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詭弁論考 Archive

人を動かすもの

オリンピックが始まりました。

毎回、オリンピックを見ていると何かやろうと思う人も多いのではないでしょうか?そして、挫折していつの間にかやらなくなってしまっていたりと。

感動は心を動かされるわけですが、心が動くということは、体も一緒に動こうとするのです。だから、何かに感動した時はそれを行動に移そうとします。

最近だと、感動経営という言葉が出てきています。

人に感動を与え、社員が感動するような会社にしていこうということですが、結局は、社員をいかに動かすのかというところにつきます。

心が動けば、体も動くのです。

ただ、それには感じる力がないとできません。感動とは、感じて動くと書くわけですが、感じる力がないとまずもって感動もしないですし、動きません。

感性だというかもしれませんが、その感性を磨く努力をしなければ、感動もしないのです。

ただし、これは人に動かされる人の話。

世の中には、自発的に行動を起こす人もいます。その人は、何かに感動したから動いたわけではなく、自分から心を震わして動いた人たちです。

そんな人たちが持っているものは、情熱です。

湧き上がるような情熱が、人を動かします。

起業家も湧き上がる情熱を持っています。音楽家も持っています。作家も持っています。画家も持っています。スポーツ選手も持っています。

自ら何かを成し遂げようとするとき、必ずこの情熱が必要なのです。

情熱こそが人を動かします。

情熱こそが、原動力です。

私が、ブログを書くことも、書きたいという情熱があるからできるのです。書くという情熱がなければ、ここまでは絶対にかけません。

書きたいから書くのです。湧き上がる情熱があるから書くのです。たまに、感動して書く時があるのですが、それは自分から書いているのではなく、感動させた人から書かされているのかもしれません。

奮い立つような情熱を持つことこそが、その人を動かします。

そして、その情熱を見た人は、必ず感動するのです。

規制緩和がもたらしたもの

  • Posted by: マルコ式
  • 2008年7月 9日 14:27
  • 詭弁論考

規制緩和がもたらしたもの・・・それは、「破壊と混乱」です。
具体的な例をいくつかあげてみます。

1月25日21時58分配信 毎日新聞

タクシー業界の規制緩和で年収が下がるなど苦痛を受けたとして、東京都内で働くタクシー運転手10人が国に計2786万円の賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁(三代川三千代裁判長)は25日、「原告が提起した諸問題の改善解消に向け、政府が責務を果たすことを強く期待する」と異例の付言をしたうえで、請求を棄却した。

政府は93年から規制緩和を進め、02年施行の改正道路運送法で▽新規参入を免許制から許可制とし、需給調整の廃止▽料金の認可基準の弾力化−−などを定めた。原告側は、こうした政策が過当競争を招き、生活不安を与えたと主張していた。

判決は「不法行為の特定を欠く」と訴えを退けたが、「規制緩和は輸送の安全や利用者の利便に結びついておらず、運転手の労働条件悪化というひずみを生んだのは明らか」と付言した。
【北村和巳】

規制緩和で苦しむ業界の最たる例ともいえます。

また、先日の秋葉原で起こった痛ましい事件の背景には、派遣業界の規制緩和による問題が根底にあったとされ、7月8日に日雇い派遣を原則禁止し、特定業務だけで例外的に認めることを柱とした労働者派遣制度の見直し案を正式に決定し、舛添厚労相に秋の臨時国会に労働者派遣法改正案を提出するよう要請しています。

規制緩和による実態は、以下の通りになります。

規制緩和

競争激化

価格下落

コスト削減

人件費削減

非正規雇用増加

それでも薄利のため過酷労働を強いられる。

将来に対して希望が持てない

犯罪行動

こうした負の連鎖ともいえる状況の中で、いったいどうすれば希望が持てるでしょうか?
犯罪の9割は、失業率でほとんど説明がつくとよく言われますが、まさに近頃の事件はそれを象徴しているかのようなものばかりです。

実質的に失業していなくとも、何の保証もないような雇用状況では、失業状態とさほど変わらないともいえるでしょう。

ややもすると、近頃の事件は、自分勝手な人の犯行とも言えなくはないのですが、人が犯罪行動をとるには、何らかの理由が存在します。
というより、人が行動をとることすべてにその人なりの理由が存在しているのです。

 

先の図で示した通り、規制緩和が結果犯罪者を生み出してしまっているといっても過言ではありません。

しかし、その規制緩和政策をとらざるを得なかった背景もあったわけです。そもそも、既得権益を享受している古い体制が、様々な業界であったことに端を発しているようにも取れますが、実際は、それをあおったマスコミの責任だと考えています。

テレビをはじめとするマスコミが流す情報のほとんどは、不安をあおるものです。社会情勢がそれほど不安でなければ、見向きもされないでしょうし、自分のこととは感じないでしょうが、社会情勢が不安な中では、冗談ではすまされません。

ある人は、「テレビで凶悪事件を報道するたびに、その事件を模写して新しい凶悪事件を起こせと言っているようなものだ。」ともいうぐらいです。これは、極端すぎるかもしれませんが、そう捉えられてもおかしくないのも事実です。

 

国を規制緩和に向かわせたのも、マスコミの過剰報道によるものではなかったのでしょうか。

事実を伝えることが仕事と考えているかもしれませんが、その事実によってどれだけ多くの人が影響を受けるのか?マスコミ関係者は、まずペンを握る前にそのあたりをもう一度よく考えてみたほうがいいです。

Reconcept

  • Posted by: マルコ式
  • 2008年7月 7日 14:27
  • 詭弁論考

本題に入る前に、まず、予備知識を入れておいたほうがいいかと思います。

今日は、概念についての話なので、まずは概念とは何かというところから…

概念(がいねん)、コンセプト:concept)とは、物事の総括的・概括的な意味のこと。ある事柄に対して共通事項を包括し、抽象・普遍化してとらえた意味内容で、普通、思考活動の基盤となる基本的な形態として頭の中でとらえたもの。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

引用した文章がかなり難解でしたが、コンセプトというと何となくイメージがつかめるような気がします。特に我々のような業界では、デザイン・コンセプトとかよく耳にする言葉ですから、意味を全く知らずとも何となくわかる人もいるでしょう。

僕が考える概念とは言葉です。

逆に、言葉こそ概念だと言ってもいいです。

言葉を研究する学問「言語学」に興味を持ち、独学していたときに出した結論の一つでした。

概念と言葉の関係性は、同義と言えるほど密接なのです。

Reconceptという言葉はあまり聞きなれないかもしれませんが、検索してみると意外と多くの結果が出てきます。Googleの検索結果では6,410件でしたし、Yahoo!では108,000件でした。(2008.07.07現在)

しかし、そのほとんどは英語サイトだったことは注目すべき点です。

今の段階では、日本ではそれほど一般的ではない言葉なのです。

日本語でも、「もったいない:mottainai」という言葉がありましたが、今では世界共通の言葉として知られています。そもそも、日本人以外で「もったいない:mottainai」という概念をもっている国はなかったわけです。

世界中では、英語や中国語をはじめ数多くの言葉が存在し話されています。ケセラセラという言葉がありますが、これは実はスペイン語のフレーズです。(Que sera sera/ケ・セラ・セラ)

また、長崎の特産品であるカステラはポルトガルから伝わってきたものですし、バッテラ寿司も見た目は押し寿司ですが、語源はポルトガル語なのです。img05[1]

先のウィキペディアの説明の中に、

施行活動の基盤となる基本的な形態として頭の中でとらえたもの。

と、ありましたが、概念はただとらえておくだけでは何の意味もなしません。それを人に伝えることができて、初めて概念として世に存在し得るのです。

概念は意味の担い手である。一つの概念は複数の言語で表現することができる。例えば、「犬」という概念はドイツ語では 'Hund' と、フランス語では 'chien' と、スペイン語では 'perro' と表現される。概念がある意味で言語とは独立したものであるということが、翻訳を可能にする。つまり、同一の概念を表す様々な言語の言葉は「同じことを意味する」。

