心理学的アプローチ

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結論を先にあげると「インターネットは、集団無意識の顕在化」という事が言えるのです。

集団無意識という概念は、分析心理学の理論を創始したカール・グスタフ・ユングが、その理論の中心概念として、人間の無意識の深層に存在する、個人の経験を越えた先天的な構造領域であるとして、ジークムント・フロイト精神分析の理論では説明の付かない深層心理の力動を説明するため、この無意識領域を提唱しました。

もう少しわかりやすく言うと、民族や人類に共通してみられるある種の典型的なイメージで、このブログを見ているひとも、見ていない人も、アマゾンの奥地にいる人もアフリカの人も誰もが心の奥底には同じようなイメージを持っている問い事です。
別の言い方をすると、「我々は既に神を知っている」のです。

しかし、この理論は、意識が科学的に証明されていない以上、一つの仮説にしかすぎないのですが、その仮説を立証する意味でもこうした思考的実験は必要だと思います。

私は、インターネットの普及によって、誰もが無意識レベルで感じていたイメージをよりはっきりとしたイメージにまで持って来れるようになったと考えています。これは、無意識レベルで共感し合える事があって初めて起こる現象なのです。

だれもが、「こんなものがあったらいいのになぁ〜」と思っている事が現実の物になる。それは、思考という段階よりもっと前の思いつきの領域です。むしろ、感性の領域です。どう感じるのか?どう感じたのか?どう思ったのか?

「こんなのあったらいいなぁ〜」をリアルに実行しようとすると莫大な研究開発費が必要になってきますが、バーチャルではそれがより手軽に行えるのです。

今、世界で利用されている便利な物のすべては、潜在的な意識が顕在化した結果です。空を飛びたいと誰もが感じていた結果、飛行機という物が生まれ、もっと早く走りたいと誰もが思った結果、自動車や列車という物が生まれました。それを思わなかったり、そう感じたりしなければ、それらの物は未だに存在しなかったでしょう。

古代文明が存在すると仮定するならば、そこでは、違った形での意識の顕在化が行われていたと思います。(例えば魔法や呪術的なものなど)

ただ、感じたり、思ったりした事が、文明の進歩に大きく関与しているとするならば、インターネットはまさに意識レベルでの補完と考えられるのかもしれません。私がこうして思考実験を繰り返し行う事によって、それを見た誰かが、そこから次の段階へとその思考を昇華させ、また別の人がそうした思考実験を昇華させていく。。。そして最終的には全く新しい概念が生まれるのではないでしょうか。

心の奥底に眠っていたものを無理矢理起こし、そして顕在化する事によって、それに共感する人がそれを昇華させより洗練されたものが出来上がる。

今、インターネット上でデファクトスタンダードを確立しているサイトの多くは、人々が感じていた部分を顕在化した結果なのです。

ただし、それを提供できる人間は限られています。それは、人が想像している物をより深く妄想している人間なのです。想像というのは、ただ思っていたり感じている人のことをいいます。妄想している人間は、既にそのサービスや商品を利用している事を思っている人の事です。

例えば、今では誰もが使っている検索エンジンは、当たり前の話ですが、存在していませんでした。でも、アメリカの大学院生がサイトをもっと調べやすくできるという妄想に取り付かれ、それを実現しました。その他にもパソコンを一家に一台あったらいいと思い込んだ人が、リンゴのマークのパソコンを世に出しましたし、もっと誰でも簡単にパソコンが扱えるという妄想に取り付かれた学生が今では世界一の資産家です。

こうして見ていくと、そこには、一つの共通点があります。それは、思い込みが他の人よりも強かったという事です。しかも、誰もが想像だけにとどめている事を実際に形にしようとするだけの時間と柔軟性は、大人にはありません。そうした事ができるのは、大学生ぐらいなものです。