと判るものなのだと思う。
な~んて、まとまってないか・・・?
「かっこいい」で検索に出たもの(提供:アマゾン)
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感情について
- 2000年12月11日 21:49
- 2000-2001
オリンピックを見て感動した、とか映画を見て感動したと、よく言われるが実際問題どういうことを感動というのかが、いまいち分らなかった。
簡単なようで、実はその中身を誰もおしえてはくれなかった。こういうことは、自分でだんだんと知っていくものなのだということは、否定できない。
そこで、自分なりに解釈したわけである。
「何かを感じて、動く、もしくは動かされること。」
広辞苑を引けば、載っていそうな答えであるが、そう簡単なものではないと思われる。
感動で一番大事なことは'何かを感じる'ということである。その何かは人によって様々だが、初めは何か感じることが大切なのだ。
'動く'というのは行動に移すということである。例えば、オリンピックを見て明日から走ってみようかな?と思うことが、感じることで、それを行動に移して感動というものが生まれるのである。
人間年を取ると、涙もろくなるということは、色々な行動が蓄積された現れで、(経験)そこに何か感じるものが加われば、それも感動なのである。(逆説的)
行動と、感覚が人間の感動を呼び起こすのである。
感動を知らない人間は、何も感じないか、もしくは行動(経験)が足りないのである。
'動かされる'というのは、自主的でないかもしれないが、他人から影響を受ける場合も考えると、この言葉を入れておかなければならないと思う。
涙や、背筋がぞっとするというようなものは、感動しているのではなく、何かを感じているのであり、そこで人間は考え、何か行動を起こすから感動というものが生まれるのである。人に話すのも行動だし、実際的な行動を起こす人もいるだろう。
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日本人の学力低下
- 2000年12月10日 19:08
- 2000-2001
それによると、日本の順位は前回の、95年に比べると著しく順位を落としていた。
それに加え、シンガポール、韓国、台湾が順位を伸ばしていた。95年の結果では、数学は日本が1位になっていた。
今回は、4位と、順位を下げている。
ここで、思ったのは今回上位に上がった3国は、これから経済的に発展するであろうと期待のもてる国である。
数学と、経済というのはそういう意味で結構つながっているように思われる。
最近の経済も、数学的道具を利用する分野が、幅を利かせている。例としては、金融工学などである。
詳しくは、MITにでも行って勉強してください。
結局、金を数えるものが経済学で、数を数えるものが数学ならば、経済成長と、数学の関連性は密接なものとして受け止めることが出来る。
日本は、経済的にも行き詰まった状況なのかもしれない。
(この理論からすると)
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空間的認知能力
- 2000年12月 7日 21:54
- 2000-2001
絶対音感に似たようなものだ。
平面の物(例えば、設計図など)を、頭の中で立体にしてしまうという能力だ。
以外にオブジェクトを扱う仕事には必要な能力かもしれない。
それは、絶対音感にもいえることだが・・・。
これらは、生まれ待った(先天的)部分が強く、それを持っている人にしか、わからないものである。
理屈じゃないのである。
説明できるものではなく感じるものなのだ。
ブルースリーが、『知るのではない。感じるのだ。』
といっていた。
知ることも大切だが、感じることはもっと大切なのではないのだろうか?
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プライベート・ライアンの感想
- 2000年11月27日 21:20
- 2000-2001
といっても、ちゃんとみてくれている人は、いないのだろうけど・・・。
先日、プライベート・ライアンの、DVDを購入しました。
2000年11月27日(月)
随分、ご無沙汰だったようで、大変申し訳ないです。
といっても、ちゃんとみてくれている人は、いないのだろうけど・・・。
先日、プライベート・ライアンの、DVDを購入しました。
実に良く出来た映画だと思い、映画館に見に行って、ビデオを借りて見て、そして、DVDまで買ってしまうぐらいです。
戦争の悲惨さを、余すとこなくうまくまとめたことに対しては、大変すばらしいことだと思います。
みてない人には、ぜひ見てもらいたい一本です。
そこで、一つ気になったフレーズが、ありました。
ライアン二等兵を、探しに行くわけですが、その途中でこんなやり取りがあります。
「隊長は、愚痴はないのですか?」
「・・・。」
「そりゃ、ないわけはない。だが、部下の前では愚痴は言わない。」
「こういうものは、どんどん上へ上へと上がっていくものなのだ。だから、お前たちに言う愚痴はない。」
ってなやり取りでした。
(実際の台詞と違うのですが、ニュアンス的にはこんな感じでした。)
これは、日本では聞かない台詞だと思います。
21年生きてきた中で、こんなことは一度も聞いたことがありませんでした。
大体が、部下に愚痴をこぼしているのが日本の常識なのではないでしょうか?(同僚も含む)
上に、直接愚痴を言う習慣がないと言っても過言ではありません。
第二次大戦中の話なので、特にそれが印象的でした。
同じ頃、日本も参戦していましたが、考え方が全く違っていたことは、このことだけではなく大きな意味でもそうでした。
少し前に、ボスという缶コーヒーのCMで、"ガツン"といえない日本人というものがありました。
当時の大統領に"Tell me Gatun."なんて言われて、慌てる日本人が、缶コーヒーを飲むという趣旨のコマーシャルだったと思います。
実際、このことは今でも言われていることで、言いたいことが、うまく言えないのではなく、うまく言わないということなのです。これは、日本人の悪い癖だと思います。
確かに、色々大変なのだろうなと思うからいえないのかもしれませんが、大変なのは、みんな同じなのです。大変な時はみんなが大変なのであって、誰か一人が大変なことはないのです。
しかも、偉くなるにつれ、責任が上がる訳なのだから、そういった愚痴を聞くのも、責任を果たす義務なのだと思います。それをしないのは、日本人が、未だに稟議制を推進しているためなのでしょう。
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マニア論
- 2000年11月21日 21:51
- 2000-2001
あれって、バブル絶頂期の漫画だった。
ワンレンボディコン(←死語)に、身を包みバブリーな発想で物語が形作られていく。しかも、高額な依頼料。
だが、バブルが終焉した、今はもう忘れられているだろう。
漫画は、以外とその時の社会状況がみられる。ずっと連載されるものは、社会状況をうまく考慮したものが多い。
連載が終わる理由は、面白くないという理由もあるだろうが、社会状況が変わると淘汰される面もある。
だが、本当にいいものは時代に流されない。
一流といわれるものは、大体がそうだ。
淘汰されるのは、二流なのだ。
それは、なんでも同じで本物は時代に流されることはない。なぜか?
