6/10/2006

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『贈与論』について


 

この本は、1925年社会人類学者であるマルセル・モースにより綴られた。

そのなかで、彼は感情のエネルギーが、人々の間に流通し、人々を動かしていると考えた。言い換えれば、宗教儀礼による社会的交換である。そして、彼はこの感情的エネルギーを「マナ」と呼んだ。

マナは、物的な客体のなかに姿をあらわすことで、後に貨幣となるものの原型をなす。また、経済の根底には、文字通り宗教的儀礼が存在している、とも言うことが出来る。

貨幣は、面倒な物々交換を無くし、それぞれ個人の財産を交換できるメディアであり、一般的な価値基準なのである。貨幣経済は、ゆっくりといろんなレベルを通って成長し、簡単にやり取りできる紙幣、さらには株式や先物取引、手形、その他現代の資本主義のありとあらゆる便利なメディアに成長した。

今でも、アフリカのある部族の間では、物々交換が社会常識としてある。貨幣という便利なメディアが、なくとも社会交換は可能であり、少なくとも先進国といわれる国の文化が、変化した形態と考えることが出来る。

最も古い「貨幣らしい」事物は宝石に似ている。それは並外れて美しい性質を持つとみなされる高価なものである。そのような物を特別なものとする条件は、ただ希少なだけでなく、それに与えられる社会的意義である。貨幣は、社会的な信用からなっている。

最も重要なことは、何を交換するかではなく、交換によりどのような効果がもたらされるかである。

社会的交換は、そこに属する集団内で行われる行為であり、Give&Takeということである。もし、この関係が崩れると、その集団内で他者との関係が維持できなくなる。貰ったかなには何か返さなくてはいけないし、そうしないと集団内から逸脱とみなされる場合がある。日本のお中元、お歳暮などは、物を贈るよりもその行為自体が社会的意味をなす儀礼といえる。

相手に物を贈るということは、いつもはあまり言わないことをコード化して相手に伝えることである。ある意味では、一種の外交ともいえよう。


 

今の女性は、(ブランド好き)男を愛しているのではなく、そのブランドのバッグや指輪を愛している。本当に愛し合っていれば、価値はもっと別のところにあるのではないだろうか?物質社会に、人間の心(精神)も征服されてしまっている。

人間らしさとはもっと別なところにあり、決して物の中にはない。人間らしさを最も感じられるのは人間だし、それを表現できるのも人間だ。

実は、物質社会はそろそろ終わりを告げる。仮想現実が物質に変わる新しい人間の支配者となる。

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