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マルコ式社会学 Archive
個人としての社会的責任
CSRについては、今の社会状況から発したものだとだれもが理解できるかと思います。そして、今後、企業として取るべき方向性というのも見えてきました。
それは、企業は永続して、自社の商品やサービスを提供し続けることこそが、社会に対する責任だということです。
しかし、忘れてならないのは、企業といってもそれは人が作り出したものであり、企業そのものが人であるということです。
企業に対する責任を考えるとき、そこで働く人たちの責任はどうなるのか?
いまはまだそこまでの議論はあまりなされていないように思いますが、根本的なところとしては、この部分は避けては通れないのではないでしょうか。
それでは、個人としての社会的責任とはなにか?
企業の社会的責任は永続して自社の商品やサービスを提供し続けることと位置付けるならば、個人の社会的責任は、永続して、幸福を享受することなのだと思います。
特に、日本においては憲法の中で、日本に住むすべての国民が幸福に生活することをうたっています。
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
All of the people shall be respected as individuals. Their right to life, liberty, and the pursuit of happiness shall, to the extent that it does not interfere with the public welfare, be the supreme consideration in legislation and in other governmental affairs.
憲法第13条の条文ですが、ここで出てくる「自由及び幸福追求に対する国民の権利」については、幸福追求権ともいわれ、1960年代以降の経済・社会の変容は新たな権利を求めるようになり、また学説も次第に13条に具体的権利性を認める説が主流となってきました。しかし、「人権のインフレ化」という現象が懸念されることもあります。
我々日本人が享受すべき権利を主張する時、必ずそこには、社会的責任が存在します。もし、その社会的責任を果たさなければ、権利を主張べきではありません。
では、個人の社会的責任を実行するためには何を行えばよいのでしょうか?
基本的にはCSRと同じ事です。
- 法令遵守
- 社会貢献
- 情報公開
ただし、個人の場合、最後の情報公開という部分については議論の余地はあります。プライバシーが尊重される現代において、どんな形でどういった情報公開がなされるべきか?そもそも、この部分は必要なのか?といった意見はこれから出てくるでしょう。
しかし、法令遵守と社会貢献については、むしろ当たり前のこと過ぎていまさら...と思われるかもしれませんが、完全に法律を守っている人がどれだけいるでしょうか?
法令遵守については多少許容したとしても、社会貢献はほとんどの個人は行っていないと思います。たとえば、ボランティア活動。または、地域活動への積極的参加。そうしたことが必要とされているにもかかわらず、行動を起こさないのは、個人としての社会的責任を果たしていないことにもつながると思います。
世の中が乱れる原因には、こうした責任を放棄したからだと思います。
ただ、救いなのは企業がそうした活動を積極的に行い始めたということです。いい会社に所属している人であれば、自然とそうした発想や価値観は身に付くものですし、そうした価値観を持たなければ、今後いい会社に就職はできなくなってくるでしょう。
個人が、伴うべき社会的責任をどこで果たすかというのはそれぞれの自由だとは思いますが、少なくともそうした活動が行えるところにいたいものです。
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ウェブ時代をゆく
「ウェブ進化論
もちろん、このブログでも触れています。(検索して知ったのですが、ウェブ進化論に関する記事は4つもありました。その時の衝撃はそこから今でもうかがえます。)
それだけ私に衝撃を与えた本ですし、今回新書が出ていた事を見たときは全く何の躊躇もせず購入しました。
ただ、目次だけ見れば正直買わなくてもいいかとも思ったのですが。
実際に呼んでみて感じた事は、「ウェブ進化論
しかし、私の評価はかなり高いです。私の考える良い本とは、多くの気づきを得られる本の事ですが、今回の「ウェブ時代をゆく
しかし、梅田氏の生き方は、自分の考えるそれとよく似ていると思います。場所は違いますが、私も2年前何を思ったか田舎暮らしをすることにした訳ですから。そしてそれを実践している。
自分の好きを突き詰めていくと、自分らしい生き方を得る事になると思います。東京での生活も不満ではありませんでしたし、むしろそっちの方が楽しかったですが、自信の成長とともに環境を変える必要性を感じてもいました。結局、自分が欲しかったのは時間です。収入は正直激減しましたが、それでも時間を得るためには仕方のない事だと考えました。お金は無限に得る事は可能でしょうが、人生という時間は有限であり、そのとき何をするのか?何をしたいのか?何をすべきなのか?そう考えた結果、時間を取ったわけです。
梅田さんのように独立して自分でビジネスを行っていく事も可能だとは思いますし、一時期そうしようとも考えていた時期は確かにありました。また、それに向かって動いていた事もあります。
でも、現在は会社勤めをしています。
会社勤めでは自分の好きが貫き通せない事というのは、ないというのが私の考えです。自分の好きが貫き通せなくなった時は独立するのも仕方ないと思いますが、自分の好きを貫き通せる環境を提供してくれる場があるのであれば、そこにいた方が絶対に幸せだと思います。
大きい会社ではそれは無理だという人もいるかもしれません。しかし、それは自分がそう結論づけているだけの話であって、自分のやりやすいような環境に近づける努力はしたのでしょうか?