ここからが本題なのですが、タイトルのReconceptについては、日本語では、まだ適切な概念が存在していないといえます。

Yahoo!で検索してみると、高知のリフォーム会社やリフォーム関係の日本語サイトが出てきますが、僕の考える本質的な概念とは若干違うようです。

僕が考えるReconceptとは、「再概念」です。

もともとある概念を再度、概念化する作業のことを指しています。

簡単にいえば、もう一回考え直してみるということです。

リフォームや建築関係のサイトがかかってくることも実は納得がいくのです。ニュアンス的にはRestructure(再構築)に近いためです。ただ、言葉の意味合い的にはReconceptのほうが強いです。なんせ、形だけを変えるのではなくその意味あいすら変えてしまおうというのですから。

今の世の中で、まったく新しい概念はなかなか生まれにくくなっています。それは、これまで数多くの概念を先人達が作り上げてきたからなのです。

高度に文明が発達すれば、概念の多様化にも限界が生じてくるのです。

一見新しい物の見方のように見えるものが実は、Reconceptされたものだというのが結論です。

人類が有史以来2000年以上にかけて培ってきた概念は、今の豊かな生活を与えてくれました。しかし、人類はより進歩を望んでいます。人間は欲深き生き物なので、今よりももっと幸せになりたいのです。

それが罪だというのならば、人類の進歩は減速していくでしょう。しかし、自分の欲望と向き合い、そして正しい方向へと向かうことができるのならば、進歩はすべての人を満たしてくれます。

Reconceptによってそれまでないがしろにされてきた価値観やモノの見方が、もう一度見直されつつあります。知らない人にとっては、まったく新しいものに見えるかもしれませんが、知っている人にとってみれば、それはまさしく再概念なのです。

マルコ式ダイエット法

  • Posted by: マルコ式
  • 2008年6月17日 13:49
  • 詭弁論考

事後報告ですが、ダイエットに成功しました。

6か月で7Kg減量です。

マルコ式ダイエット法は、やらないことを決めるのがポイントです。

何をやめたかというと、夕食を食べることをやめました。

「夕食を抜いたら体に悪いんじゃないの?」という人もいます。

夕食を抜くことよりも過剰にカロリーを摂取していることのほうがよっぽど体に悪いんです!

成人男性が必要としている1日のカロリーは2,000Kcal~2,500Kcalといわれています。しかし、現実的には3,000Kcal~4,000Kcalもとっているのです。

「いやいや、それはないでしょ。いくらなんでも4,000Kcalって」

たとえば、仕事帰りにちょっと一杯飲みに行ったりしますよね?それだけで1,000Kcalは摂取してしまいます。

現代人の食生活では、3食まともに食べると、3,000Kcal以上は摂取してしまう計算になります。

それだけですでに500Kcal~1,000Kcalはオーバーしているのです。

つまり、1食分は確実にオーバーしている計算になります。

 

それまでの自分の食生活における1日当たりの摂取カロリーを実際に計算したところ、平均3,500Kcalでした。

確実に約1,000Kcalはオーバーしていました。しかも、仕事がらお付き合いというのも多く、月に何度かは飲みに行くのですが、飲みながら食べていると確実に2,000Kcalは摂取しています。ビール中ジョッキ2杯で400Kcal程度あり、居酒屋のつまみはたいてい油ものが多いため知らず知らず1日分のカロリーを摂取していた…なんてこともあります。

 

ちまたでは、レコーディングダイエットという食べたものを記述していくダイエット方式がはやっていますが、基本的な考え方はこれと似ています。重要なのは摂取カロリーを意識するということです。

レコーディングのようなまめな作業が私は苦手なので、そもそも摂取カロリーをオーバーしているのであれば、それを摂取しなければいいという発想に行きついたのです。

かなり極端ではありますが、確実に痩せられます。

 

よくある質問で、「夜抜くのはつらくないですか?」というものがあります。確かに、つらい時もありました。はじめの3か月は、断食をイメージしていました。4ヶ月目は、飢餓に苦しむ子供たちを意識しました。5ヶ月目ぐらいには6キロのダイエットに成功したので、ルールを決めました。

200Kcalまでは、許容範囲としたのです。

ちなみに、ビール中ジョッキ1杯は約200Kcalですが、毎晩ビールは飲んでいません。

飲んでいるのは野菜ジュースです。

これもカロリーがあるんです。ちなみにコンビニで売っている野菜ジュースは約70Kcalぐらいあります。他には、乳酸菌飲料(100Kcal)なども飲みます。

なぜ、200Kcalなのかというと、朝と昼をついつい食べ過ぎてしまって2,000Kcalだったとします。しかし、よる200Kcalと決めておけば、決して2,500Kcalを超えることはありません。

 

はじめ意識していると、そのうちそれが無意識にできるようになります。半年間続けてみて、よる食べないのも今では当たり前になってきました。食事に幸せを見出す人には、酷な話かもしれませんが、聖書の7つの大罪の一番はじめに出てくるのは「暴食」です。

宗教は、人間が正しく生きる道を説く哲学だとすれば、あながち間違ってはいません。

ツンデレ反応

  • Posted by: マルコ式
  • 2008年6月 8日 13:56
  • 詭弁論考

素直な人の反応は、基本的に、直球ですが、すべての人が素直かというとそうではありません。素直じゃない人もいます。

そんな人の反応をツンデレ反応と呼ぶことにします。

ツンデレとは、オタク用語として生まれた言葉ですが、最近では結構使う人が増えてきたような気がします。(自分の周りだけ?)「普段はツンと澄ました態度を取るが、ある条件下では特定の人物に対しデレデレといちゃつく」ことだそうです。

変な話ですが、かなり使える言葉であることは間違いありません。実際そんな人はいますし。

ただ、ツンデレ反応自体は健全な反応とは言い難いです。これも、自分に依存する気持ちがそういう反応を取らせるのだと思いますが、その反応の受け方によっては、相手に誤解を与えかねないからです。

Emotional Intelligenceが高い人であれば、その反応を見て、「素直じゃないなぁ」と思うのでしょうが、Emotional Intelligenceが低い人だと、「( ゚Д゚)ハァ?」となるわけです。

たとえば、小学校で好きな子に意地悪をする男子生徒を想像してみてください。

された子は「何でこんなことするの?」と思うわけですし、自分自身も「なんであんなことをしちゃったんだろう…」と思うのですが、子供だからEmotional Intelligenceが低いだけともいえるのですが、大人になってもそんな人はいます。

そういう人に共通しているのは、当事者間の反応よりも周囲の反応を気にしてしまうのです。特に、小学生の場合、周囲に好意を悟られるとその中に必ず冷やかす輩がいます。たいていは男の子ですが、その子は、恋愛という反応を持ち合わせていないため、その反応にただ興味を示しているだけなのです。

大人になると、それはいわゆる世間体として意識されます。周囲の反応=世間体なのです。世間体ばかり気にしてしまうと、結果としてツンデレ反応に陥ってしまいます。

立場のある人やプライドの高い人などは、ツンデレ反応を起こしやすいです。もし、仮に世間体を悪化させる事態に陥った時、こういった人たちはどういう反応をするかというと、まず、自己の内的反応としては、恥としての罪悪感を持ちます。そして外的反応は、相手の否定につながっていくのです。

小学生にとっては、小学校が社会生活の基盤ですから、そのコミュニティーの中で立場を悪化させることは、自分に対してデメリットがあると考えるわけです。大人の場合も同様です。あるコミュニティーの中で立場を悪化させることによって、自分にデメリットがあるのではないかという不安が、ツンデレ反応を引き起こします。

しかし、一歩そのコミュニティーを出てしまうと、世間体などというものにこだわらなくてもよいのです。

愛するがゆえにしっかりときついことを伝えなければならない時もありますが、それは別です。ただ、そこにもEmotional Intelligenceが作用するわけですから、それすらも予測して、伝える必要があるのです。

Emotional Intelligence

  • Posted by: マルコ式
  • 2008年6月 8日 12:52
  • 詭弁論考

一般的には

Emotional Intelligenceは心の知能指数と言われ、自己や他者の感情を感知したり、自分の感情をコントロールする技術を測る指標等といわれていますが、定義はまだはっきりしていません。

でも、それが高ければ人間関係を円滑にすることができるのは、わかると思います。

基本的に学者の先生たちは、事象を難しくとらえ、難しい言葉を使って論文を書くのが仕事なわけですから、我々一般人にはピンとこないのも当たり前です。

しかし、それは考えすぎなだけです。もっとシンプルに物事をとらえようと思えば、いくらでもそれは可能です。

 