いい作品には、必ずマニアが生まれる。
マニアは、作者を崇拝する信者なのだ。
マニアには、二種類いる。
専門マニアと、ジャンル・マニアだ。
専門マニアとは、それ専門に一種の研究にも似た行動をとる。例えば、007マニアとか、ブルース・リーマニアなどである。
ジャンル・マニアは、ジャンル別に分かれるようなマニアで、ゲームマニアなら、ゲーム全般、アニメマニアならアニメ全般という具合だ。
マニアは、自分の専門領域なら右に出るものは、いないだろうが、しかし他のことは、あまり知らなかったりする。
そこら辺は、大学の教授とかに似ている。
コミケなんかも、学会とか、シンポジウムと同じ役割を果たしているのではないだろうか?
大学の先生たちは、社会的に擁護せれているから、好きな研究をして(好きなことをして)も、誰もばかにしたりしない。確かに、有用的なものだからという理由もあるだろうが、果たして全ての先生が、役に立つ研究をしているとは限らない。
マニアと呼ばれる人たちは、自分の好きなことをしているが、有用性にかける部分が、多々ある。しかし、もしかしたら有用性のあるものもあるかもしれない。そして、社会的には認められてない部分が多い。
このちがいはなんだろうか?
構造的に考えれば、同じことなのだが、先入観と偏見が先立ってしまう。
未開の現住民族と、日本とを見比べた時、現住人を遅れた文明のかわいそうな人と見ているのとあまり変わらない。
しかし、実はそこに住んでいる人は自分が遅れているとは感じないし、精神的意味ではあまり変わらない。ただ、儀礼が違うだけなのだ。
科学は人間に快適さをもたらしてくれたが、快適が故に時間が失われたように思える。
時間は、人間にとって限られているものだが、それをどう使うかはその人によって違う。
人は、何かの練りこめるものがある。
それが、ただ、人によって違うだけなのだ。
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人を納得させる方法
- 2000年11月17日 18:56
- 2000-2001
人を説得させるには、皆さんはどんな方法を取っているだろうか?
人によって方法が違うかもしれないが、これだけ覚えていれば、頑固者のオヤジだって説得できる。
この方法は、長年うちの頑固オヤジを説得させるために培ってきたものなので、お勧めできる。(頑固というか、わからずやといった方が適切)
初めに、全く知らない人物を説得するのは骨が折れる。
その為には第一印象を、確立することをお勧めする。
なんだかんだいっても、人は、第一印象で、最初判断せざるを得ない。変な服装をしていたり、礼儀を重んじなかったりすると、それだけ印象は低い。
次に、何でもいいのだが、説得するわけだが何をどうすればいいのか、具体的な説明をしなければならないだろう。
例えば、何かで発表することになったとする。
この場合、自分以外は誰も知らない人達と仮定する。
全く知らない人達に、自分の意見を発表すると考えてもらいたい。
そうすると、必ず緊張が生まれる。この緊張が、うまい具合に自分のものになれば、第一段階はクリアーできるわけだが、うまく緊張をほぐすためには、自信を 持つことである。これは、場数を踏まなければ、どうしようもないかもしれないが、要するに自分なら出来ると思い込むことなので、今から述べる方法を実践で きるようになれば、必然的に何らかの自信はつくだろう。
そして、話し始めるわけだが、ここで注意したいことは、ロジック(論理)を、しっかり持つことである。これが、確立されていないと、質問を受けたときにあたふたしてしまい非常に見苦しい。
ロジックがしっかりしていれば、どんな質問でも何のその、ある程度は一蹴するかのように応答できる。
それが議論に発展すれば、そこから、色々と多様な攻撃をすればよい。ロジックという母艦を持ち、そこから迎撃していけば、いいわけである。逆に相手を言い負かすためには、その母艦を潰せばいいのである。
また、例を出し説明を加えれことが重要になってくる。うまく説明ず具体例がないと人は、納得してくれない。
ここまでくれば、大体落ちたようなものだが、それでも納得しない人には、逆に質問してみよう!何がわからないのかを聞かないことには、説明も何も出来ないからである。
そして、その疑問について、また説明と具体例を挙げればいいのである。これを繰り返していくと、相手は納得してくれる。その長さに個人差はあるのだが、頑固な人には根気が必要になってくる。
あと、これとは違う理解してくれない人がいる。
頑固者以外の、未理解者とは、こちらが何を言っているかがうまく把握できていない人である。
例えば、子供に"構造主義"を説明することを考えてもらいたい。果たして、ここでこの文章を読んでいる人の中にどれだけ構造主義について知っている人がいるだろうか?
まぁそれは例なので、いいとしてこういったものを説明するには、自分の言語能力を、相手と同じに落とさなければならない。
そうしないと、同じ日本語でも通じないという現象が生まれる。
人に何か伝えるというのは非常に難しいものであり、有史以前から使われてきたであろう言葉というものは、実際うまく伝わらなかったりする。
要するに、人は耳で聞くより目で見たほうが、実際理解力があるというのも、うなずける。
少しは自信がついたかな?