私は、今の時代に逆行した生き方に見えるかもしれませんが、世の中には、こうして会社を支えていくことをする人も必要なのではないかと強く感じています。特に、一人でもやっていける時代だからこそ、それは強く感じます。
独立して成功する人はおそらく全体の20%未満です。大成功と言われる人たちについては2%程度ではないでしょうか?それでもそこそこやっていける人はいるでしょうし、それで満足だという人もいるでしょう。
自分の満足の行く生活ができれば、好きを貫き通した方が幸せですが、それは環境をどこに置くのかというのはあまり問題ではありません。たまたま梅田氏はシリコンバレーに自分の好きを貫き通せる環境があり、私は山形にその環境があると考えているだけの話です。
しかも、その環境は自分の今後の成長によって変わってくるとも考えられます。これは、自分を中心にした考え方がなければ成立しない発想です。自分中心と言っても自己中心というのではなく、自分本位。外的環境によって左右されるのではなく、自分の内面と向き合い自分を軸として考えられる発想。
ウェブ時代はより進化し、ユビキタス社会とまで言われるほど情報の取得は恐ろしく容易になりました。私は、ネットがあればどこでも一緒だと考えていますが、ネットがない生活は無理だとも思います。これだけ依存してしまうと、インターネットを切り離した際、私のパフォーマンスは40%低下します。それは、仕事、生活両面においてです。逆に言うと、本来は今の60%ぐらいのパフォーマンスが関の山でしょう。ただ、これはコンピュータの性能と比較した例えばなしですが。
私は、以前より自分の内面世界が今後重要になってくるのではないだろうかと考え、行動していきました。そういう結論に至ったのは、日本の様々な神話の崩壊によるものです。安全・生活・幸せ・価値観、そのすべてがそれまでの常識が通用しなくなった。そうした状況に身を置けば、何を信じればいいのか見えなくなるのも当然ですし、何かに道を示されたいという欲求も高まりますが、何を頼っても結局は自分自身が最後に残るのです。
自分がどうあるべきか?ここにこそ、次の100年を生きていくための答えがあるのではないかというのが私の結論です。
それの結論を証明するかのように今まさに、自己の内面に向かう人たちが多くなってきているように感じます。
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情報の価値
「情報は明文化した時点で価値が半減する」のです。
これ以降の文章は、理由について延々と語っていくため、結論だけで十分な人は読まなくてかまいません。
いつも結論をもったいつけて、うんちくを延々と書き続けるマルコ式には珍しい文体で驚いた方もいるかもしれませんが、この事については、先に結論を持ってきた方が話として落としやすいと思ったのです。
なぜ、こんな事を思ったのか?それは自分でもわかりません。ふと、閃いたのです。
誰かとそんな話をしていた訳ではないのです。
いつもと同じようにブログを書いていたときに、思ったのです。
はじめに、情報とは何かという事を考えていました。
それは以前、情報について「情報を制するものは世界を制する」という事で書いています。
それを書いているときに、インターネットが普及して以降、情報の価値が著しく低下しているようにも思ったのです。情報が今以上に取得が容易でなかった時代には、ほんの些細な出来事ですら重要な情報だったと思います。
また、遠くはなれた人が、昨日、何をしていたかなどという事も知る由もなかった訳です。(別に今でも知る必要はありませんが、それが好きな人だったら話は別でしょう)
口頭伝承方式(口伝)による情報の伝達は、時として正確な情報を伝える事ができないため、多くの情報は明文化されることによって正確に後世まで伝える事ができるのです。
しかし、明文化をよしとせず、口伝のみだけの分野も存在します。それは、職人の世界に顕著に現れています。特に独自の技を持っている職人の多くは、明文化せず口伝のみでその技を後世に伝えているのです。
決して、明文化するのが面倒だからという理由ではありません。明文化をし、誰にでもできるようなると、価値がなくなってしまうからです。
私が、はじめに結論を持ってきたのはそうした理由もあったからです。
誰もがそれを知ってしまえば、私の考えについての価値は無いに等しいのです。コロンブスの卵が物語るように、知ってしまえば誰でもそれは容易な事だと認識するものなのです。
多くの高名な哲学者の書物が難解なのは、そんな理由もあるのかもしれません。
また、宗教の教義もしかり。難解にする事によって、代弁者の存在意義が成立します。もっと簡単で誰でも一言で理解できる教義だとすれば、代弁者はいりませんし、存在意義もありません。
私にとって、考えを巡らせている瞬間が最も価値のある時間なのかも知れません。そして、最も充実している時間だと私は感じます。それを、明文化していく作業は、既に終わった事に対する記録をとっているにすぎないのです。
しかし、明文化する事によってよい事もあります。情報の価値はなくなるかもしれませんが、それが良い情報であればあるほど、その情報を出した人の価値は高まるのです。
価値のある存在になりたければ、価値のある情報を出し続ける事です。
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志向性とコミュニケーション
WEB2.0と言われるようになってから、それはよりいっそう重要性を増しています。
ブログやSNSなどでは、それが顕著です。
去年、一昨年ぐらいにトラックバックマーケティングについて研究した事がありましたが、多くのお礼のコメントと同じくらいの割合で、手厳しいコメントやメールまでもいただきました。その人たちにとっては、私の行為には誠意を感じかなった訳です。しかし、その行為について誠意を感じだ人は、わざわざブログの記事にしてくれたり、お礼のコメントをくれたりと、見知らぬ人同士でコミュニケーションが成立していたのです。
良かれと思った事であっても、受け手にとってみればそれは、単に嫌がらせにしか感じないという事は多々あります。しかも顔が見えない分、その気持ちは強くなるという危険性もあります。
この問題には「志向性」というものが大きく関与しています。
志向性が同じ人同士であれば、コミュニケーションが成立しますが、志向性が極端に異なる場合、そこにコミュニケーションは存在しません。
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新しい秩序とは?
しかし、社会学とは何か?と問われても、今となってはうまく説明できません。
大学の勉強はそんなものです。
ただし、社会学は好きです。卒業してもう5年以上たちますが、今でもその気持ちは変わりません。社会学というよりも社会科学全般ですが。
大学を卒業したからといって、勉強をやめるつもりはありませんでした。大学院にも行ってみたいとは思ったのですが、それよりも、社会に出て社会経験を積む事が最も勉強になるのではないだろうか?と考えたのです。
そもそも、社会の勉強をするのに社会に出ずしていったい何を勉強するのでしょうか。(こんなことを言うと、いわゆる社会学者に失礼ですが)
仕事、特にビジネスに携わるようになって感じた事は、人が関わりを持つ場には必ずルール(秩序)が存在するのです。
もちろん、そんな事は、誰もが知っている訳ですが。
改めて、この秩序について考えてみると、インターネット(向こう側)でいったい何がおこっているのか?という事が容易に説明できるのです。
結論としては、インターネットは新しい秩序です。
この話自体も、今さら改めて言う事もありませんが。
しかし、この新しい秩序は、インターネットというインタラクティブなコミュニケーションツールによって、加速度的に進化しているという事は、まだあまり知られていないと思います。
人が集まる場所には、必ず秩序は存在します。秩序がない場合、自由そうに見えますが、その場にいる人たちは、不自由と感じるでしょう。
誰もが好き勝手な事を言って、勝手な事をしている状態を想像してみてください。
以前のインターネットでは、そうした状況も確かにありましたし、今もその傾向は多少残っています。
しかし、多くの利用者はその空間においてルールが存在することに気がついています。そのルールを破るとどうなるか?