反応予測とコントロール

私が考えるEmotional Intelligenceは、反応予測能力です。

反応とはとは、ある出来事や動作などに対する他者の動作などの応答といわれています。

人は、意識的にしろ、無意識的にしろ常に様々なものに対して反応しています。

  • 朝目覚まし時計が鳴る→起きる
  • おなかがすいた→朝ごはんを食べる
  • 赤信号になった→止まる
  • 朝から怒られた→苛立つ
  • いらだちが抑えられない→ごみ箱を蹴る
  • ごみ箱を蹴る→ごみが飛び出す
  • その光景を見た→びっくりする

もちろん、これ以上の反応を自分自身が起こしていますし、周りにも起こしています。人間の反応は、大きく分けて内的反応と外的反応があるということは、この例からおぼろげにわかると思います。

自分自身の心理的反応の多くは感情によるものです。無意識的反応は反射として表れます。そして、自分の行動はすべて外的反応を生み出します。

これが、人間関係であり、社会はこうした個々人の反応によって形成されているのです。

あの人が嫌いだと思えば、実はその人も嫌っていたりします。なぜならそれが行動に表れていてその行動に対する反応が嫌悪感なのです。そして、嫌いだという感情自体は自己の心理的反応によるものです。なぜ嫌いなのかについては、いろいろと理由はあると思いますが、その原因は外的環境からのフィードバックが多いのです。

人に対して好意を持つことも、外的反応からのフィードバックです。他者が好意的に接してくれると、その人に対しての反応も好意的になるわけです。ですから、人から好かれたいと思っている人は、まず人に好意的に接することが肝要です。

しかし、期待した反応が返ってこないことも十分あり得ます。

たとえば、好きな人に好きだと告白しても、相手が嫌いだという状況はあります。

それは相手の反応を予測できていなかった、もしくは反応の予測に大きな誤差があった場合に起こります。

この現象はいわゆる「空気が読めていない」ことにほかなりません。最近の俗語的な言い方をすれば、KYといいます。

なぜ反応が予測できなかったのか、もしくは大きな誤差を生んでしまったのか。それは、自己を優先してしまったからです。反応の予測がうまい人は、まず他人本位で話したり、行動します。

社会生活は人の反応の上に成り立っているわけですから、相手の反応をまず先に考えると、自分が何をすべきかが見えていきます。それに合わせて行動すれば、特に大きな誤差などは起こり得ません。これは断言します。

しかし、反応が悪い方に向かっているときは、あえて良い方向に修正する必要もあります。これを行わないと、そのまま人の反応に流され、そして関係はより悪化してしまいます。

Emotional Intelligenceは、感情のコントロールといっていましたが、それこそが、人の反応を良い方向に修正するためコントロールにほかなりません。

人の反応についての予測とコントロールという発想であれば、簡単なアンケートによる計測が可能になります。

 

反応測定

たとえば、あなたはこんな時どんな反応をしますか?

  1. 上司に怒られた
    1. ムカつくが口答えはしない
    2. 反論する
    3. いきなり殴りかかる
    4. 素直に受け止め、悪かった点を見直す
  2. 好きな人ができました
    1. とりあえず告白する
    2. よく知るために尾行する
    3. とりあえず話しかける
    4. じっと見つめる

1は、わりと簡単だと思います。しかし、実際の反応はどうでしょうか?2については、難しいと思う人もいるかもしれません。でも、尾行はいけません。それを世間ではストーカーと呼ぶのです。とりあえず話しかけるぐらいが一番妥当でしょうが、実際最も効果があるのは、じっと見つめることです。

実は、相手の目を見るという行為自体が、相手に対して好意的であるという反応なのです。好意がなければ、まず、相手の目を見ません。嫌な上司や先生などに怒られているときは、まず相手の目を見ようとしません。それも反応として表れています。

日本においては源氏物語の時代から、相手の目を見ることが好意的反応だということは言われています。源氏物語にある「まぐわい」というのは、「目合」と書き、目を見て愛情を知らせることなのです。今では、そこから何段も飛ばしてしまって、いきなり男女の交際、果ては性交などという卑猥な意味になってしまっていますが、そもそもの意味は違うのです。

 

過剰反応

こうしたことを理解して、相手の反応を予測し行動できる人が、Emotional Intelligenceの高い人なのですが、突発的な事象に対しての反応は誰でも一緒です。

まずは、びっくりするのですが、そのあと自分に対して損害のあることに対してはすぐに怒りの反応が出てきます。そして、その事象を起こした人を激しく非難します。もしくは、言い争いになるでしょう。しかし、これは突発的な事故と一緒で、防ぎようがありません。いわゆる想定外の出来事がおこってしまうのです。毎日の反応を計測したわけではないので、はっきりとは言えませんが、確率的に飛行機が落ちる確率(1/200,000)と同じだとしても、反応回数が多ければ衝突する確率も高くなります。

いつも誰かと衝突している人は、神経過敏で人の倍以上は反応しているか、反応の度合が大きいため、確率が同じだとしても、そうした結果を生み出してしまうのです。

逆に、反応回数の低い人や反応の度合が小さい人は、「おとなしいよね。」とか、「何か、いつも反応薄いよね」などといわれます。

それがあまりにも過度だと、精神病といわれてしまうのです。(まぁ、実際、病気ですけど)

 

Emotional Intelligenceの高め方

Emotional Intelligenceの意味と、計測方法などについては、先に説明した通りですが、これは、後天的に伸ばすことが可能です。そもそも、先天的に高い人はいません。

赤ちゃんの反応は誰でも一緒なわけですから。いきなり成人で生まれてくる人がいない以上、スタートラインはみんな一緒なのです。

ちなみに、赤ちゃんの反応は・・・

  • お腹がすく→泣く
  • うんちをした→泣く
  • うれしい→笑う
  • 嫌だ→泣く
  • 好き→笑う

泣くか笑うしかないんです。

こうした反応を見て、お父さんやお母さんが、その子の面倒をみるわけです。はじめは、何をしていいのかわからないですが、次第に、何をしてほしいのかが自然とわかってきます。

これは、相手の反応予測ができるようになったからなのです。もう少し、子供が大きくなると、また違った問題が出てきます。特に好奇心が旺盛な3歳~5歳ぐらいまでは、ギャングのような存在です。赤ちゃんのころに比べて、この時期になると、反応のバリエーションが増えてきます。しかし、善悪の区別がつかないため、反応がコントロールできません。ですから、しかってやるのです。そうすることによって、反応をコントロールします。

健全な人間は、こうして年を重ねるごとによってEmotional Intelligenceを高めることができるのです。

しかし、そうしたことをせずとも、Emotional Intelligenceを高める人もいますし、飛びぬけて高い人もいます。

高めたい人はまず、身近な人に何かプレゼントをしてみてください。しかし条件があります。プレゼントは、相手が心から喜ぶであろうものに限ります。そして、相手の反応を見てください。

あまりうれしそうでなかった場合、次はもっと喜びそうなものをプレゼントしなければなりません。

かなり喜んでくれたら、また別の人にプレゼントをしてみてください。

それを繰り返すだけで、自然とEmotional Intelligenceは高まっていきます。

人の想像力が世界を救う

  • Posted by: マルコ式
  • 2008年6月 6日 22:59
  • 詭弁論考

最近、想ったことの一つに、「未来を想像しなくなったなぁ」ということがあります。

単に、仕事が忙しくてそんなことを考える暇がないとか、大人になったら、あんまりそういうことを考えなくなったということもあるのかもしれませんが、文化や芸術、音楽などを見ても「未来に対してのイメージが突飛なものではなくなった」と言えます。

今よりももっと、未来を想像していた時代、特に1970年代から2000年代において、それは顕著にあらわれていました。近くて、遠くの未来、そして新世紀。この20年間のなかで様々な未来への切望を文化や芸術などで表現する人も少なくなかったのです。

逆に、終末思想というものもこのころから出始めました。いわゆる「恐怖の大王」説です。空から恐怖の大王が舞い降りて世界が終るという類の話ですが、部分的に紛争や自然災害などは起こっているものの、世界規模での戦争や自然災害は今のところおこっていません。(これからも起こらないことを切に願います)