要は自分にどれだけ自信があるかということである。
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人生劇場
- 2000年11月15日 18:58
- 2000-2001
このことは、昔から言われてきた。かのシェークスピアも言っていた。
しかし、これは西欧社会でのみ言われてきたことであり、日本ではあまり馴染みがない。
個性という言葉の由来に関係がある。
Personalとは、ラテン語のPersona(仮面)が語源である。このことはある程度の人は知っているだろう。
人は仮面をかぶっている。その仮面は人生という舞台の上で、様々に変わっていく。半分黒で、半分白の仮面を想像して欲しい。その舞台では、喜劇が演じられるかもしれない。もしかしたら、悲劇かもしれない。
面白くないかも、笑えるかも、泣けるかも、怒るかもしれない。
自分が出ている劇は、自分で見ることは出来ない。
劇は、時間通り始まり、時間通りに終わる。しかし、何かアクシデントが起こると、中止になってしまう。
一度中止になった劇はもう二度と見ることは出来ない。
満足出来る演技か、そうでないかによって、悔いが残るか残らないかが、天国と地獄という観念が生まれる。
満足ならば、幸福な死が待っているが、そうでなければ、不幸な死が待っている。 故に人生は劇である。
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ミドリ
- 2000年11月13日 21:45
- 2000-2001
人の出会いは、この一言に集約されているかのようだ。
人は絶えずして、人と出会い、関係をきづくだろう。しかし、出会いは別れの始まりであり、出会ってしまったからには、別れも必然的にやってくる。それは、遅いか早いかの違いはあれど、必ずやってくるものなのだ。
だが、人は別れを悲観して、出会いを求めなくなることはありえない。
なぜなら、人は本能的にまた新しい出会いがめぐってくることを知っているからだ。
仏教思想によれば、これを「縁」と呼ぶ。
「縁」は偶然的なものもあれば、必然的なものもある。 エニシヨシアスヲユメミテコヨイモネムラン
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虚言論
- 2000年11月10日 21:51
- 2000-2001
ではなぜ人は嘘をつくのだろうか?
嘘は、肯定的嘘と否定的嘘がある。正直が正義で、嘘が悪というのは必ずしも当てはまらない。嘘をつく局面さえ間違わなければ、必ずしも否定的には取られることはないだろう。
ではなぜ、嘘は存在するかというと「それは嘘だ!」と、第三者もしくは他者に指摘された時点で、嘘が生まれる。ばれなければ嘘ではないのだ。
では、ばれない様にする為には、一体どうすればいいのだろうか?
要するに、嘘をつかないのである。それは、「嘘をつかずにつく」という矛盾めいたこと。
一体どういう事なのかというと、嘘をロジック(論理)と、事例で固めてしまえば、ばれにくくなる。
具体的にいうと、相手を嘘で論破してしてしまう方法である。現代は、科学時代なので、科学的立証が出来れば、人は簡単にだまされてしまう。嘘をもっともらしく言えば、本当に聞こえてしまうのだ。
もう一つは、嘘に真実を織り交ぜて、話すことである。
この場合、どこまでが嘘で、どこから真実なのかが分らなくなってしまう。一番この方法がばれない。
最後は、相手の心理を読んで、嘘をつくのである。
会話の中で、ほんの少しの相手の仕草や、会話の流れから心理を読んで嘘をつくのである。結構高度な感じだが、詐欺師は、最初の方法とこの方法を織り交ぜて相手をだます。
政治家なんかは、最初の方法で民衆をだます。
しかし、嘘はばれてしまう。なぜなのだろうか?
嘘をつき続けると、必ずぼろが出る。また精神的に何らかの呵責が加わり自分からぼろを出す。
いくらうまい嘘でも、必ずばれる理由を簡単にいうと、「張りぼての城」ということが出来る。正面から見ると、実に立派な城なのだが、横や後ろから見ると骨組みが丸出しで、すぐに偽物だとばれてしまう。
多方面から観察することが出来れば、それが嘘だということはすぐに分ってしまうのだ。嘘は、「張りぼての城」なのでどんどん押していけば必ず倒れてしまうのだ。
嘘をつくのでなく、うまく流すことを覚えれば、聞かれたくないことに対して、嘘で答える必要がなくなる。
あとは、正直に話せば信用は落ちない。
不快な嘘は、信用を簡単に落とせる。落ちた信用は取り戻すのはつらい。人は、自分をよく見せようとするので、嘘をつく。そういったつまらない嘘をつくよりも、自分を飾らない方が、人当たりは良いのではないだろうか?
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言語論入門
- 2000年11月 9日 18:47
- 2000-2001
新聞やマスコミで今話題なのが、日本考古学会のことだ。
副理事長ともあろうものが、自分の私利私欲のために捏造を繰り返していたのだ。史学科の友人が嘆いていた。今彼は、ゼミで埴輪の研究をやっているそうだ。 今回のことは、このこととは直接関係ないことだが、結論的には同じことなので、覚えていてもらいたい。
「言葉」というのはなぜ生まれてくるかということを皆さんは考えたことがあるだろうか?
モノは、出来ればそれを呼ぶための言葉が必要になるので、必ず生まれる。それは、人の名前や地名なども同じである。社会現象などもそれを説明するために名詞が生まれる。
例えば、「カルト」という言葉がある。もともとこんな言葉は存在していなかった。というのは少し大げさで、少なくとも今の意味での「カルト」というようには使われていなかった。
本来はラテン語で、一人の人を熱狂的に支持するとか、人権を侵害するというものであった。だが、80'sアメリカで、ある新聞記者が新興宗教をまとめてこう呼んだのが始まりとなっている。
そう考えると、訳のわからないものには必ず名前をつける必要があるというわけである。あと、幽霊やUFO、UMAなどもこの類に当てはまると考えられる。
人間は、自分の理解を超えるものや、目に見えないもの触ることや感じることの出来ないものに対して、恐怖と畏怖の念をもつ。心理学的に、人間が一番恐れる ものは「闇」である。そこでは自分の存在すら否定的になってしまい、最終的には発狂してしまうのである。
言葉は、人間が理解するために生まれた道具に過ぎないのである。
要するに、そのものが存在するか、しないかが問題ではなく、必要だからそう呼ぶのである。
例えば「神」という言葉は、それが存在するかしないかは関係ない。人がそれを必要とするからそう呼ぶのである。
「平和」という言葉も然り、「戦争」ですら同じ概念だと考えられる。
そこで、初めに述べた考古学の話を思い出してもらいたい。
あの人が犯した罪というものの重大さが、分かってくるだろうか?日本考古学いや、世界の考古学における日本の位置というものが根本から覆されてしまうのである。
日本の新石器時代が70万年前までに遡るが、これは全くのでたらめである可能性が強い。
歴史とは、後の人が、その時代を呼ぶために必要な、学問である。それを自分で変えてしまっては歴史というものの信憑性はなくなってしまう。
歴史には、もしかしたらというのはありえない。
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赤井電機の倒産
- 2000年11月 2日 19:02
- 2000-2001
この会社は、皆さんもご存知だろうと思いますが、日本のみならず、世界にも通用する音響機器メーカーです。
MPCシリーズなどは、多くのアーティストが現在でも多数使用しているし、秀逸のサンプラーを数多く世に送り出し、「サンプラーのAKAI」と国内外問わず、その名をほしいままにしてきました。
倒産の理由は、現在の音響機器メーカー各社による価格競争の過激化により、それまでのAKAIのスタイルが通用しなくなったことに原因がある。
MPC3000などは、定価が275,000円で、その限定版ともなれば、398,000円もするのである。
確かに高い。容易に手が届く範囲ではない。
MPCシリーズは、良質であること変わらないのであるが、それと同等の品質で10万円ぐらいというようのものが続々と他社から発売されてきた。
品質にこだわる事は大事だが、それ以上に売れるものを作らなければ、事業として成り立たない。これからも、もしかしたら続々と淘汰されるメーカーが出てくるかもしれない。 直接は関係ないが、先ほどの、MPC3000 Limited Edition は、限定販売されたもので定価398,000円であるが、会社が倒産したために付加価値がついて、もっと値が釣りあがる可能性がある。2倍3倍は当り前。 もしくはそれ以上、10倍とかも考えられる。持っている人は本当に大切に使ってください。
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優しさと甘さについて
- 2000年11月 1日 19:36
- 2000-2001
そんなことは、言わなくてもわかっているだろう。
しかし、わかっていない人がいるのだ。
例えばこんな人はどうだろう?