いわゆる「炎上」という現象が起きます。
そのルールをバーチャル上に存在するものとして、切り離して考えてはいけません。なぜなら、インターネットを利用しているのは人間ですから。
多くの「炎上」したサイトやコミュニティーを見てきましたが、どれもが「炎上」して当然という原因がそこには存在していました。その原因の多くには、「誠実さ」がかけていました。
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ネットの社会学
テレビニュースで、インターネット関連による事件が報道さるようなってから久しいですが、もともと、そうしたニュースや社会問題は、 ありませんでした。ややもすると、インターネット自体が、何らかの事件に関与していると思われてしまうので、 テレビニュースの報道が事件や事故ばかりだからです。
しかし、インターネットがもたらしたものは、そうした社会問題ではなく、全く新しい社会です。
ベストセラーとなったWEB進化論をはじめ、多くのインターネット関連の書籍が出版されるようになっていますが、 インターネット自体を一つの社会としてとらえ、その切り口だけに絞ったものはまだまだ少ないです。
しかし、徐々にそうした書籍が出始めているということは、インターネットの深くかかわる人の間では、 インターネットを一つの社会としてとらえる見方が行われているからでしょう。
仮想現実という視点からいえば、そこに社会が構築されても不思議ではありませんし、すでにそうした動きは存在しています。
社会は、人間の関係性が形作っているとすれば、すでにインターネット上には、社会が存在しているといえます。
特に、その傾向は強まっています。
それまでは、単に情報を公開することが目的とされていましたが、現在は、 コミュニケーションを図る場としてのニーズのほうが高いからです。
仮想現実をより分かりやすいものとしたのが、Second Lifeとよばれるサービスです。あえて、 ゲームと言わなかったのは、それ自体がゲームの枠を超え、その環境下で社会らしきものを形成しているからです。
このサービスは、アメリカの本社を置く リンデンラボ( Linden Lab )社が運営するバーチャル世界として500万アカウントを誇る世界でも有数のサービスへと成長してきています。
現実世界にも実存するデルコンピュータや、IMBがセカンドライフ内で記者会見を開いたという話や、 トヨタや日産が既にセカンドライフ上に土地を所有しているなどといった話もあり、企業戦略の一環として既に大手でも先進的な企業は、 このサービスを利用しています。
企業が参入してくるということは、その場で何らかの経済活動もしくは、実質社会での利益が見込めると踏んでいるからです。
日本語版のサービスは現時点ではまだ行われておりませんが、出資、運営企業が既に決まっており、現在は秒読み段階といったところです。
このサービスが軌道に乗ってくると、似たようなサービスが生まれ、インターネットの目的がまた変化してくると思われます。
他人とのコミュニケーションに重点を置くサービスが主流となっています。これは、 人と人との関係性を持つことのできる存在を人間とするならば、現在は、原始的な人間を形作っている段階といえます。
こうした関係がより広がりを見せ、多様な目的へと変化したとき、それは社会と呼ぶべきものへと昇華されています。
ただ、リアルと異なる点は、すべてにおいてプラトニックだということです。
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情報を編集するという技術 〜第1孝〜
ブログなどのCGMで誰でも簡単に情報を配信できるようになった事によって、確かにそれまでのメディアとは明らかに変わってきました。 それは、限られた人だけが、情報を配信できるという点においてです。
しかし、インターネットが世に出たときには既に、誰でも情報を配信できる事は、既にわかっていたはずなのです。 私が、 インターネットで情報を配信し始めたのは、ちょうど、大学2年生だった2000年頃からでした。その頃は、 ネットバブルが始まりそうな雰囲気でインターネットが一般の人たちにも普及し始めた頃です。その当時は、今ほど回線速度が早くなく、 文字情報が基本でした。ISDNの64Kで最速と言う時代ですので、 動画コンテンツなどは重くてコンテンツとして機能しているのはアダルトサイトぐらいのものです。しかもそれは、 テレビの品質を遥かに下回るクオリティーだったわけです。 そんな時代ですから、基本はすべて文字情報でした。もちろん、 画像も重くなるという理由でなるべく小さく、軽いものをちょっとだけ載せてる事が主流だったのです。
現在ほど、製作用アプリケーションも使いやすくなく、正直HTMLは手打ちでコーディングした方が絶対に早かったです。 そもそも、 インターネットという技術自体、アメリカの大学での研究をより効率的に行うために情報を共有していくための技術として広まったものですし、 (発端は軍事目的ですが)検索エンジンは、アメリカの大学院生が考えた技術です。
ですから、インターネットはアメリカとかなり密接な関係が今でもあります。これは、 ネットワークの技術的な話と深く関係してくるのですが、ルートサーバというものが世界中に13個存在していますが、 そのほとんどはアメリカ合衆国の団体が管理しています。
また、アメリカの大学で生まれたインターネットは、大学という枠組みの中での進化もあります。 インターネットの世界標準を進めるW3Cのひとつは慶応大学にあります。 (もともとは、MITやCERNが中心となっていた)
アメリカの大学とインターネットの関連性はそれだけではありません。 関連性が最も顕著に現れているのは、SEOに現れています。 SEOの高いサイトというのは、基本的に論文形式に書かれているものです。大学で論文を書いた経験がある人や、 レポートや論文を書く事に長けている人は、どうやらSEOが好きな傾向にあるようです。なぜなら、1次元的な文字情報が主体だからです。 画像を多用した2次元的な画像情報は、感覚的に情報を得る事ができますが、SEOが好きな1次元的人たちは、 次元が違うのでそうした情報をあまり好みません。
また、画像に動きが生まれ平面的な情報からより3次元的な立体情報へとシフトしている現在に置いては、まだその可能性は未知数です。 ここで、何の説明もなしにいきなりよくわからない用語が出てきました。実は、あえてその言い回しを使いました。理由は、 そういう言い方をした方が、これから話す内容がわかりやすいかと思ったのです。