特に日本においては、失われた10年といわれる1990年代以降、未来に対しての不安ばかりが助長されているような気がします。そして、新世紀に入り、それはますます加速しています。

特に最近は、原油高による物価の上昇は先が見えず、不安要素は増すばかりです。また、各地の大地震。これによっても多くの人命が失われています。

しかし、それもまた少なからず「人々が望んでいた結果なのかもしれない」ということに最近気づきました。平和で安全が保障されている人たちの中には、この平和がずっと続けばいいと望んでいる人と、何か悪いことが起きないかと考えている人がいるのです。前者は、現在の生活に満足のいっている人たちで、後者は現在の生活に満足いかず、かつ自己本位ではないのです。言い換えれば、それは無責任ということです。

世の中におこっていることはすべて、人の想像力の具象化に過ぎないと仮定すれば、悪いことを考えると、それがまさに現実となり、良いことを想えばそれが現実化するのです。

世の中すべての事象はすべて微妙なバランスの上に成立しています。陰と陽の関係がそれをよく表していると言われていますが、それはひとつの真実です。光が強ければ強いほど影も濃く、大きくあらわれるわけです。ただ、それはすでに現実世界で貧富の差として表れていますが。

地球上の多くの人たちが、「こんな世の中、嫌だ」と想うようになると、それが現実のものとなり、世界を変えるほどの変動が起こりえるということです。過去の歴史の中において、そうした変動は革命や戦争という形で具現化し、そのたびに今まで築き上げてきたものを一瞬で破壊してしまいました。

それが歴史の真実ですから、人の想像力は、個々人が思っている以上に大きいことがわかります。自分一人が、思っている以上に自分の考えや想像力は、自分の外的環境に大きく影響を与えているのです。自分が望んだ以上の生活はできませんし、それ以下の生活もしていません。今ある環境はすべて自分が考え行動した結果に過ぎません。

よりより方向へと誰もが望めば、結果はよりよくなりますし、逆もまた、しかりです。それは、戦後の経済復興という形で特に日本人は具現化してきました。しかし、豊かになったことによって、悪い考えの人も増えてきたのは事実です。様々な事件もまた、そうした考えを具現化した結果に過ぎません。

誰もが心に平安を持ち、幸せに暮らせる世界は、それを誰もが心から望んでいれば、必ず実現します。

競争の先にあるものは…

  • Posted by: マルコ式
  • 2008年5月28日 10:18
  • 詭弁論考

競争の先にあるもの。それは、「敗北」です。これは、競争をし続ける限り必ずそこに行きつきます。

そもそも、勝つか負けるかでしか判断できないわけですから、敗北が起こる確率は半分あるわけです。ただ、その確率を減らす努力をしているから、勝っていられるだけの話であって、負ける確率を0にすることはできません。

100回後か1000回後かはわかりませんが、いずれは負けるのです。常に勝ち続けられる人はいません。自分は勝ち組だという人に限って、恐ろしいほどの転落をします。これもまた真実です。

平家物語の冒頭には、「おごれる人も久しからず…」というくだりがあります。

まさに、このくだりが指し示すとおりです。時代を制した平家も敵対していた源氏に敗れ、歴史の表舞台から消えました。その後、平家は一切歴史には出てきません。しかし、その源氏も、繁栄は一時だけだったのです。

競争がもたらしもの、それはいったい何なのか?勝つことに何の意味があるのか?

そうした哲学的なことを考え始めると、競争自体が自己満足以外のなにものでもないことに気がつきます。

競争こそは、人間の人間たらしめる最も本能的部分なのです。

そもそも、競争意識は人間の自己優位性に起因しています。「あの人よりも優位に立ちたい」そんな気持ちが、競争意識を芽生えさせそして、人を競争へと駆り立てるのです。

他者への競争意識は、エゴでしかありません。そんなものに一喜一憂していても、諸行無常なだけなのです。

しかし、自分自身への競争意識は克己へとつながります。「己に勝てば百戦百勝」という言葉もあるように、自分自身に勝つことが本当の意味での勝つことなのです。

逆の言い方をすれば、己に敵を見出していること自体、他者とは競争していないのです。

「負けるが勝ち」とは、そもそも戦い自体を放棄していますが、これもまた、競争の先が見えているからこそ、そもそもはじめから戦わないということです。

われわれ現代人は、仕事の上で常に何かと競争させられていたり、自ら競争しています。しかし、そうしたことの先にあるもはいったい何なのか?それをもう一度考えてみてください。

そこから、競争のない素晴らしい世界が見えてくるはずです。

群衆の叡智

先ごろ、「群衆の叡智」をテーマに、企業や開発者研究者などが集って討論する「群衆の叡智サミット(WOSC) 2008 Spring」が5月21日、開催されました。

2回目になる今回は、『群衆の意見は専門家より正しいのか?』という結論を導くために様々な議論がなされたようです。

詳しくはCNET JAPAN

私の場合、群衆というとD・リースマンの「孤独な群衆」を連想してしまうわけですが、その中にある「他人指向型」というものがまさに現在の状況をうまく説明していると思います。

そして、群衆の叡智というものも、この「他人指向型」の性格のよるものなのではないだろうかと思うわけです。(ここで、孤独な群衆について詳しく説明してしまうと、かなり膨大なレポートになってしまうので、まずは書籍を読んでみて下さい)

他人指向型の人は、常に他者とのかかわりを気にしているため、他者との関係が良いか、悪いかが、彼らの行動の基準になります。

インターネットは常に他者とのかかわりを気にしなければならない状況を生み出しています。それが、良い方向に働けば、叡智として人々にとって有益なものになるのですが、悪い方向に陥った場合、衆愚を生み出しかねません。

 

…そういえば、こんなことを、大学でやったなぁ~などと、ふと思いだしてしまいました。

オブジェクト思考?

オブジェクト指向といえば、何か難しい話なのでは…?と思わず距離を置きたくなってしまいますが、それほど考え込むようなことでもないのです。

あまり興味のない人にとって見れば、こんな話は何にも役に立たないかもしれませんが、一つの考え方として覚えておくことにこしたことはありません。意外とプログラミング以外の仕事で役に立つ場面があるかもしれません。

もう5年以上も前の話になりますが、プログラミングをかじっていたとき、このオブジェクト指向というものに出会いました。初めて、「オブジェクト指向」という名称を聞いた時、新しいプログラミング言語のことだと思ったのも今では懐かしいです。(あながち間違いではありませんが)

そもそも、オブジェクト指向なんなのか?ということですが、これは、システム開発を楽にするための技術です。もっと具体的に言うと、昔、書いたプログラムを再利用できるのです。

まったく同じ要件であれば、システムそのまま再利用してしまえばいいのですが、クライアントによって要件は千差万別で、すべての要件を満たした上で、まったく同じシステムをほしがる会社はありません。同じ業種だとしてもその会社ごとにやり方や考え方が異なります。経営理念が同じ会社だとしても、そこにいる人たちの指向性が違えば、おのずと要件も変わってくるのですから。

オブジェクト指向についての詳しい説明は、「オブジェクト指向」でググってもらえばいくらでも出てくるので、ここでは省きます。

今回、タイトルにわざわざ「オブジェクト思考」と銘打ったのは、この考え方が、一般の業務でもかなり役に立つ考え方だからです。

オブジェクト指向で開発を進めるときにまずはじめにやることは、業務分析です。今行っている業務を基本的な動作にまで落とし込んで、考えていきます。

たとえば、おいしいご飯を炊ける炊飯ジャーの制御システムを作るとします。

おいしいご飯の炊き方は、「はじめチョロチョロ、中パッパ、赤子泣いてもふた取るな」という原則が存在しており、その原則に従って考えてみると、

  1. 弱火で加熱する(はじめチョロチョロ)
  2. 強火で加熱する(中パッパ)
  3. 蒸らす(赤子泣いてもふた取るな)

