paradox

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今の世の中、パラドックスは至る所に存在していますが、一般生活ではその存在にすら気がついていません。 しかし、一度その存在に気がついてしまうと、いろいろな物事が気になってしまうのも事実です。まるで、思春期の青年のような想いがそこにはあります。

ちなみにパラドックスとは、

  1. 一見すると筋が通っているように思えるにもかかわらず、明らかに矛盾していたり、誤った結論を導いたりするような、言説や思考実験などのこと。
  2. 数学において、公理系に生じた矛盾点のこと。
  3. 一般的な直感と反した、数学的に正しい解答や定理のこと。
  4. ある目標を追おうとすればするほどかえって目標から遠ざかったり、ある主義を貫こうとするがゆえにかえってその主義に反することをしなければならなかったりする状況。

逆説、逆理、背理と訳される。ギリシャ語で”para” は「反」「逆」を、dox” は「意見」という意味を表す。有名なものに、
自己言及のパラドックス
リシャールのパラドックスベリーのパラドックスがある。

本質的に、パラドックスは、「生か死か」「在るか無いか」のような二極が対立する論理において生じる。

出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ただ、矛盾とパラドックスは厳密には、本質的に異なる概念とされています。前者は本来は仮定(公理)がはっきりした状況で用いる言葉であるのに対し、後者は仮定がはっきりしないからこそ起こる矛盾を指します。

特にパラドックスは、物理・数学の分野でその本領を発揮します。数学に関わる既存のパラドックスは全て、仮定をはっきりさせない、いい加減な論理が原因になっているので、仮定をはっきりさせさえすればパラドックスは解消されます。19世紀までの数学は、今に比べればだいぶいい加減なもので、様々なパラドックスを内包していました。しかし20世紀以降、数学者の努力により、数学はより厳密なものへと変化し、これら全てのパラドックスは解消されました。

もともと、数学は哲学をよりわかりやすく説明するために取られた手段が、学問として確立した訳ですから、根本には哲学的問題を内包していても、何ら不思議ではなかったのです。しかし、実証主義の台頭によって疑う事を覚えてしまった学者たちが、仮定そのものに疑問を持つようになったことが、パラドックスの発見につながったのです。

こうした概念は、いくら形式的に説明したところで、よくわからないものです。かなりわかりやすい命題があるので、ご紹介します。

  1. 抜き打ちテストのパラドックス

    ある先生は、学生に抜き打ちテストを行うために、次のことを公言した。
    「来週の月曜日から金曜日のうち、いずれかの日に抜き打ちテストを行う。」(抜き打ちテストだから、テストが行われる日は事前には予測できない。)
    これを聞いた学生は次のように推論した。
    まず、金曜日に抜き打ちテストがあると仮定する。すると、月曜日から木曜日まで抜き打ちテストがないことになる。そして、金曜の朝の時点で、今日が抜き打ちテストの日だと予測できてしまう。これは、抜き打ちテストであるということに矛盾する。よって、金曜日には抜き打ちテストがないことが分かる。

    次に、木曜日に抜き打ちテストがあると仮定する。すると、月曜日から水曜日まで抜き打ちテストがないことになる。そして、木曜の朝の時点で、木曜日か金曜日に抜き打ちテストがあることになるが、金曜日には抜き打ちテストがないことが分かっているので、今日が抜き打ちテストの日だと予測できてしまう。これは、抜き打ちテストであるということに矛盾する。よって、木曜日には抜き打ちテストがないことが分かる。

    同様に考えていくと、水曜日、火曜日、月曜日にも抜き打ちテストがないことが分かる。したがって、先生は抜き打ちテストを行うことができない。

    そして抜き打ちテストが発表された一週間が始まった。

    学生の予想通り木曜まで抜き打ちテストはなかった。しかし、金曜日になって先生が「では今から抜き打ちテストを行う。」と宣言したのである。すかさず学生が反論した。「抜き打ちテストは不可能です。昨日まで抜き打ちテストがなかった時点で、今日テストがあることは予測されます。このことは先生が公言した抜き打ちテストであることに反します。」

    すると先生はこう言ったのである。「君は今日抜き打ちテストが行われないと思っていた。ならば抜き打ちテストは成立しているじゃないか 」
    学生は「?? 」

    以上が抜き打ちテストのパラドックスである。

抜き打ちテストの意味のすり替えによっておこったパラドックスです。難しくいうと、「様相論理の決定不可能な命題を元にした間違った推論」などともいわれますが、簡単にいえば、「思い込みによる勘違い」です。

要するに、先生が「抜き打ちテストをすると言った事」に対して、この生徒はいつテストが行われるのか?という事を推測しようとしました。その結果、抜き打ちテストができないという結論を出した訳ですが、先生は「抜き打ちテストをする」とだけ言った訳ですから、先生の論理も正しい訳です。社会生活に置いては、このような状況を思い込みよる勘違いとして簡単に処理されている訳です。

複雑に物事を考えようとすればするほど、陥りやすいのが、パラドックスです。

クレバーな学生は、そんな反論をするかもしれませんが、スマートな学生は、抜き打ちテストのため、その日からテスト勉強をしていることでしょう。

これ以外にも、面白い命題は、様々あります。

  1. ゼノンのパラドックス
    カメを追いかけてカメのいた地点にたどり着いても、その時点でカメはさらに先に進んでいるため永久にカメに追いつくことはできない。アキレスとカメのパラドックスとも言う。

  2. 誕生日のパラドックス
    何人の人が集まると同じ誕生日の人がいる確率が0%以上となるか

  3. エレベーターのパラドックス
    エレベーターはいつも一方にばかり動いているように見える。

  4. ヒルベルトの無限ホテルのパラドックス
    無限に部屋のあるホテルは、満室であってもそれぞれn番目の客室の客にn+m番目の客室に移ってもらうことにより、さらにm人の客を泊めることができる。無限の客がやってきても入室可能。

  5. 親殺しのパラドックス
    タイムマシンで過去に行き、自分が生まれる前の自分の親を殺したとき、自分は産まれてこないことになる。またそうなると自分が居ないために親が殺されない。さらに、親は殺されないため自分は生まれてくる。という循環ができる。

  6. タイムマシンのパラドックス
    タイムマシンで過去に旅をすると、その途中でタイムマシンの製造過程を通過するためタイムマシンは分解してしまう。

社会生活を営む上で、こうした事を考えている人は、他人からは「小難しい人」と思われるかもしれません。