先に、次元的情報区分について説明します。 1次元的情報とは、基本的にすべて文字で構成された情報です。 書籍や小説と言った情報などは、それに最も近い情報もしくは、そのものと言ってもよいでしょう。また、私のブログなどは、 ほぼ内容は文字しかありませんから、1次元的情報ブログ問い得るでしょう。ただ、文字だけの情報だと万人受けしませんが・・・。
というのも、情報は感覚的であればあるほど、受けとりやすいのです。 頭で理解するよりも体の感覚を使えるだけ使った方が情報は処理しやすいように人間はできています。そもそも、 人間は5もの感覚がある訳ですから。 平面的な画像というのは、それだけで情報として成立します。例えば、写真や絵などは、 まさに2次元的情報と言えます。
ブログも、私のように文字だけのものよりも写真が入っている方が、見やすくてわかりやすいというのは、言わずもがなです。 「百聞は一見にしかず」と言います。1次元的情報よりも2次元的情報の方が、より理解度ははやいことを表しています。ただ、 「百聞は一見にしかず」ということわざには、ただ、見るだけではなく体験する事も含まれています。 実は、見るよりも、 体験する方が情報としては処理しやすかったりします。
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言葉が持つイメージ
- 2007年5月 9日 16:05
- マルコ式社会学
言葉には、 シニフィエとシニフィアンが存在していることは前回説明しました。
それを踏まえた上で、次の言葉を考えてみます。
- 遊び
- プレジャー
- pleasure
- 娯楽
- あそび
- アソビ
同じものを指していますが、その言葉が持つイメージはそれぞれ違っていると思います。その違いは感覚的なものですが、 それを言葉で表現すれば、こんな風にとらえることができます。
- 遊び・・・普通、中性的、日本的
- プレジャー・・・かっこいい、男性的、つめたい、イメージしにくい
- pleasure・・・イメージしにくい、海外的、つめたい
- 娯楽・・・かたい、男性的、つめたい、享楽的
- あそび・・・かわいい、やわらかい、女性的、こどもっぽい、日本的、あったかい
- アソビ・・・変わっている、イメージしにくい、子供っぽい
これ以外にも、いろんなイメージが浮かんでくるかもしれませんし、(主観的なイメージのため) ここに書いたイメージを持たないかもしれません。
しかし、その言葉が持つイメージですが、同じ意味だとしても、言葉が持つイメージは、だいぶ違います。
そうした形で、ことばそのものをイメージだけで見ていくことは、以外とキャッチコピーやネーミングなどの場面で効力を発揮します。
たとえば、新商品を販売するときに、どんなネーミングで売り出そうか?と考えるともいますが、 こうした言葉が持つイメージによって分析することによって、ターゲットに即したネーミングが可能になります。
たとえば、「明治おいしい牛乳」

このネーミングには、以下のようなストーリーがあります。
新商品となる牛乳のネーミングにあたり、 アイデア段階から数百にのぼる案が出ていました。「明治おいしい牛乳」の「おいしい」は、 一般的にごく普通用語であり、 味の印象は人それぞれが感じるものであるため、ネーミングとしての適切性などが議論されました。しかし、 ナチュラルテイスト製法による味に対する自信を最もストレートに伝えるものであること、老若男女、誰にでも分かりやすいこと、 加えて、 「おいしい」とあれば、買う側が味を試してみたくなるであろうという期待、これらの考え方から「明治おいしい牛乳」 に決定しました。
文字も重要な視覚的要素であるため、 使用する書体も既成のものをそのまま使うのではなく、 商品のイメージや特徴をお客さまに早く、 確実に伝えるためのデザインが必要です。パッケージ全体のデザインと並行して、 中身である牛乳のおいしさをイメージする書体、 牛乳らしい書体が検討されました。
機能的でもなく、洗練されすぎない、味わいのあるおいしそうな書体に絞られ、毛筆による書き文字をもとに制作された、分かりやすく、 読みやすい書体に決定しました。さらに商品名がもつ「まろやかさ」 という味覚的特徴を喚起させるために一旦全体に膨らみと丸みがつけられましたが、「後味すっきり感」も強調することが望ましいとされ、 角の丸みをとり、シャープな印象を持たせました。
牛乳は、基本的に誰でも飲めるものですし、老若男女問わずに、 みんなに飲んでもらいたい商品です。ということは、 ターゲットはかなり広いわけです。また、製品は、 製法にこだわり自信があったため、それを一言で表現しなければなりません。 より多くの人にわかりやすく、 おいしさを伝える必要があったのです。
一見するとあまりにもストレートなネーミングにも見えますが、分析してみると、 非常に考え抜かれた素晴らしいネーミングであることがわかります。今でも、コンビニではよく見かける商品ですが、 一般的にコンビニにおかれている商品は、たいていこのような形で、ネーミングが行われている場合が多いです。(コンビニは、 マーケティングの完成系ともいわれますが、その話はまた別の機会に…)
言葉には、 普段考えている以上に受けて側に伝わるイメージというものがあります。
そのイメージと、そのものが持っているイメージがマッチしたとき、 絶大な効果を発揮します。
実は、これは人の名前にもある程度当てはまります。 親は子供に対していろいろな想いを寄せて名前を付けるわけですが、 ある程度はその言葉通りの人に成長します。ただ、人間の場合、 環境がもろに影響してくるため、そうでない人も中にはいますが。
言葉は、言霊を持っており、その力はとても強いと言われますが、 それを科学的に分析することが言語学では可能なのです。
良い印象やイメージを持つ言葉と、悪い印象やイメージを持つ言葉も存在します。
たとえば、いい印象やイメージを持つ言葉としては、
- 新しい
- ありがとう
- うれしい
- 好き
- 生きる
などが挙げられます。反対に悪い印象やイメージを持つ言葉は、
- 古い
- 逝ってよし
- 悲しい
- 嫌い
- 死ぬ
このように、いい印象と悪い印象とがはっきりしている場合は、わかりやすいのですが、普段会話の中で、 それを意識して話している人はいないと思います。
言葉が持つイメージについては、ドイツ語やフランス語などは顕著で名詞に対して男性名詞、女性名詞、 中性名詞などと分けているものもあります。ただ、ドイツ語やフランス語が堪能な方なら、わかると思いますが、なぜそれが男性名詞なのか? 女性名詞になるのか?日本語に訳すとよくわからない言葉も多いです。
それは、日本語が持っているイメージとドイツ語やフランス語持っているイメージが異なっているから、そう感じるのであって、 日本語では男性的だと思うような言葉でも、ほかの言葉では女性名詞だったりする場合があるのです。