といった一連の動作が見えてきます。電子炊飯器などといった便利なものがなかった時代、みんなカマドでご飯を炊いていたんです。

今の電子炊飯器には、この原則が組み込まれているわけですが、これも「ご飯をおいしくたく」という一連の動作を分析した結果、プログラムが書けるようになるわけです。

ここからもわかるように、業務分析のポイントは、全体を把握してから部分を切り出していくところにあります。プロセスだけを把握するわけです。

プログラムの分野だけに限らず、この手法は、さまざまなところで応用が利ききます。

たとえば、おいしい料理とまずい料理の違いを見るときや、儲かる会社と儲からない会社の違いを見るとき、成功する人と失敗する人の違いや、モテるひととモテない人の違いなどなど…人が行ういかなることも、プロセスを見ていくと、たいていのことは分かってしまうものです。

結果が芳しくない時、必ずプロセスのどこかに問題が潜んでいることは明らかですが、それをうまく把握するためには、こうした分析手法はとても役に立ちます。逆に、良好な結果のプロセスを分析し、クラス化しておけば、似たような結果が求められるケースの場合にそのクラスをそのまま再利用できるわけです。

たとえば、先ほどの電子炊飯器の例を使って、今度は、パンを焼いてみます。

  1. パン生地を炊飯器に入れる
  2. 常温で1次発酵させる
  3. 温めて2次発酵(“蒸らす”を再利用)
  4. 取り出しガスを抜く
  5. パン生地を炊飯器に入れ焼く(“強火で加熱する”を再利用)

だいたいこんな感じでしょうか、さっきご飯を炊くときに使った部分が2つも再利用できました。

ちなみに、電子炊飯器でパンを焼く方法については、以前テレビでも紹介していましたので、本気でパンを焼きたい人はググってください。

同じように、ケーキも焼けますし、カステラだって作れます。結果は違いますが、プロセスは部分的に再利用可能なところがいくつもあります。

こういう思考法を持っていると、答えを導くまでのスピードが全然違います。特に、求められる答えが人によって違うようなケース(コンサルティングなど)の場合は、恐ろしく力を発揮します。

システム開発だけに使っているのはもったいないぐらいすばらしい概念なので、これこそ、ほかの分野で再利用すべきだということです。

No Needs, No Sales

営業という仕事は、断られるのが一つの仕事のようなものだと誰かが言っていましたが、まさに、その通りだと思います。

何回断られたのか?それが重要です。たいてい100件ぐらい断れれると開き直ってしまうものですが・・・。逆に、開き直るぐらいじゃないとこの仕事は続きませんが。

ただ単に、「断られた」ということだけに注目してしまうと、実は何にもなりません。なぜ断られたのかをすべて考えていくと、お客さんが本当に必要としているものが何なのかというところが次第に見えていきます。

私が、前の会社にいたときに新人にまずやらせたのは、電話帳のリストと電話のかけ方のマニュアルをわたし、ひたすら電話をかけさせることでした。それをだいたい1か月ぐらいやらせます。そうすることによって、電話に対する恐怖心をなくすばかりか、アポイントの取り方を体に覚えさせることができます。

ちなみに、電話営業で重要なのは、電話でクロージングするのではなく、アポイントを取ることのみに焦点を絞ることです。

また、今の会社に入社してはじめに行ったのは、企業リストの制作でした。そして、入社2日目からは、そのリストを持って飛び込みに行きました。

誰かにそれをしろと言われたわけではなく、自分から考え行動したのです。なぜなら、そうすることが最も最良の手段だと思ったからです。

飛び込みを行った理由は2つ。

  1. 移動にかかる時間(距離感)をつかむため
  2. どんなニーズがあるのか?

東京と違い、移動はすべて車になります。とすると、電車で移動する感覚では時間に間に合わない可能性もあります。特にアポイントを取って動くとなった場合に、時間感覚がないとうまくスケジュールも組めません。ですから、次の行動計画を策定する上で移動にかかる時間を測定しておく必要がありました。

次に、どんなところにニーズがあるのか?という部分です。それは、言って聞いてきたほうが早いです。こちらで思っていても、実際はそうでないということは多々あります。そうした思いこみを持つことも時には必要だと思いますが、それだけで行動していては、具体的な成果は上がりません。

そして、結果はどうだったか?

  1. 効率的に動けるスケジュールが組めるようになった
  2. 新商品を開発した

これによって、ようやく売上らしいものが見えてきました。

…とここまでだと、ふつうのサクセスストーリーで終わってしまいますが、実はここからが今日の本題です。

飛び込み営業と電話営業を2人で手分けして行っていましたが、それはそれは、実績の上がらないつらい日々でした。非効率ですし、断られることだって決して気持ちのいいものではありませんし。

このときはとにかく数をまわることだけに集中し、どんな小さな個人商店でも決裁権者と会えそうなところはだいたい回っています。かなりの数あたっていると、そのうち2,3件は運よく受注できたりもするのですが、それはラッキーだったと思うべきです。

断られるのに慣れてきたころに、断られ方にも何種類かあるということに気がつくようになります。それを分類していくと、以下のような形になります。

  1. 話を聞くだけの時間(余裕)がない
  2. 人見知りであまり人と話したがらない
  3. まったく興味がない

ざっくりと分類すると、こんな感じです。

1と2は実はかなり見込みがありますが、3は見込みがありません。そこに対して時間を使ってはいけないのです。これこそが、No Needs, No Salesの原則です。 「需要のないところに販売なし」というのがこの発想です。

「晴れた日に、傘を買ってくれと言ってもだれも買わないが、雨の日に傘を買ってくれと言えば、瞬く間に売り切れてしまう」

こういうと、もっとわかりやすいですが、意外とこれが見えていない人が多いのです。押し売りになってしまっていませんか?

ついでに1と2についても解説します。もともと、飛び込みで行っているわけですから、忙しいのは想定内です。しかし、「今日は時間がないから」と言われたらしめたものです。

「突然おじゃまして、申し訳ございません。また日を改めますので、いつ頃ですとご都合がよいでしょうか?」

と聞けるのです。そこで、もう来なくていいよ。と言われれば、もう行かないだけですし、アポイントが取れれば、かなり受注に大きく近づきます。

2つ目については、たいてい初めて会う人に対する対応というのは、そんなものです。しかも、飛び込みなわけですから、普段から訓練していない人ですと、まずは対応に困ります。接客業のお店は、飛び込みの人に対しても基本的にいい対応をしてくれます。なぜなら、飛び込みで来た人であろうと、そのお店にとってのお客様になる可能性はかなり高いわけですから。(しかもそれを理解しているお店は、繁盛しているんです…当たり前ですが)

営業でまずやるべきことは、ニーズの把握です。

そもそもニーズのないところに一生懸命セールスを行っている人が大勢いる、という事実に気づいている人は少ないです。

何をどこに売るのか?というのは、あまり重要ではなく、ニーズがあるのかどうかが最も重要です。

ニーズある所にセールスがあり、セールは市場を生みます。

意外と発想として多いのは、誰にどんな商品を売るのか?ということです。しかし、それもニーズがあることが大前提なわけです。しかし、その前提が不確かなままにマーケティングや商品開発を進めてしまうと、まったく売れないわけです。だって、そもそもそこにニーズはなかったんですから。

ニーズの見えないままに進めていったとしても、後で必ずニーズの洗い出しをしなければなりません。そんなことだったらははじめから行っていたほうが、効率的なのです。

それに、後から…あとから…と思って先延ばししてしまうと、結局後になってもやることはありません。原因としては時間的な問題と、気持ち的(モチベーション)な問題です。
はじめのうちは時間もありますし、仕事に対するモチベーションも高いですが、それらは仕事を続けていくうちにどんどん削られていくのです。そうならないうちにも先にやっておくことをお勧めするのです。

ニーズはどこにあるのか?