子供を叱るのはかわいいそうだから叱らない親とか、彼のどんなとこが好きと聞かれて、優しいとこと言う彼女。
こういった人は、自分では優しいと思い込んでいるか、それが優しさだと思っているに違いない。
だが、こんなのは優しさだとはいえない。
子供を叱れない親がいると、それだけで社会にとって迷惑だ。また、欲しいものを何でも買ってやる親もやさしい親とはいえない。これらは全て、甘えとか甘やかしとか言うことを知っているだろうか?
優しいだけの彼と言うのは、下心みえみえではないのだろうか。また、好きなとこと聞かれて、優しいとこと答える彼女は、彼のことはあまり好きでないのであ る。男が女に優しいのは当り前であり、それを理由として答える人は、今まで本当にひどい男としか付き合ったことがないか、はたまた、初めて付き合うかの他 には考えられない。(常識の通じる人に限る)
誰にでも優しいのも本当の優しさではない。
人間関係において、好きな人だらけなら問題は起こらないが、そうではないではないか。
誰にでも優しい人は、結構裏がある。
みんな仲良くと言う思想が蔓延し、従来の常識ではかれない人々が結構いる。
特に、最近の日本人についていえば、自分の言葉に責任がもてない人が多くないだろうか?国のトップにそれが目立つのにもなんらかの関係がありそうである。
甘さと優しさを履き違えている日本人が、大勢いることは、本当に嘆かわしいことだ。
本当の優しさは、本当の厳しさを知らずしてえられるものではない。
人の厳しさを知らずして、人の優しさを知りえないのである。
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正確という激しい病
- 2000年10月30日 19:01
- 2000-2001
これは、なまじ知識が豊富だと陥り安い病である。
例えば、東大に入学して、自分頭がいいと思っている人は、すぐにでも落ちいってしまう。
知識が豊富であるが故に、不確かなことを言ったりする人をばかにしてしまうのである。
この人の口癖は、「それは正確ではないね。」
「正確に言うと・・・。」などである。
周りに必ず一人は、いるだろう。
また、こういった人は「だいたい・・・。」と言う言葉を使う人をひどく嫌う。
と言うより、見下しの対象にする。
これは、一種の病なのだ。
この世に絶対と言うものは存在しないことを、知らないのである。
意外性や、相対性を否定しているようにも思われる。
個人的見解からすると、そういっている人は、逆に何も知らない人間のような気がしてならない。
だって、人間と言う存在自体が、不確かなものでから。 デカルトの言うところの、「我思う、故に我あり。」
と言うことだ。
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合理的人間による選択
- 2000年10月27日 18:51
- 2000-2001
合理的人間がとる合理的行動の数式とでもいうのでしょうか。
これは、個人的な見解であり、一般化はまだされていません。
社会学的理論的には、認められていないということであり、異議を唱える人もいるでしょう。
もともと、opportunity costは、経済学の理論であり、
それを社会学にただ応用しただけの物に過ぎないのであるが、これを入れるか入れないかで、意外とスマートに方式を用いることが出来ると考えている。
以上の式には、数字は当てはまらない。
大きいか小さいかと言った漠然とした値しか求められないからである。
なぜかと言うと、人の行動を測るのに感情と言うものまで考えると、果たして具体的な数字だ表せるのかという問題がある。
そのため、漠然としたプラスか、マイナスかと言ったものでしかとらえることが出来ないのである。
しかし、本当に人間が行動をとるときこのような方程式を当てはめて行動をとるかと言うと、そうではない。
人間の行動を科学的に立証する時の、一仮説に過ぎないのである。
この仮説を立証するためには、これからの研究を期待して欲しい。 以上が、日々学校で学んでいる断片であるが、この理論は、
僕個人のオリジナルであると言うことは断っておきたい。
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節制
- 2000年10月16日 19:04
- 2000-2001
「衣食足りて、節制を知る。」
果たして、この言葉は本当なのだろうか?
昔の人は、確かにそうだったのかもしれない。
しかし現代には必ずしも当てはまらないのではないだろうか?