これらのことを踏まえると、人からどう思われたいかによって、使う言葉をうまく選んでいくと、 人間関係はスムーズにいくかもしれません。
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カルチュラル・スタディーズ
- 2007年5月 8日 09:22
- マルコ式社会学
カルチュラル・スタディーズ (Cultural studies) は、主にイギリスに始まり20世紀後半に盛んになった学問の傾向を意味している。サブカルチャーなどを手がかりに文化と政治に関わる状況を分析しようとするもの。バーミンガム大学現代文化研究センター(CCCS - Centre for Contemporary Cultural Studies)が主要な震源地となった。
日本語に直訳すれば「文化研究」だが、日本国内ではもっぱら「カルチュラル・スタディーズ」と表記される。通称カルスタ。ただしこれには若干軽蔑的なニュアンスを伴う。その理由は、文学・社会学・歴史学・文化人類学・メディア論・現代思想などといった多様な学問領域を「お手軽に」横断してしまうからである。
概要
ジャウディン・サルダーはその著書「INTRODUCING カルチュラル・スタディーズ」で以下のようにカルチュラル・スタディーズの主要な特徴を五つ挙げている。
- カルチュラル・スタディーズはその主題とする事象を文化的実践と権力との関係という見地から吟味する。
- その目的には文化をその複雑な形式すべてにおいて捉えること、そしてそれが自らを浮き立たせている文化的・社会的コンテキストを分析することが含まれる。
- それは学問分野であると同時に、政治的批判と行動の場でもある。
- それは知識分野のあいだの乖離を露呈させ調停することを試み、暗黙の「文化的知識」と、客観的で「普遍的」な形式の知識とのあいだの分離に打ち勝とうと試みる。
- それは近現代社会に対する倫理的評価と政治的行動の急進的な路線へのコミットメントを行う。
関連する理論家
- レイモンド・ウィリアムズ (Raymond Williams)
- リチャード・ホガート (Richard Hoggard)
- ポール・ギルロイ (Paul Gilroy)
- スチュアート・ホール (Stuart Hall)
- テオドール・アドルノ (Theodor Adorno)
- ミシェル・フーコー (Michel Foucault)
- ルイ・アルチュセール(Louis Althusser)
- ジャック・ラカン (Jacques Lacan)
- ジャック・デリダ (Jacques Derrida)
- ユルゲン・ハーバーマス (Jurgen Habermas)
- ジャン・ボードリヤール (Jean Baudrillard)
- ロラン・バルト (Roland Barthes)
- ヴァルター・ベンヤミン (Walter Benjamin)
- ピエール・ブルデュー (Pierre Bourdieu)
関連文献
- 上野俊哉・毛利嘉孝『カルチュラル・スタディーズ入門』、ちくま新書、2000年
- 上野俊哉・毛利嘉孝『実践カルチュラル・スタディーズ』、ちくま新書、2002年
- ターナー、グレアム『カルチュラル・スタディーズ入門-理論と英国での発展-』、作品社、1999年
- 本橋哲也『ポストコロニアリズム』、岩波新書、2005年
- 吉見俊哉『カルチュラル・スタディーズ』、岩波書店、2000年
ラベル: 社会学基本講義
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合理的選択理論
- 2007年5月 8日 09:22
- マルコ式社会学
政治学と合理的選択理論
政治現象を自己の利益・効用を最大化しようと行動するアクターの相互作用の総体として捉えるのが、政治学における合理的選択論である。1950年代より経済学的アプローチを政治現象の分析に取り入れる形でスタートした。政治過程を主に扱う場合公共選択論と呼ばれ、しばしば合理的選択理論と公共選択論は同じものとして扱われる。また経済学的方法論を応用することから、政治経済学として扱われる場合がある。
政治学において合理的選択理論が移入される以前から、経済学者ケネス・アローは集合的意思決定に関する先駆的研究を行っている。その知見は一般可能性定理(不可能性定理)として知られており、合理的選択理論のうち特に社会的選択理論(集合的選択理論)と呼ばれる分野を確立した。
政治学における合理的選択理論の確立に大きな役割を果たしたのがアンソニー・ダウンズと彼の著書「民主主義の経済理論」(1957)である。さらにダウンズの示したモデルに多大な影響を与える先駆的業績を残したダンカン・ブラックの名も挙げることができる。これらの業績により合理的選択理論は、集合的決定のみならず政党や政治家、官僚、有権者といった多様な政治的アクターの行動とその相互作用を射程に収める事が可能となった。すなわち、マクロの政治現象や政治過程をミクロの視点から分析しミクロな基礎付けを行う理論として合理的選択理論が確立されたわけである。
政治学の分析における制度的文脈の軽視が批判されるようになると、合理的選択論も次第に制度の分析に取り組み始める。こうして合理的選択新制度論が確立されることとなる。アクターと、その行動を意味づけ媒介し拘束する制度の相互作用に着目する理論である。同時に合理的選択新制度論は、制度がアクターの合理的・戦略的行動の帰結として生成することを強調する立場をとる。
合理的選択理論は政治学の様々な分野に影響を及ぼし、きわめて重要な方法論となっている。その影響力は従来の公共選択論の範囲に留まらない。例えば政治哲学においてもジョン・ロールズやロバート・ノージック以降、合理的選択理論の前提となるアクターの合理性に立脚した理論が多く見られる。国際関係論にあってはリアリズム(ネオリアリズム)とネオ・リベラル制度主義という2つの重要なアプローチが合理的選択理論の方法論を受け入れている。
社会学と合理的選択理論
行為がしばしば合理的に選択される(少なくとも合理的であるかのように見える)ことは、社会学の成立したころからよく知られていた。ヴィルフレド・パレートは、論理的行為と非論理的行為に行為一般を分類したし、マックス・ヴェーバーは、目的合理的行為、価値合理的行為、伝統的行為、感情的行為の四類型を考案した。
しかし、社会学の力点は、一見合理的に見える行為の非合理的な側面におかれることが多い。
ラベル: 社会学基本講義
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シンボリック相互作用論
- 2007年5月 8日 09:22
- マルコ式社会学