昔、「チーズはどこへ消えた」という本がベストセラーになりましたが、考え方はそれに似ているかもしれませんね。

紙の上で考える

情報を整理するとき、自分の頭の中で考えるとうまく整理されません。

自分の頭の中で考えられるのは、アイディアだけです。ただし、アイディアというものは、頭のなかにあるうちはとても良い物のように感じますが、一度外に出した瞬間から陳腐化していきます。

アイディアを外に出すというのは、一般的に紙に書くことをさしますが、それはブログであってもいいわけですし、何らかの文章や箇条書きなどでもかまいません。

そうした作業を経てもなお、陳腐化しないアイディアこそが、本当のアイディアなのです。

どんな仕事でも、知的生産を行う場合においては、常に良質なアイディアを求められます。そしてそれに応えられなければ報酬は得られません。

紙に書くことが良いアイディを作る上で最も良い方法であることは、さまざまな書籍で述べられている通りですが、それを実践している人はあまりいません。自分の頭の中だけで終わってしまうのです。

アイディアは、例えるならシャボン玉の泡のようなものです。

シャボン玉の泡は、すぐに消えてしまいますが、それを残す方法があります。その方法とは、写真を撮ることです。

もっとも単純で簡単な方法ですが、シャボン玉をそのまま残しておくにはどうしたらいいですか?という質問をすると、いろんな答えが返ってくるでしょう。それが考え方になるわけですが、その考え方自体も、豊富なアイディアの副産物であるのです。

アイディアを紙に書くこと自体は、シャボン玉を写真で撮っておくことと似ています。実際にシャボン玉を写真に撮ってみてください。携帯の写メでも十分です。写真の良しあしは画素数の問題もありますが、それよりも光の加減やタイミングです。ですから、素人でも100枚ぐらい撮れば、その中から1枚か2枚ぐらいはいいと思われる写真が見つかるはずです。

それを、アイディアで試してみるとどうなるでしょうか?

100個のアイディアを生むのには相当な時間がかかりますが、20個ぐらいであればどうでしょうか。1日20個のアイディアを考えてみると、1か月で約600個のアイディアになり、1年では7,200個、それを3年続ければ21,600個のアイディアが生まれる計算になります。

21,600個ものアイディアを整理していく時、どうやって整理しましょうか?

紙に書いておかなければ、うまく整理はできないでしょう。

どんな天才でも、どんなに記憶力がよくても頭の中でそれをしようとしてもそれはできないはずです。なぜなら、人間は忘れるように脳の構造ができているからです。

忘れてしまわなければ、次の情報が処理できません。そのあたりがパソコンの処理と似ています。

情報を整理するときも、紙の上で整理していくことは必要です。

紙に書くことの良さは、人に見てもらえるということです。人に見てもらうことによって、その人との認識を合わせていきます。でないと、後になって「そうは思っていなかった…」などという事態に陥るのです。

もっともシンプルなことですが、これがなかなかできません。

しかし、これが最も大切なことはみんな知っているはずです。

マルコ式就活必勝法

4月と言えば、新学期、新年度といった期の変わり目。会社では新入社員の入社式などが執り行われているかと思います。

特に新卒の人たちにとっては、就職活動を経て初めて入る会社となるわけですから、期待や不安もあることでしょう。

私が就職活動を行っていた時は、ちょうど就職氷河期のまっただ中で、就職率が最も低かった年でした。その数年前から就職が非常に厳しい状況で、20社、30社受けても内定は一切もらえないという人もざらにいましたし、すでに就職自体を放棄してしまう人もいました。最悪のケースになると自殺というところまであったぐらいです。(この失われた10年の間にニートやフリーターは増産していったわけですね)

そうした状況のなか、企業の採用のあり方にも問題があるのではないだろうか?と思いつつ、自分と同じ状況にある人たちの手助けをしたいという想いから人材系の会社に就職したのです。(インターンシップをしていたところにそのまま流れで入ったような感じですが)

現在はインターネットの仕事に従事していますが、やはりこの時期になると、どうしても就職活動についていろいろと思いだしてしまいます。

自分のやりたい仕事が明確だと、それに向かって突き進むだけなので案外わかりやすいですが、意外と自分のやりたいことは分からないものです。まずはここからスタートしなければなりません。

実際、私も本当にやりたい仕事を見つけるのに仕事をして3年かかり、そしてそれができるようになるまでやはり3年かかっています。

自分の場合は、大学4年生のときにはある程度自分のやりたいことは見つかっていました。それは、今しているインターネットにかかわる仕事です。具体的にはホームページの制作やWEBマーケティングの提案などがそうです。でも、はじめのうちはシステム開発をしたかったというのものありますが。。。

はじめは別の仕事に従事していましたが、自分の強みはどこでもインターネットやIT関連です。人材の仕事をしていた時も、SEやPG、PMなどといった人たちの紹介を中心に行っていましたし、社内のネットワークの設計・管理と管理システムの開発なども行った記憶があります。(現在は、外注でしょうけれど)

もちろん、人材の面接も積極的に行っていました。もともと、人と話をするのが好きですし、初対面の人とでもすぐに打ち解けられる性格なので。

人材業というと、今では一大マーケットが存在しており、斡旋企業を介在せずに採用を行うのは困難とまで言われるぐらいです。広告主体のビジネスモデルから、実際の紹介までを行う企業まで様々ですが、私は後者に携わっていました。

人材を紹介する上で、最も気を使うのがマッチング(面談)のときです。このときばかりは、自分を売り込むことはできませんし、互いのやり取りを黙って見ているしかありません。営業で仕事を取ってくるほうがよっぽど楽だと思わされる瞬間でもあります。

面接前に必ず3つの約束というものを教えていました。これは、上司に教わった話ですが、面接で注意すべきことが3つあるのです。

  1. 明るく元気にあいさつをする
  2. 質問に対する受け答えは常にポジティブにハキハキと
    (わからないことは分からないと答える)
  3. 笑顔を忘れない

これだけ押さえておけば、たいてい面接では通ります。

面接で会ってくれるまでには、履歴書やアピールポイントなどをあらかじめ先方にお話ししているわけですから、面接での印象がよければ基本的には採用されるわけす。

とすると、面接まで行くための過程である履歴書やアピールポイントの作り方が重要になってくるのですが、これも実はやり方があります。

この方法は、SWOT分析と優先順位、目標設定の練習によってできるようになります。当時作ったフォーマットがあるので、ほしい人はそれを見て実際に行ってください。

Self Check Sheet.pdf

これを3回ぐらい行うことによって、具体的な方向性やビジョンが明確になり、自分探しに行こうかどうしようか迷っていた人でも自分を簡単に見つけることができます。

このシートには3つのメリットがあります。

  1. 書きながら考えることができる
  2. 目標や目的、やりたいことが明確になる
  3. 80%以上成功する

実は、このシートを書き続けること自体が目標達成につながる作業なのです。

まず、第1の「書きながら考える」というのは、効率よく頭を使うのに適した手法です。ある程度は、先に考えておく必要もありますが、書くことによって、具体的に自分の考えはまとまりやすくなります。私が長年ブログを書いているのも、この手法が最も最良だと思っているからです。

また、書いておくことによって後で確認ができるところも大きいでしょう。

2つ目の「目標や目的、やりたいことが明確になる」ということも、結局は書くことによって導き出される必然的答えなのです。もう一つ付け加えるのならば、この自己分析シートはマーケティングメソッドを応用しているため、分析するには最も適した形になっています。

問題は、現状が見えてくれば50%は解決しています。それは、どんな問題でも同じですし、コンサルタントがまず行うことはこの現状把握なのです。

3つ目は、結果です。このシートがいいと思って続ける人の8割は、成功します。というのは、目標を立ててそこに向かっていく過程こそが成功ですから、このシートを書き続け、そこに向かって動き始めれば自然と結果はついてきます。ただそれだけのことです。

たいていの人は、書くことによって頭が整理され行動に移れるようになりますが、2割の人は書いて終わりです。書くだけの人は必ず2割存在しますので、結局8割の人しか成功しません。

前職では、学生にこのシートの使い方をレクチャーし、コーチングまで行っていましたが、そこまでやれば間違いなく成長していきます。ただ、問題は開発した人しか正しい使い方を知らないということでしょうか。結局はレクチャーやコーチングまでを体系化まではしませんでした。結局、ノウハウを自分だけのものにしたかったのかもしれません。

今となってはバカバカしい話ですが、その当時は、ノウハウは他人に教えるべきではないという考え方を持っていました。まだまだ若かったんです。そして、気持ちも小さかったわけです。