第二次世界大戦後、日本は食べ物もきる物もたりないじょうきょうだった。
その頃はこの言葉を人は信じていたのだろう。
現実は、折り重なるような好景気により、驀進的に経済は回復し、世界第二位の経済大国と言われるようにまでなった。
もうおきづきの方もいるだろうが、決して節制知ると言う言葉は当てはまらない。
誰も節制と言う言葉を、実行していない。(一部の人たちはしているだろうが)
衣食が足りても節制を知らずと言うところが妥当なところだろう。
なぜかと言うと、経済の基礎原理がそうさせていると考えられる。
経済を動かすのは人間の飽くなき欲望である。
金は止まることなく回り続け、人は新たな欲望を知る。
そういった循環が果てしなく続き、 経済はより大きくなる。
欲しいものが手に入れば、新たに欲しいものが生まれるのと同じ原理だ。
そう考えると「衣食足りて節制を知る。」ことは、 戒め的な意味合いが強いのだろう。
「衣食足りて節制を知れ!」
と言った方が、より現実的なのではないだろうか?
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クラシックの名曲
そういえば、結構前に予告しっぱなしの
物があったので、今日は
ずっと延期になっていた
T.E.が独断と偏見で選ぶ<クラシックの名曲>
についてやりたいと思います。
たぶん、このページを見ている人は、あんまり
聞かないと思うけど、聞いてみるとすごく良かったりするのだよね。
じゃ、まずは導入編ということで、メジャーな奴から紹介していこうかな?
誰でも知っているものでいくと、やっぱ教授こと坂本龍一
個人的には、Y.M.O時代の"トンプー(東風)
でもこれらは、結構最近のものだから親しみ深いよね?
最近つながりなんかで行くと、姫神
ホントのクラシカルな音楽で言うと、
ベートーベンの「交響曲第9番 第四楽章
「あぁ、今年も終わるのだなぁ~」
なんて思っちゃう。
オルフの「カルミナ・ブラーナ
一時期、ハマッタのが、エリック・サティ
「ジムノペディ
エリック・サティ関連のCDは4,5枚持っているぐらいだからね。
そういえば、この前アディエマスのⅣって言うCD買ったけど
まぁまぁだったな。
NHKスペシャルで使われていた「世紀を越えて
あれは、これからも聞かれつづける一品だろう!
J.シュトラウス
(スタンリー・キューブリック
2001年って来年だし・・・。
結局、20年前とあんま変わってないような気がするのは、
僕だけでしょうか?だって、みんな銀色の服着てないじゃん!スペース・シップが、一家に一台ないじゃん。
そうそう、マイケルナイマン
シンドラーのリスト
こう考えると、面白い映画ってサントラにもこだわっていることがわかるね。
なんか、途中から脱線してしまったけど、
このまま書きつづけたら、終わんないような気がするから、今日はこれでお開き!
ジャン、ジャン!
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リミックスの変遷#3
- 2000年10月 3日 22:32
- 2000-2001
<リミックスの変遷 第三回> あ~、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
最近寒いですね。
なんて、世話話はこれぐらいにして
早速本題に入りましょうか?
今日は、昨日の続きですね。
昨日は、今の形になるまでをお話しました。
では、現在の技術でリミックスする時はどうするのかな?
なんてことをを話しようかなぁ~なんて思ったりして・・・。
最近はホント便利な世の中になって、
お安く器材が手に入る世の中になりました。
(とはいっても、結構高いですけど昔に比べればということです)
だから、様々な器材を色々に組み合わせることによって環境が結構かわってくるのです。
サンプラーを使ったり、MTRを使ったり、
ミキサーを使ったりするわけなのですが、
その人(リミキサー)が使いやすい方法が一番いいと思います。
それに形が固まったとしても、どのメーカーのどの器材を使うかという問題も出てくるわけです。
そこで、いくつか基本的な仕様を挙げたいと思います。
まず、マルチテープ型。
マルチテープにシーケンサーをシンクさせて、マルチテープに入っている音素材も使いながら、
新たなビートなどの音源を付加していくという手法だ。
これは、曲のサイズを変更したいときなんかに一回ミックスダウンした後にもう一度編集しなければならないという問題点がある。
サンプラー型
これが、いちばん簡単なやり方なんじゃないかと、
個人的にはそう思う。
しかし、必要な素材を単品で手に入る環境がないと、
結構難しい。メロディーだけなら、自分で作ることも可能だが、歌が入ってくるとア・カペラでないと出来なくなってくる。そうしないと、
聞いたときはっきり言ってもう聞かなくていいものが出来上がる。(自分で歌ったものなんかは劣悪の極みである)
例えば、ここにジャングル・ビートルと名のついたビートルズのジャングル版がある。
これは、曲的にはいいのだが、歌っている奴が最悪!
なんとも言えない醜態ぶりをさらしている。
それで成功したものもある。
これは、一休さんのオープニングをダラムンベースした奴は、ばかっぽくて良かった。
こんな感じだが、自分の操作環境にあったものを自分で選んで、自分で作り上げていってください。それには、まずは、
金ですね。
今回は、こんな感じで終わりにします。
結構、はしょっててるのでわかんないことがあったら、
メールください。
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リミックスの変遷#2
- 2000年10月 2日 22:51
- 2000-2001
リミックスが今の形になったのはいつ頃なのだろう?
というお話を今日はします。
これについては、正確には"?"という見解が、正しいんだろうと思いますが、時代的には1980年代ではないかといわれています。一説には、イエスの「ロンリー・ハート」の12インチ・シングルが"リミキサー"として意識された最初で、 それに影響された世界中のクリエイターたちが、同時多発的に発生したと考えるのが正しいという見方もあります。
その人は、サンプリングするにはかなり投資をしなければならなかった1980年代初頭に、当時の最小セットが一億円とも言われるほどの化け物マシンを使ってアーティストの録音したものに手を加えた第一人者として、
その筋では名が通っているのです。
まぁ、そんな器材を使っているようじゃ、ありがちな嘘とも思えませんが・・・。
以上のことが、今の形になった始まりみたいなことなのですが、これらのことからもわかるように、
リミックスとテクノロジーは、切っても切れない関係にあるのだすね。
例えるなら、日本食と箸、中央線と飛び込み自殺、 T.E.とMusicみたいなものですか?