シンボリック相互作用論(Symbolic Interactionism)とは、1960年代初頭にアメリカの社会学者H・G・ブルーマーが創始した、社会学的・社会心理学的パースペクティブの1つである。それは、人間間の社会的相互作用、特にシンボリックな相互作用(symbolic interaction)を主たる研究対象とし、そうした現象を「行為者の観点」から明らかにしようとするものである。
シンボリック相互作用論は通常、その歴史的由来をG・H・ミードの 業績に遡ることが出来る。ミードは生前数多くの論文を執筆したが、ミードのシンボリック相互作用論に対する影響の大部分は、彼の講義を聴講していた学生ら による講義録やメモの出版を通じて、あるいは当時ミードに学んだ学生の一人であったH・G・ブルーマーによるミード解釈を通じて及ぼされたと言われてい る。ブルーマーは、主として1950年代と60年代に数多くの論文を執筆し、シンボリック相互作用論の体系化を図った。
H・G・ブルーマーのシンボリック相互作用論が、T・パーソンズを 中心とする構造機能主義社会学や、G・A・ランドバーグを中心とする社会学的実証主義(操作主義)を批判し、それに代わる分析枠組みや研究手法を発展させ ようとしたことは良く知られている。とりわけ、その分析枠組みに関しては、これまでの日本の研究においては、それが提示する「動的社会」観が高く評価され てきた。すなわち、社会を、「主体的人間」によって、形成・再形成される「流動的な過程」ないしは「変動的」「生成発展的」なものと捉える、そうした社会 観が高く評価されてきた。
当初「シンボリック相互作用論」とは言えば、それはイコール「ブルーマー」という時代がしばらくの間続いた。とはいえその後、70年代、80年代に なると、シンボリック相互作用論を担う新しいリーダーとして、N・デンジン、T・シブタニ、A・L・ストラウス、R・H・ターナー、S・ストライカー、 G・ファインなどが登場し、この理論の新たな方向性が模索されるとともに、ブルーマーの理論化に対する種々の批判が展開されるに至った。80年代にはさら に、E・ゴフマンが登場し、「ドラマツルギー」(dramaturgy)と呼ばれる手法が提示された。
ラベル: 社会学基本講義
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エスノメソドロジー
- 2007年5月 8日 09:22
- マルコ式社会学
概要
ガーフィンケルはタルコット・パーソンズを指導教授としてハーバード大学に博士論文を提出した。この論文は、パーソンズの提示した社会秩序問題(ホッブズ問題)に研究の端緒を得るが、現象学的社会学といわれるアルフレッド・シュッツの研究にも影響を受けた。その後、彼は1967年に『エスノメソドロジー研究』を著し、現代社会学に一石を投じることになった。
エスノメソドロジーでは、人と人との相互行為(interaction)にも注目する。この相互行為研究のひとつの方向性が、会話分析である。
エスノメソドロジーは、人類学などで使われる一つの調査方法、「エスノグラフィー」と混同されることがある。両者は共に、社会調査で一般的に使われ る量的調査(quantitative research、アンケートなどの方法)に対して、質的調査(qualitative research)に分類される。この質的調査によく使われる方法に、参与観察(participant observation)、つまり、調査の対象となるグループ等とともに時間を過ごし、”かれらの”社会の見方を知るという方法がある。アンケートなどの 情報収集方法に比べて、質疑応答形態のみにとらわれないため、調査対象となる人々の社会に対する見方、つまりかれら独自の社会秩序を理解する方法を知るこ とが出来る。このことは、量的調査の研究者には、調査対象者にでたらめの情報を吹き込まれ、しばしば調査結果が台無しになると誤解されている。
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構造機能主義
- 2007年5月 8日 09:22
- マルコ式社会学
構造機能主義(こうぞうきのうしゅぎ、structural-functionalism)は、社会学における立場のひとつ。中心人物としては、タルコット・パーソンズ、ロバート・キング・マートンというアメリカの社会学者たちを挙げることが出来る。
社会学の根本問題は「個人と社会との関係」をどう捉えるか、という問題である。
こうした問題に対して、個人というものが、その個人が所属する社会によって社会化される側面をとりわけ強調する社会学の流派として挙げられるのが、この構造機能主義社会学である。
この構造機能主義社会学の「構造」と「機能」という言葉から説明することにしよう。まず「構造」であるが、これは社会を構成する諸要素のうち、比較 的変化しにくい部分(種々の社会関係がパターン化され統合されたもの)、と説明することが出来るであろうか。教科書的には、“社会の骨組み”と説明されて いる(文章で言うならば「文法規則」にあたる)。これに対して機能とは、そうした構造が互いに他の構造に対して、また社会全体に対して果たしている貢献な いしは作用、と定義することが出来る。構造機能主義社会学は、各種の構造が如何にして社会全体を維持しているのか、これを解明しようとする社会学理論であ ると言える。とはいえ他方では、この理論に関しては、社会の構造と機能が主たる研究単位となり、社会の実質であるはずの個々の人間は研究対象としては後景 に退いてしまっている、という常套句批判が存在する。例えば日本の社会学者である船津衛は、 “D・ロングによれば、現代社会学における人間の捉え方は、『社会化過剰的人間観』(oversocialized conception of man)として規定される。T・パーソンズを中心とする現代社会学は、人間は社会という鋳型にはめ込まれ、個性や独自性を奪われ、画一化された存在として 考えられている。それはあまりにも社会化されすぎた人間のイメージに囚われている。・・・パーソンズ社会学においては、人間による『社会規範の内面化』の メカニズムを解明することが、その中心的テーマとなっている。そのことから、社会の維持、安定を旨として、人間は社会化によって既成社会の中に組み込まれ てしまう存在として描かれる。そして、人間が社会から逸脱したり、反抗したりする場合には、必ず社会統制が加えられると考えられている。その理論は、きわ めて統合的イメージの強いものとなっている”と批判している。
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フランクフルト学派
- 2007年5月 8日 09:22