レクチャーやコーチングの手法については、ここでは書けませんがいずれまとめて書いていこうと思います。

最後に結論として、企業側がどんな人材を求めているのか?それがわかれば基本的にどこでも採用は可能でしょう。

企業は利益を追求することが存在意義であり、それこそが目的であるとするならば、儲けられる人がほしいですよね。

10年という歳月

10年という歳月の中で、とてもいろんなことを学んできたようにも思います。10年前に書いた日記を読み返すことによって、それがはっきりと認識できるのです。

目標は紙に書いておくと達成するという成功哲学を知らない時分から、書き始めたものの中には、すでに達成したものもいくつかありました。

ひとつは、大学受験。

ちょうど、その時の目標はそこに集約されていたようにも思います。順調ではなかったにしろ、念願かなって大学に入学し、卒業を迎え、今ではそんなことを振り返ることもなく生活しています。

目標を達成することは、このとき学んだような気がします。

大学入学後は、起業家を目指していました。ただ、その時はまだ自身もなく、知識も不十分でまずは勉強をしようと近い、さまざまなビジネス書を読みあさり、成功哲学についても多くの書籍を読みました。

たぶん、その時々で独立するチャンスはいくつかあったように思いますが、不安が先立って結局何もせずにいたのです。

確か2000年ごろだったかと思いますが、楽天の三木谷社長がNHKの取材を受けた番組を見たことがあります。その時はまだ、楽天を今から立ち上げるという準備段階でしたが、それを見ながら、これからはインターネットの時代だと確信しました。

そこから、パソコンを購入し、当時はまだISDNすら新しい時代にインターネットを始めたのでした。それ以降、詭弁論考というテーマもあいまいな随筆を続けてきたのです。

しかし、それ以前は何も書いていなかったのかというと、そうではありませんでした。

実はつい最近までそのことに気がついていなかっただけです。先日、10年前の日記を手にとって見たとき、まさに自分の青春がそこに記されているように感じたのです。だから、内容も青臭いものばかりです。でも、今も多くの青春を謳歌している人たちがいるわけですし、そんな人たちの助けになればと思い、掲載可能なものだけを抜粋していきます。

カテゴリは、手記と題しました。

20歳前後のときは、将来に対する不安と闘いながら、それでも一生懸命に頑張ろうとしている姿がありました。それは、今の人たちもあまり変わっていないかもしれません。

書くこと

  • Posted by: マルコ式
  • 2008年3月 4日 14:04
  • 詭弁論考

勝間和代さんの本を2冊ばかり読み、そういえば、あそこに書いてあった本って、結構読んでるものもあるよなぁ?と思って、本棚を整理していた時に、題名のない一冊の本が出てきました。

それは、高校卒業をまじかに控えた時期から20歳までに書いていた日記でした。

18歳のころいったい何を考え、どんなことを思っていたのだろうか?

かなり興味がわき、改めて読んでみることにしました。

初めの日付は1997.9.26

およそ10年以上前に初めて書いた文章です。

1ページにもみたないないように少しがく然としましたが、「書く」ことに対する決意のようなものが記されていました。

まず最初に日記を書くにあたって、考えなければならいことがあるだろう。

日記というものがどのようなものなのか、それが書き始めるに当たり最も大切なのことではないだろうか?

日記というものは、後になって読み返すことに意義があり、それが本来の趣旨であると考える。

何年かのちの自分に向けての手紙なのだ。

何年かのちの自分に思いをよせて。

かなり堅苦しい始まりは、やはり何年たっても変わらないものだと思います。

それと同時に、日記に対しての定義付けから始めるあたりが、まさしく自分自身が書いたものだと確信できました。

最後の日付は200.5.3となっていました。

ということは、それ以降はインターネット移行したという経緯も見えてきました。

自分のことなのですが、すっかり忘れてしまっており、「あぁ、そういえばそんな感じだったかも?」という程度で、あまり実感はありません。

いまにもまして、難しいことこの上ない内容はもちろんのこと、予備知識がなければ決して読み進めることすらままならない、かなり不親切な構成は若気の至りなのでしょうか。

「20歳前後の頃、よくそんなことを考えていたよな。でもそれは、考えすぎだって!」

と言ってあげたくなるようなことばかりを書いていました。

将来に対する不安や、恋愛はもちろんですが、かなり純粋に社会を見つめていたということです。

もしかすると、誰もがそれぐらいの次期にそうしたことを考えていたようにも感じます。

せっかくなので、ポイントを絞っていくつかこのブログでアップしていこうかと思います。(かなりプライベートなことなので公表できるものとそうでないものとがあります)

いまもまだまだ、稚拙な文章であることには変わりありませんが、10年も書いているわけですから、少しはましな文章を書けるようになったと思いたいですね。

一人当たりの自己資本額1億円。

今日は、アーバンベネフィット株式会社の取締役会長・木村勝男氏の講演を聞いてきました。
内容は、BS経営についてのお話でしたが、これは、木村氏が長年の経験から培ったノウハウの結晶のようなもので、実体験をベースとしたかなり貴重なお話でした。

そもそもBSとは何ぞや?という話ですが、これは、Balance sheet(バランスシート)の略で、貸借対照表といいます。正式な略はB/Sなのですが、あえて木村氏はBS経営としています。

貸借対照表は損益計算書(PL)と並んで、会社の決算書のことです。貸借対照表は、企業のある一定時点における資産負債純資産の状態を表すために複式簿記と呼ばれる手法により損益計算書などと同時に作成され、その企業の株主債権者などに経営状態に関する情報を提供するためのものです。

なぜ、それがバランスシートと呼ばれるのかというと、左右の合計数字がイコールになり、常にバランスがとられている状態で表記されるため、そう呼ばれています。

貸借対照表の項目の詳しい項目については、Wikipediaにありますのでそちらをご覧ください。

木村氏は、バブル崩壊で230億の負債を抱え、そこから現在経常利益10億の企業を作り上げた経営者です。実際、お会いしてみて話を聞いて、凄味を感じました。そんな木村氏はすでに68歳。世代交代もすでに終えており、現在の社長で3人目です。

なぜ、バランスシートが重要なのか?それは、230億の負債を抱えた原因と正面から向き合った時初めて見えてきたといいます。
それまでは、損益計算書を重視し、どれくらい節税できるか?とか、どれくらい売上が上がったか?とか、従業員数はどれくらいか?支店の数は?営業車の台数は?などといった部分を追いかけていたそうです。高度成長期時代はそれがすべてだったわけですが、バブルの崩壊とともに、そうした価値観も一緒に崩壊してしまったわけです。
そして、多額の借金を背負った時、はじめのうちは、ほかに責任があると考えていたといいます。しかし、ある出会いをきっかけにして自分の責任だったということを認識し、「強くてよい会社」という新しい価値観のもと、現在のアーバンベネフィットを作り上げていったということでした。

ちなみに、従業員数は20名だそうです。そして、一人当たりの自己資本額は1億円。
この自己資本額というのは、会社が自由に使えるお金、いわゆる貯金です。

会社の貯金を増やしていくには、経常利益からの毎年の積立によってのみ行えます。出ていくお金からはいくら積み立て用としてもそれは無理な話。会社としての利益を出して初めて会社の貯金は増やしていけるわけです。

自己資本以外にも他人資本というものがありますが、これはいずれ返さなければならないお金なので、借金です。
無借金経営というものもありますが、木村氏は、借金にはいい借金と悪い借金があるとも言っていました。必ずしも借金をしないということが決していいわけではないと。
しかし、借金してビジネスをしていくのであれば、自己資本比率を最低20%にしておかなければならないということです。ですから、仮に20億の自己資本額だとすれば、必要であれば80億を調達して100億までだったらOKということです。
もちろん、それ以上の利益を出さなければならないわけですが・・・。

ここまでの話だけだと、へぇ~すごいなぁ~。で終わってしまいます。
ここからが、私なりの考えの話です。

木村氏の話を聞いたとたん、学生時代に愛読書だったロバート・キヨサキの「金持ち父さん、貧乏父さん」がすぐに頭に浮かびました。そして、これはキャッシュフロー経営のことを指しているのだとわかりました。言い方は違えど、考え方は一緒です。

資本を増やして、その資本をもとに新たに投資し、そして資本を増やし続ける仕組みを作ることが重要だということなのです。
入ってくるお金が資産ではなく、手元に残ったお金が資産なのです。ここが、キャッシュフローのポイントだと私は認識しています。どれだけの自由に使えるお金を手元に残せるのか?