というわけで、今回は早いですけど
こんな感じにまとめて、
続きは次回ということにします。 次回予告:<リミックスの変遷 第三回>
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日本型経営システムの現状と将来
- 2000年10月 2日 21:14
- 2000-2001
1. 始めに
このレポートは、日本型経営システムの現状と将来について論ずるものとする。
2.日本型経営システムの現状
現代の日本企業は、長期的不況の影響で、それまでとっていた日本型経営システムを、見直さなくてはならなくなった。それまでとっていた日本型経営システ
ムとは、「終身雇用」「年功序列」「企業内労働組合」の三種の神器と言われる三本柱が、その中核をなしていた。これらの、問題点は好景気には強いが不況に
弱いという弱点があった。そのため、日本の大企業・中小企業の多くは経営システムの抜本的見直しが要求された結果となる。
雇用においては、調整が必要となり多くの被雇用者がリストラクチュアリングによって、過剰労働力として処理された。しかし、そんな状況においてもなお、
雇用を確保しようとしつづける企業もある。たとえば、いすゞ自動車の乗用車生産からの撤退【授業配布資料:9】などは、そのいい例としてあげられる。これ
は、いすゞ関和平前社長が1991年に生産担当副社長時代に、不採算部門であった乗用車・ガソリン部門の設備発注の7割(全額300億円)を停止し、事実
上撤退を決定した。しかし、ここで関前社長は乗用車・ガソリン部門の開発要因1,000人を商用・ディーゼルの開発部門と生産技術部門へ転属させ、一人の
解雇者を出すことなくリストラクチュアリングを成功させた。その他の大手の企業では、新卒者の雇用をなくしたり、余剰人員の解雇に踏み切ったりといった人
員整理や、採算の取れない部門の撤退や外部委託といったさまざまな手法で、生き残りを図っている。
これまでの日本型経営システムでは、これからの時代生き残れないといえる。では、これまでの日本型経営システムとはどのようなものだったのだろうか。
引用1
〔報告内容では、三種の神器に加え、四つの柱からの日本の労使関係は成り立っていると述べられている。終身雇用については、「企業は生産活動の拡大や縮小
に対処する為の雇用調整手段をもっているとして、企業間の相互移動が行われないことから企業がこうむる不利は、終身雇用と企業内訓練から得られる利点よ
り、十分相殺され得る」として、終身雇用は日本の戦後の経済成長に寄与した評価されている。年功序列制度に関しては、「労働者にとっては、賃金が自動的に
上昇していくため、一定の保証と将来の見通しが得られるし、家族維持に必要な収入水準の変化にもある程度対応しているといえる。また、年齢と勤続という客
観的な要素を賃金決定の基準としているため、賃金をできるだけ固定化したいという経営者の意図に制限を加えることにもなる。しかし、定年まで勤めず企業を
やめることは労働者にとって既得権を放棄することになり、企業を離れることが困難になるという不利益もある。」と、労働者には安定的な雇用は保証されてい
るものの、何らかの理由で企業を辞めてしまうと再雇用には多大な労力を消費することになるだろうとしている。一方経営者側には「労働力の安定と若年労働者
への教育訓練投資を長期的にわたって回収することを保証する」し、「しばしば柔軟性を阻害する『職務別賃金』の適用から派生する諸々の対立を、この制度は
回避でできる」が、他方、労働構成の高まりが企業にとってコスト増をもたらし、不況期には耐えがたいものになる可能性があるのだが、報告の最後には「日本
の年功賃金制度は、その結果において、一見して見えるほどには、他の国々の賃金制度とそれほど大きく隔たってはいない。それは決して硬直的ではなく、労働
市場の変化にも適応し得ている。また、全体の能率を損なっているようにも思われない。それは、社会的経済的に見て利点と欠点を合わせ持ち、ある程度それら
が相互に打ち消しあっている」と結論している。企業別組合は、企業中心主義の傾向を持ちやすい。とはいえ、「組合員も使用者もこの形態に満足しており、日
本の組合員労働者が、別の異なった制度の下にある労働者よりも、物的条件に関して状況が悪化しているとか、十分保護されていないということを示す事実は存
在しない。」この点も多少の評価はしているとみられる。報告に出てくるもう一つの柱、企業内社会規範は、企業をもっとも主要なひとつの社会単位としてみて
いる、共同体としての企業意識と、日本人の持つ強い集団意識から出てくる、「ヨコ」のつながりよりも、「タテ」の(年長者と若年者という序列の)方が主要
な役割を果たす、相互義務と、ある責任者一人が、限定された債務を遂行するのではなく、活動全体への刺激づけを行うことを期待される、よって経営に携わる
ものは社内を統括し、すべての合意による意思決定が、日本的な評価・判断・行為などの拠るべき基準である為、このような独特な労使関係の性質が成立して
いったと報告では述べている。〕【本論111】
引用2
本型経営システムはこれまで、 日本企業の競争力を生み出す重要な源泉となってきた(変化への柔軟な適応力、 熟練・技能に裏打ちされたハイレベルの製造技術の醸成など)。
しかし、環境や技術の変化が激化するなかで、 日本型経営システムは適応能力を喪失し、非効率な状態に陥っている。
【米山:1】
日本型経営システムの現代の日本経済における不適切性を指摘している。この現状を打破するために、新たな試みがなされていることを上げている。
引用3
新たな経営システムのモデルとなるのが、 近年革新を遂げたアメリカ型経営システムである。 アメリカ企業は80年代後半以降、日本型経営システムの長所を、
情報技術(IT)を活用することによって、より先進的な形に進化させ、 経営システムに取り入 れた。
【米山:2】
引用4
日本企業は、新しいアメリカ型経営システムにならい、 情報共有・外部連携の可能性を広げる必要がある。 そうしたことを通じて、企業間関係や雇用関係を柔軟に組み替え、
環境や技術の変化に対し、 短時間かつ最小の費用で適応する柔軟性を身につけることが求められている。
【米山:3】
現状では、これまでの日本型システムといわれるものが、合わなくなって来ていることが以上の資料よりわかることだろう。そこで、IT(Information Technology)を活用することが現在の日本経済に必要なこととしてあげられている。このことを踏まえた上で、次の日本型経営システムの将来について移っていきたい。
3.日本型経営システムの将来について
ここでは、これからの日本型経営システムについてGlobal Standard Ageの到来による日本型経営システムの問題点を踏まえ、今後の日本経済にとっての新たな経営システムの取るべき道を模索するものとする。