- マルコ式社会学
フランクフルト学派(Frankfurter Schule)は、マルクス主義等を基に、批判理論による社会理論、哲学を研究しているグループの名称。
フランクフルト学派の設立は1930年にマックス・ホルクハイマーがドイツのフランクフルト大学の社会研究所(Institut für Sozialforschung) の所長に就任した時にさかのぼる。ナチスが政権を獲得すると、メンバーの多くが亡命したため、活動拠点がアメリカ合衆国へと移った。第二次世界大戦後、再 び活動はドイツが中心となった。1960年代、世界各地で大学紛争の渦が巻き起こった時代に、ニューレフトの運動の支柱となる理論を求めて、このグループ に注目が集まった。
フランクフルト学派の主な思想家、研究者
- テオドール・アドルノ
- マックス・ホルクハイマー
- ヴァルター・ベンヤミン
- エーリヒ・フロム
- ヘルベルト・マルクーゼ
- フランツ・ノイマン
- フレッド・ポロック
- アルフレート・シュミット
- ユルゲン・ハーバーマス
- アクセル・ホネット
- カール・ウィットフォーゲル
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シカゴ学派 (社会学)
- 2007年5月 8日 09:22
- マルコ式社会学
シカゴ学派(シカゴがくは、英:Chicago school)は、社会学の学派の一つ。
石油王ロックフェラーが多大な資金を投入し、1891年にシカゴ大学が創立された。 その翌年、1892年に社会学部が創設され、その初代学部長に就任したのが、A・W・スモールである。
社会学の「シカゴ学派」とは、このスモールら(G・ヴィンセント、W・I・トーマス、C・R・ヘンダーソン)を第1世代とし、第2世代にその黄金期を迎えた、アメリカで最初の社会学の「学派」を指す。多くの代表者は、ドイツのベルリン大学に留学、哲学、社会哲学のゲオルク・ジンメルに直接師事し、彼から多くの影響を受けていることは、特筆すべきだろう。
第2世代の中核をになったジャーナリスト出身のR・E・パークとE・W・バージェスは、急速な産業発展に伴う大量の移民の流入に起因する社会問題のメッカ「シカゴ市」を「社会学的実験室」と捉え、そこに数多くのシカゴ大学大学院生を投入し、続々と「シカゴモノグラフ」を産出させた。都市社会学(都市生態学)の誕生である。彼らの共著『社会学という科学への誘い』(1921年)は「グリーンバイブル」と呼ばれ、シカゴ学派の社会学、および、その後のアメリカの社会学の方向性を決定づける書となった。
また第1世代に位置する--より正確には第1世代と第2世代の双方にまたがって活躍した--W・I・トーマスが、F・ズナニエッキと 共著で著した『ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』(1918-1920:その総ページ数は2250頁に及ぶ大部の書である)は、アメリカ社会 学の(ヨーロッパ社会学からの)独立宣言を象徴する記念碑的作品として社会学史の中に位置づけられているものである。 第2世代の教え子でシカゴ大学のスタッフとなったハーバート・ブルーマー、L・ワース、E・C・ヒューズ、S・ストゥーファーは、この学派の第3世代を構成し、ブルーマーとヒューズはシンボリック相互作用論・集合行動論・プロフェッション論の定式化に、ワースは都市社会学の発展に貢献した(「生活様式としてのアーバニズム」)。
こうした第3世代の教え子たちは、主としてシカゴから離れて活躍したが、一般に「シカゴ学派第4世代」として位置づけられており、ネオ・シカゴ学派とも呼ばれている。そうした中には、ラベリング理論で有名なH・S・ベッカー、医療社会学・グラウンデッド・セオリー(grounded theory)で有名なA・L・ストラウス、ドラマツルギーという手法で有名なE・ゴフマン、「シカゴ学派の遺産シリーズ」のエディターとして貢献したM・ジャノヴィッツらが含まれている。
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社会学の目的
- 2007年5月 8日 09:22
- マルコ式社会学
社会学は本来、さまざまな社会現象の実態や、現象の起こる原因を解明するための学問である。社会学の目的として、秩序問題、すなわち社会秩序がなぜ成立しているかについての研究を、とくに重視することもある。これは社会秩序や、何らかの社会への協力行動と関連する研究であり、治安や犯罪、逸脱行動、社会統合、利他的行動、向社会的行動、環境配慮行動研究、社会的ジレンマ研究などと呼ばれる研究分野である。この研究分野は社会心理学や小集団実験と関連する研究も多い。
秩序問題とは別に、産業構造や労働市場の構造、社会階層構造、学歴不平等の構造、家族や地域社会の構造、権力構造、女性差別や人種差別など、社会の構造について研究がなされることも多い。社会構造やその時代的変化、すなわち社会変動の研究も、社会学の主要な分野の一つであり、主として大規模な調査データを元に、研究成果を挙げている。社会変動研究は、もともとマルクス主義的研究が多かったが、今日ではそのような研究とは別に、脱産業社会におけるさまざまな社会現象とその変化に関する研究が行われている。
しかしながら、日本では長年、海外の理論を輸入することが社会学の目的とされてきたため、現実の社会現象の解明には、必ずしも積極的でない研究者 も多い。むしろ哲学的議論や、理論のみの研究、歴史や学説史のみを重視する研究も、いまだに多数存在するのが事実である。例えば東京大学や京都大学、早稲 田大学、慶應義塾大学などの伝統ある社会学研究部門では、理論研究者は多いが調査経験は少ない教員が多く、専任教員だけでは社会調査教育や社会調査士資格 に対応できない現実もある。それらの大学では、教員の多くが理論の輸入や解釈を主目的としているため、新しい知見の発見は困難である。そのため国際学会で の発表経験が乏しいか、発表能力がほとんどない教員も多い。このような深刻な事態の背景には、かつて日本の大学に予算や調査能力がなかった時代には、理論 研究のみしかできなくても、やむをえなかったという事情もある。しかし今日では、現実社会と距離のある抽象的な理論社会学研究に対しては、かなりの社会的 批判が存在するのも事実である。本稿の記述も以下を見ると歴史的な内容が多く、大規模な社会調査の内容には対応できていないのである。残念ながら日本の社 会学は政策への影響力は少なく、多くの社会学者には政策形成や提言能力はない。しかし近年では、社会調査の実施能力や、現実のデータを分析する研究も重視 されつつある、と言えなくもない。以下のように、日本の社会調査の中には、国際的に高く評価されているものもある(社会学の方法の項を参照)。最近では社会調査士資格など、社会調査法への対応の努力もあり、大学によっては充実した教育を行っている。東北大学や関西学院大学、大阪大学などは社会調査に関する研究教育が評価され文部科学省のCOEに採用されたほか、国際学会での発表実績もある。