そのためには、入ってくるお金よりも出ていくお金について注意しなければならないです。それは、投資なのか?消費なのか?
後で数倍になって戻ってくるものは投資で、刹那的な出費はすべて消費です。投資をしているとよく耳にするのが、ROAやROEといった指標です。投資家はこれをもとに投資効率を考えます。木村氏もこのROAやROEといった指標がBS経営では重要だと話をしていました。
ちなみに、アメリカ企業の多くはROEが10%以上というのは当たり前。しかし、日本においては、5%以下にとどまっているのが現状だといわれています。
実際投資するなら、ROEが10%以上ないと、リターンはないと考えたほうがいいです。
それは、決して株主だからというわけではなく、そこで働く従業員に対しても同じことなのです。「働けど、働けど、暮らしは一向に楽にはならず。」というのは、この比率が低いことも要因の一つだと考えたほうがいいです。

そうすると、木村氏の言っているBS経営がいかに重要なのか?ということがわかってくると思います。従業員一人当たりの自己資本額1億あれば、年収を一人当たり1000万円払っても10%なのですから、当然、従業員の給与は高くなります。
そうした会社には、優秀な人材が入ってきます。もちろん、はじめはお金という部分もあるでしょうが、そこに理念が加わると、より一層強い会社になると木村氏はまとめていました。

個人としての社会的責任

CSRについては、今の社会状況から発したものだとだれもが理解できるかと思います。そして、今後、企業として取るべき方向性というのも見えてきました。

それは、企業は永続して、自社の商品やサービスを提供し続けることこそが、社会に対する責任だということです。

しかし、忘れてならないのは、企業といってもそれは人が作り出したものであり、企業そのものが人であるということです。

企業に対する責任を考えるとき、そこで働く人たちの責任はどうなるのか?

いまはまだそこまでの議論はあまりなされていないように思いますが、根本的なところとしては、この部分は避けては通れないのではないでしょうか。

それでは、個人としての社会的責任とはなにか?

企業の社会的責任は永続して自社の商品やサービスを提供し続けることと位置付けるならば、個人の社会的責任は、永続して、幸福を享受することなのだと思います。

特に、日本においては憲法の中で、日本に住むすべての国民が幸福に生活することをうたっています。

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

All of the people shall be respected as individuals. Their right to life, liberty, and the pursuit of happiness shall, to the extent that it does not interfere with the public welfare, be the supreme consideration in legislation and in other governmental affairs.

憲法第13条の条文ですが、ここで出てくる「自由及び幸福追求に対する国民の権利」については、幸福追求権ともいわれ、1960年代以降の経済社会の変容は新たな権利を求めるようになり、また学説も次第に13条に具体的権利性を認める説が主流となってきました。しかし、「人権のインフレ化」という現象が懸念されることもあります。

我々日本人が享受すべき権利を主張する時、必ずそこには、社会的責任が存在します。もし、その社会的責任を果たさなければ、権利を主張べきではありません。

では、個人の社会的責任を実行するためには何を行えばよいのでしょうか?

 基本的にはCSRと同じ事です。

  • 法令遵守
  • 社会貢献
  • 情報公開

ただし、個人の場合、最後の情報公開という部分については議論の余地はあります。プライバシーが尊重される現代において、どんな形でどういった情報公開がなされるべきか?そもそも、この部分は必要なのか?といった意見はこれから出てくるでしょう。

しかし、法令遵守と社会貢献については、むしろ当たり前のこと過ぎていまさら...と思われるかもしれませんが、完全に法律を守っている人がどれだけいるでしょうか?

法令遵守については多少許容したとしても、社会貢献はほとんどの個人は行っていないと思います。たとえば、ボランティア活動。または、地域活動への積極的参加。そうしたことが必要とされているにもかかわらず、行動を起こさないのは、個人としての社会的責任を果たしていないことにもつながると思います。

世の中が乱れる原因には、こうした責任を放棄したからだと思います。

ただ、救いなのは企業がそうした活動を積極的に行い始めたということです。いい会社に所属している人であれば、自然とそうした発想や価値観は身に付くものですし、そうした価値観を持たなければ、今後いい会社に就職はできなくなってくるでしょう。

個人が、伴うべき社会的責任をどこで果たすかというのはそれぞれの自由だとは思いますが、少なくともそうした活動が行えるところにいたいものです。

CSR

企業の社会的責任(きぎょうのしゃかいてきせきにん CSR: Corporate Social Responsibility)は、持続可能な社会を目指すためには、行政、民間、非営利団体のみならず、企業も経済だけでなく社会や環境などの要素にも責任を持つべきであるという考えのもとに成立した概念である。
最近、よく聞く言葉ですなので、ご存知の方もいらっしゃることだと思います。日経新聞を読んでいる方などは、たまに目にかけるかもしれません。

なぜ、それほどまでに企業の社会的責任が重視されるようになったのか?いまさらそれを説明せずとも、毎日のニュースを見ていれば、よくわかるはずです。

CSRにもアメリカ、ヨーロッパ、日本でそれぞれ考え方が若干違うようです。何を重視するのか?それは風土や価値観の違いなのかもしれません。

日本においては、CSRに対する取り組みは諸外国に比べても早く、1970年代から企業の社会的責任ということばが使われていたことが知られている。しかしながら、一般に日本企業がCSRに期待するものは、「企業の持続的発展」 であり、そのため、しばしば企業の社会的責任は企業の社会的貢献や企業イメージの向上を図る諸活動のように考えられ、このため企業収益を実現した後の活動 として理解されることが多かった。実際、企業活動における利益実現が主の目標でCSRは従と考えている企業経営者はいまだ多く、利益幅の小さな企業におけ るCSRの活動の取り組みはあまり進んでいない[5][6]。 近年特に企業不祥事とそれに対する企業統治の実現や法令順守の問題の文脈でCSRが語られることが多く、こうした状況は前述の東欧諸国などの企業の状況と相通じるものがある[4][5]。 経済団体などではCSRの普及に努めており、一定の成果をみせているものの[7][1] 特に日本の企業において圧倒的に多い中小企業の意識の変化には時間がかかると思われる。なお、調和を尊ぶ日本社会においてCSRは経験的に会得されたり、実践されているという主張もあり、そのような主張では江戸時代の学者石田梅岩の記述や、三井家住友家などの江戸時代の商人に代々引き継がれた家訓などを引いて日本の伝統的企業経営とCSRは矛盾しないとされている。
日本には、古くから「皆様のおかげ様」という価値観がありました。それが、いつの間にか自己中心的な価値観が優先されるようになり、企業にもそんな価値観が蔓延してしまったことがまずかったように思います。

また、「まぁ、いいか・・・」という短絡的な決断が、事態を悪化させてしまいます。

日本は、マネジメントがへたくそだと海外では見られているようですが、確かに様々な不祥事を見る限り、そうした印象はぬぐえませんし、実際にそうなのでしょう。
たぶん、管理されるほうには慣れているのですが、管理する側には慣れないんでしょうね。敗戦国ですし。

企業の持続性は、商売の本懐だと思います。代々引き継がれるためには、続けるための仕組が必要ですし、続ける意思を持ち続けることも大切です。
誰かが、やめてしまえばそれまでですし、何らかの理由があってやめざるを得ないということもあるでしょう。
しかし、続けてきたものを止めるには、始める以上のパワーが必要です。一度始めたことは簡単にやめることはできなんです。本来。

ただ、バブル崩壊からこれまで数多くの企業が、何らかの理由で業務を続けられなくなっています。不景気のあおりを受けて大手企業が倒産という話はかなり懐かしいものとなってしまいました。
今は、どちらかというと不祥事がが原因で、業務が遂行できなくなってしまう企業のほうが多いような気がします。
業界最大手だから安泰という時代は、バブルと一緒にはじけてしまいました。今は、むしろ最大手ほど危険だったりします。そうした危機感からか、各業界の大手企業はこぞって、CSRに取り組んでいます。下記はその一部です。

もちろん、これは一部です。
もっと多くの企業がこうした取り組みをしています。

みんながやっているから、横並びで取り組むという何とも日本人らしい発想でやっている会社もあるかもしれませんが、そもそもなぜそれが求められているのかを真剣に考える必要はあるのだと思います。

危機感

  • Posted by: マルコ式
  • 2008年1月24日 01:35
  • ビジネス |