まず始めに昨今よく耳にするGlobal Standardとは何か、ということを定義しなければならない。なぜならば、この用語は多様な意味で捉えられたおり、そのことが以後の議論に対して混乱を招く恐れがあるからである。
Global Standardは日本語に直すと、「世界的基準」ということができる。その対照的な語として「局部的基準」(Local
Standard)がある。この二つを比較してみると、Global Standardは世界ならどこでも通用する基準であり、Local
Standardはその国でしか通用しない局地的な基準と言える。また、日本型経営システムは、Local Standardの枠に入るといえる。
ではなぜ、Global Standardが必要とされたのだろうか。
引用5
国際規約や国際法規に関するデファクト・スタンダードの確立は、それ自体が激烈なパワーゲームである。それは、一旦構築されたデファクト・スタンダードに追随することに関連するコストが非常に高いことからも容易に理解できる。
魅力的なマーケットには、だれもが注目する。しかし、多くの企業、多くの産業、多くの国が独自の方法でマーケットの獲得を無秩序に進めると、多数のスタン
ダードが生まれることになる。状況によっては、複数のスタンダードが併存し得ることもあるが、その場合でも存続できるのは比較的少数のスタンダードであ
り、提案された実現方法の大部分は、競争に破れて姿を消していく運命にある。技術的に見て相対的に優位にあるシステムが、デファクト・スタンダードを取る
とは限らない。
一方、マネジメントや意思決定をめぐるスタンダードでは、有効性と効率性が高いものがデファクト・スタンダードとしてグローバル・スタンダードの地位を確
立する。より劣位の仕組みしか持たないものは、グローバル・スタンダードへの追随が不可欠となるだろうし、優れた仕組みを持つものは、それをグローバル・
スタンダード化するために積極的な取り組みを行い、将来の追随コスト軽減を目指すべきである。もっとも、マネジメントや意思決定の仕組みは、各国の社会シ
ステムに深く根差しているため、追随も積極的な取り組みも、ともに容易であるとはいえない。
【企業改革委員会,1998:(2)】
市場は世界各地に存在し、そこには多くのビジネスチャンスが眠っていることが注目され始めた。そして、その市場を求め多くの企業が参入しようと試み、さま
ざまなビジネススタイルが競争し、淘汰される。そこで生き残ったビジネススタイルが、他の企業も参考にしスタンダード化されていくのである。こうして、国
境や文化を越えGlobal
Standardとして確立されていくのである。国際的なヒト、モノ、カネや情報の大量移動が頻繁に行われるようになった今日に、Local
Standard同士の衝突が避けられなくなってきた。その理由として、異なるルールではビジネスは出来ないからである。サッカーにしても、野球にして
も、ルールが一定であるが故に世界各国で知られるスポーツになったのである。そのことはビジネスについても同じである。国際的舞台では、そのルールでビジ
ネスをしなければならない。そのことは、どこの国にも言えることである。もちろん日本にも言える事である。これまでの日本型経営システム(=Local
Standard)は、岐路に立たされている事実は、これで理解できるだろう。〔他方、日本型経営システムの中から生み出されてきた
ハイレベルの製造技術は、 ITの発達によってその役割が相対的に低下している。 こうした面からも従来の日本型システムの優位性は失われつつあり、
日本企業は、新たな競争力基盤の構築を求められている。【米山:4】〕からも日本型経営システムの構造改革は求められている事がわかる。
そこで、これからの日本型経営システムが取り得るべき道が、以下の3つの事柄であると考える。
引用6
① ローカル・スタンダードのグローバル・スタンダード化
② グローバル・スタンダードへのキャッチアップ
③ グローバル・スタンダードの形成
【企業改革委員会,1998:(3)】
この3つには、成熟度と容認度の低い場合はGlobal Standardの構築が、重要課題となる。また、現実には支配的なLocal
Standardが機能していたり、複数のLocal StandardがGlobal Standardの候補として機能している場合、Global
Standardをめぐる覇権争いが生まれるという問題点も抱えている。日本型経営システムをGlobal
Standard化するためには、順機能を発信・啓蒙することと、不必要な逆機能を捨て去らなければならない。(順機能と逆機能については【日本型経営シ
ステムの形成と内容】を参照)
日本型経営システムとは、外から入ってくるものに対して抵抗をあまり感じない(特に欧米)という日本人の国民性がとても影響されている。
地球上にはさまざまな文化、人種、宗教、国家、経営システム、市場が存在しそれが多くのビジネスチャンスを得ることが可能なのは先に述べた。「郷に居れば
郷に従え」という言葉があるが、この先そういうものはなくなっていくのではないだろうか。なぜなら、それまでの経営システムをリストラクチュアリングする
ことによって、より大きな舞台、異なる市場に参入可能だからである。要するに、そこのLocal standardに従う必要は無く、自分のLocal
StandardをGlobal Standardizeして、キャッチ・アップし形成することが求められているから得ある。
日本型システムは将来的には、さまざまな他の機能を取り入れつつ発展・成長していくと考えられる。そもそも、日本型経営システム自体色々な要素を取り入れ
つつ形成されてきたものである。【日本型経営システムの形成と内容:別冊】それ故に、これからの日本型経営システムもまた、アメリカや、ITなどを取り入
れGlobal Standardとして完成されていくものと考え得る。また、それがもうすでに機能しているかもしれない。
『研究レポートNo.48日本型経営システムの変容と今後の課題』
FRI研究所Report 主任研究員・米山秀隆 1999/4
http://www.fri.fujitsu.com/hypertext/fri/reports/48.html
よりよき日本経営システムを目指して
―ハイブリット型グローバル・スタンダードの形成―
企業改革委員会 1998,4
http://www.kdoyukai.on.arena.ne.jp/teigen-iken/1998Mar/kigyou
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リミックスの変遷#1
- 2000年10月 1日 22:49
- 2000-2001
聞いたことはあるけど、実際説明しろと言われて、
納得のいく説明が出来る人は、何人いるでしょうか?