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社会学の対象
- 2007年5月 8日 09:22
- マルコ式社会学
研究対象は、人間行動( 行為)や相互作用、役割、集団や組織研究、家族、コミュニティ、より大規模な社会構造や社会変動な どである。研究分野の一つは秩序問題、つまり社会秩序や、何らかの社会への協力行動と関連する研究である。治安や犯罪、逸脱行動、社会統合、利他的行動、 向社会的行動、環境配慮行動研究、社会的ジレンマ研究などもこれに含まれると考えてよい。この研究分野は社会心理学や小集団実験と関連する研究も多い。日 本においてはこれまで社会の分裂や治安が問題になることは少なかったが、近年ではやや注目されている。数理社会学や合理的選択理論により、この研究に取り組むこともある。
他の研究分野として、様々な社会構造やその時代的変化、すなわち社会変動の研究がある。もともとマルクス主義社 会学では資本主義社会から革命を経て共産主義社会が実現することを、主要な社会変動として想定していた。しかし多くの先進諸国ではそのようなことは起きな かった。ベルリンの壁崩壊や共産主義各国の経済低迷、政治腐敗のためマルクス主義的な研究は沈滞していると言わざるをえない。高度経済成長期以降の日本の社会学では、産業化、都市化、高学歴化という社会変動を扱うことが多い。その他、最近では、大衆化、少子化、高齢化、情報化など、個別具体的な社会変動を研究することが多い。 社会システム論は、社会構造と社会変動を理論的にとらえるためのものだが、抽象的議論が多く現実の社会を分析するためにはあまり役に立たないため、誇大理論と批判されることも多い。経済システムや政治システムの研究に比べ遅れていると言わざるを得ない。構造機能主義のような研究も最近では盛んではない。むしろ、情報化や科学技術が社会にどのような影響を与えるかについての個別具体的な研究、たとえば遺伝子組み換え技術や電子マネー、インターネット、文化産業などが社会に与える影響が注目されている。
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社会学の方法
- 2007年5月 8日 09:22
- マルコ式社会学
社会学は、現実の社会からデータを取らなくてはならないため、さまざまな方法が考えられている。主として社会調査が用いられるが、調査の他に、実験、観察、内容分析(文書や映像資料等の分析)、マクロデータ(集計された統計データ)の利用などの手法がある。どれも一長一短があるが、それぞれが重要な研究手法である。
日本の社会調査は、これまでは比較的、回収率もよく、データの質もよく、国際的にも評価が高かった。「社会階層と社会移動全国調査」 (SSM調査)や、家族社会学会による調査など、社会学者による大規模な調査も存在する。統計数理研究所による日本人の国民性調査や、日本版総合社会調査 (JGSS調査)なども存在する。SSM調査の成果は、米国で数冊の本が出版された他、韓国や中国でも翻訳が出版されており、国際的にも高く評価されてい る。例えば原純輔・盛山和夫による『社会階層』は韓国、中国、米国で出版されている。詳しくは「社会調査」の項を参照。
米国の社会学においては、公開されている既存の社会調査データが多いこともあり、大規模なデータファイルの計量分析をもとにした計量社会学が、近年では非常に盛んである。アメリカ社会学会の 機関誌American Sociological Review (ASR)も論文の7割前後が計量分析を用いた論文である。実験や観察、質的調査による研究、理論研究などもあるが、最近はやや沈滞気味で数は多くはな い。米国では理論だけの研究はほとんどなく理論と実証の往復が重視される。質的調査は米国において1990年代以前に小規模な流行があったが、米国では社 会学における科学主義や実証主義の考え方が強いためあまり重視されず、とくに2000年以降は研究は少ない。
残念ながら、近年の日本においては、著者が読書した本を「参考文献」と称して引用し、その引用の上に多少の個人的私見を述べるのみの書籍が大多数で あり、例外を見つけることは難しい状況である。またそれらの書籍は、欧米に住んだことがなく現実社会を知らない社会学者が、文献研究だけを行い欧米の社会 を語ることが多いため、抽象的で的はずれな議論が目立つことも事実である(「反社会学講座」)。
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歴史
- 2007年5月 8日 09:22
- マルコ式社会学
社会学の歴史は、様々な形で記述することができるが、通常次のようなものが含まれる。
1)ヨーロッパにおける先駆的な思想、研究
上述のコントの思想は、その師であるサン・シモンに遡る。一方、コントの方法はジョン・スチュアート・ミル、ハーバート・スペンサー、カール・マルクスなどに受け継がれ、それぞれ独自に社会についての包括的な把握が試みられた。
2)ヨーロッパにおける著名な社会学者の台頭
19世紀末から20世紀にかけて、マックス・ウェーバー、エミール・デュルケーム、ヴィルフレド・パレート、ゲオルグ・ジンメルらが相次いで研究著作を発表した。その方法論、キー概念などがその後の社会学に受け継がれることになる。
3)シカゴ学派の誕生
20世紀初頭まではヨーロッパが社会学の主流を成していたが,第一次世界大戦後にはアメリカにおいて顕著な展開を見せ,やがて社会学研究の中心として発展を遂げていくことになった。
アメリカ社会学が,社会学研究の中心的地位を築き上げる背景には,19世紀末から20世紀初頭にかけての急激な経済・社会の変化があった。南北戦争から第一次世界大戦へ至る半世紀の間にアメリカ産業は急ピッチな発展を遂げ,それに伴って都市化が進行し,民衆の生活様式も大きく変わっていった。このような大きく変貌を遂げるアメリカ社会の実態を捉えることが,社会学の課題として要請されるようになっていったのである。
当初アメリカの社会学は,1893年に創設されたシカゴ大学を中心に,人種・移民をめぐる問題,犯罪,非行,労働問題,地域的コミュニティの変貌などの現象的な側面を実証的に解明する社会心理学や都市社会学が興隆していった。アルビオン・スモール,ウィリアム・トマス,ジョージ・ハーバード・ミード,ロバート・パーク,アーネスト・バージェス,