シカゴ学派 (社会学)

シカゴ学派シカゴがくは、英:Chicago school)は、社会学の学派の一つ。

石油王ロックフェラーが多大な資金を投入し、1891年シカゴ大学が創立された。 その翌年、1892年に社会学部が創設され、その初代学部長に就任したのが、A・W・スモールである。

社会学の「シカゴ学派」とは、このスモールら(G・ヴィンセント、W・I・トーマス、C・R・ヘンダーソン)を第1世代とし、第2世代にその黄金期を迎えた、アメリカで最初の社会学の「学派」を指す。多くの代表者は、ドイツのベルリン大学に留学、哲学、社会哲学のゲオルク・ジンメルに直接師事し、彼から多くの影響を受けていることは、特筆すべきだろう。

第2世代の中核をになったジャーナリスト出身のR・E・パークE・W・バージェスは、急速な産業発展に伴う大量の移民の流入に起因する社会問題のメッカ「シカゴ市」を「社会学的実験室」と捉え、そこに数多くのシカゴ大学大学院生を投入し、続々と「シカゴモノグラフ」を産出させた。都市社会学(都市生態学)の誕生である。彼らの共著『社会学という科学への誘い』(1921年)は「グリーンバイブル」と呼ばれ、シカゴ学派の社会学、および、その後のアメリカの社会学の方向性を決定づける書となった。

また第1世代に位置する--より正確には第1世代と第2世代の双方にまたがって活躍した--W・I・トーマスが、F・ズナニエッキと 共著で著した『ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』(1918-1920:その総ページ数は2250頁に及ぶ大部の書である)は、アメリカ社会 学の(ヨーロッパ社会学からの)独立宣言を象徴する記念碑的作品として社会学史の中に位置づけられているものである。 第2世代の教え子でシカゴ大学のスタッフとなったハーバート・ブルーマー、L・ワース、E・C・ヒューズ、S・ストゥーファーは、この学派の第3世代を構成し、ブルーマーとヒューズはシンボリック相互作用論・集合行動論・プロフェッション論の定式化に、ワースは都市社会学の発展に貢献した(「生活様式としてのアーバニズム」)。

こうした第3世代の教え子たちは、主としてシカゴから離れて活躍したが、一般に「シカゴ学派第4世代」として位置づけられており、ネオ・シカゴ学派とも呼ばれている。そうした中には、ラベリング理論で有名なH・S・ベッカー医療社会学グラウンデッド・セオリー(grounded theory)で有名なA・L・ストラウス、ドラマツルギーという手法で有名なE・ゴフマン、「シカゴ学派の遺産シリーズ」のエディターとして貢献したM・ジャノヴィッツらが含まれている。

出典:ウィキペディア フリー百科事典

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