そこで今日は、そんな知られているけど、
ホントは知らないリミックスについての第一回です。
初めにRemixの本来の意味は、
録音されたマルチテープから、一回ミックス・ダウンをした後に、再び新しいバランスなどでミックスし直すことなのです。
しかし、巷で話題に上るRemixとは、オリジナルの曲の一部だけを使って全く新しい曲を作るということであります。
この場合、Rearrange的要素が強く影響しているのです。
またある人は、Rebuildというとらえ方をしている人もいます。
要は、リミックスというものは、いくら言葉で想表していても、実際そうではないのです。
次に、いつ頃からそんなことが行われていたか
ということなのですが、1970年代初頭ジャマイカの
電気屋のオヤジが、ミキサーをいじっていたら
なんか曲と曲とが重なっていい感じになったのが、
事の起こりといわれています。
このオヤジは、知る人ぞ知るキング・ダビ-という
ダブというリミックスの一つの技法を編み出した人なのです。
まぁ、たぶんこれが一番初めなのだろうな。
もともと、リミックスはもう少し後の'80年代ぐらいにならないと、出てこない技法なのです。
じゃぁ、ダブって何かということになるわけですが、
マルチテープに録音されたものは、必ずミキサーを経由して
形を整えられていきます。その過程で、ミキサーを使ってまとめていくべきものを、オン・オフすることで新しい音にしていくのが、ダブなのです。
つい最近までは、録音はテープレコーダーにしているのが当り前だったので、このダブという技法がクラブDJなどには、
ミックス違いを作るにあたって、お手軽だったのです。
と、まぁ、リミックスが成立するまでの、ほんとに最初の部分の歴史を軽く語ってみたが、
ご理解頂けたでしょうか?
今の形になるまでには、
こんなことが行われていたのです。
もっと詳しく知りたい人は、
専門書を買うか、連絡をください。 次回予告:<リミックスの変遷 第二回>
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IT革命による経済と音楽に関する影響
- 2000年9月29日 21:22
- 2000-2001
マニアックな話題。
今日から、また話し始めたいと思います。
(自分勝手)
<IT革命による、経済と音楽に関する影響>
IT革命が起きたと言われるが、それは、何も経済にだけ影響があるわけでは決してない。
情報がこれからの時代の武器となるのだ!
情報は、自分が持っているイメージやアイディア
と言うことでもある。
今は、一人でも何でもできる(ある程度は)時代だと思う。
自分が持っているイメージやアイディアを
実現できると言う意味なのだが。
それは、絵であったり、映像であったり、言葉や文章であったりする訳だが、ここではやはり音楽を実現することが重要であろう。
僕の音楽に対してのとらえ方は、
単なる芸術と言うだけではない。
言葉通じなくともいい音楽は、
通じ合う。
絵を書かない文化はあるが、
音楽のない文化が、存在するか疑わしい。
そして、時代とともに移り変わってきた。
人類共通の文化は、音楽と言っても過言ではない!
話が少しずれてしまったので、
ここでもとに戻そう。
現在のテクノロジーにより、音楽理論がわからなくとも
自分のイメージ通りの曲が作れてしまうのだ。
Electro的でないような曲でも、
レコーディングの際などにその恩恵にあずかっているのである。
そうなると、Electroという枠で、全てくくれてしまうのではないだろうか?
逆に言えば、Electro・Musicというものはなんなのか?
という問題が出てくる。
テクノ、ドラムンベース、トランス、ガバ、ジャングル、
ハウス、ヒップ・ホップ、ジャズ・エレクトロ、
ヒーリングや、それ以外でどのジャンルにも属さないような、新しいジャンル的なものまで考えると、
果てしないジャンルが存在することになってしまうのである。
姫神、アディエマス、Era、エキセントリック・オペラ、
エキセントリック・サティ、ポリシックス、アシッド
この他にも知らないものもあるし、
新しいジャンルを挙げれば、
キリがない。
そしてまだまだ新しいものは、
続々出てくるだろう!
そうなれば、結果的に早い者勝ちという面が
必然的に出てくる。
イメージや、アイディアをどれだけ早く
実現できるかが、ネックになるということである。
初めにも言ったが、
ITの影響は、何も経済にだけではないのである。
これからの時代は、情報をもつものが
世界を制する!
(経済が支配する時代は終わったのである。戦争による物質的暴力による支配が終わったように・・・。)
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ホームスタジオについて
という、題ではじまった今日の企画。
はっきり言って、どうしようもない感じなのですが、
それでも話を続けていきたい。
最近は、有名なアーティストも、自宅で録音している時代である.
有名どころで言うと、ドラ〇ン・アッ〇とか、ブンブン・サテライツ、オリコンの上位にいる某グループなどである。
ドラ〇ン・アッ〇や、某グループなんかは、ある程度作った後、最終的にはスタジオで録音するのですが、
ブンブン・サテライツは、イギリスのロンドン、ブリックレーン通り沿いにあるトルーマン・ブレヴェリービルにプライベート・スタジオをもつ。(カッチョいい!!)
海外での活動(主にヨーロッパ)が多い彼らにはちょうどいいのかもしれない.
でも、プライベート・スタジオをもてると言うことは、かなり稼いでいると言うことでもある。
まぁ、なんでもそうだが、ただで出来るものは何もない。何かしら、金はかかるものなのだ.
スタジオを作る際に当たって、必ず最初にしなければ、ならないことは、箱作りである.
内装を作り変えるだけではなく、防音効果を設置しなければならない.
その費用は、大きさによって異なるが、最低二百万はかかる。それに加え、スピーカーから、アンプ、内装をはじめ、
スタジオで使用する機材などを加えると、家が一軒立ってしまうほどかかるのだ.
まぁ、でもこれは、普通に考えてえられる答えである.
音楽機材はいくらでもコスト削減の対象になる。
防音効果も、あるていど最初からあるマンションを選べば、それほど問題にならない.(しかしそれが問題とも言える)
スピーカーやアンプは、こだわり始めるときりがないので、最低でも20万ぐらいは予算に入れておきたい.
それなら、新車(大体クレスタぐらいかな)が買える程度で抑えられるはずである.
実際にやってみないとわからないと言うところもあるが、
今は、新車を買うのだったら、プライベート・スタジオが欲しいかな
なんて夢見たいな話でした。
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