2000年頃のレポート

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はじめに

情報の古い箇所が多いため、その点を割愛または、訂正・補足を加えている。



情報とは

情報は生物とともに消滅するのだ。[西垣1995:10]

生物が存在しない時代や場所では、情報もまた存在せず、生物と一緒に情報も死滅する。

また、情報とは「いざなうもの」であり、興味をそそらないものを情報とは呼ばない。たとえば、電車でおばさんが噂話をしていたとする。ある人にとっては、ただの無意味な噂話だけかもしれない。だが、ある人にとっては、とても重要な情報となりうる。





  1. 三種の神器(携帯電話・ポケベル・パソコン)とコミュニケーションの変化

しかし、現在、ポケベルの利用者は殆どいない。その理由として、携帯電話でe-mailが出来るため、ポケベルを持ち歩く必要がないからだ。また、パソコンも現在の利用者数は携帯電話と比較して少ない。ポケベルに関しては、これ以上需要は見込めないが、パソコンはこれからも需要拡大が期待されるため、はずせないであろう。また、情報媒体として忘れてならないのは、テレビである。一方的な情報媒体ではあるが、この情報メディアをはずすことは出来ない。パソコンを持っていない人でも、テレビは持っているし、携帯を使わない人でもテレビは見る。この3つを本当の三種の神器と呼ぶべきである。



1-1 コミュニケーション

“われわれがコミュニケーションを通じて精神とその意味を伝達し、その意味の伝達を通じで互いに共通な世界を共有することを示している”(J.Dewey)



  • コミュニケーションの基本的な過程
  1. 知識・出来事・意思・感情などの情報を伝達しようとする個人や集団である「情報発信体」(送り手:server)が存在
  2. 「情報発信体」が伝えようとする情報を一定の記号に変換する「記号化」という作業が営まれる。「記号化」された情報は、「メッセージ」と呼ばれ、「メッセージ」を送る回路や媒体を「チャンネル」・「メディア」と呼ぶ。
  3. 「チャンネル」を通じて送られた「メッセージ」としての情報を受け取る個人や集団である「情報発信体」は、送られてきた「メッセージ」の記号から情報を解読する「記号解読」作業を行う。
  4. 情報が流れる方向の中で、近年のニューメディアでは、情報の送り手(server)が同時に受け手(client)にもなる双方向性のコミュニケーションが可能である。



1‐2 情報化における三種の神器

現代において、われわれが三種の神器を持っていないとすると、生きていくことには問題ないが、様々な社会関係の情報網から脱落することになり、いまやごく日常のメディアをビルトインした社会生活を営むのは不可能である。



  1. 3コミュニケーション・パターンの移り変わり

情報通信機器の普及は、われわれのライフスタイルに機器の個人利用と2種類のコミュニケーション―会話・文字を同時に展開させた。

一般的に家庭における電話は、世帯で共有。しかし、携帯電話は基本的に個人利用。(パソコンなども)

この理由として、歩きながら乗り物で移動しながら、仕事をしながらなどの「~しながら」の利用が可能になった利便性と関係がある。







我々の基本的なコミュニケーションは、即時かつ双方向性をもち、同じ時空を共有する会話である。他方、文字によるコミュニケーションは、即時的ではあっても記録性が高く、保存や複写も可能である。会話のように即座に返答を要求されないので、伝達された意味を考え、どのように返答するか、あるいは返答しないことも含めて受け手側の選択の余地がある。

現代の個人利用率が進展しているメディアを媒介とするコミュニケーションは、会話と文字が同時に進行しているのであり、自分はどのようなコミュニケーションを嗜好するか、時と場合によって会話を選ぶか、文字を選ぶかを決める。



2-1.若者メディア

日本におけるパソコンの世帯普及率(「消費者実態調査」電通)

1995年    約10%

↓Windows95の日本語版ウィンドウズのフィーバー現象

1997年3月  約22%

↓臨界点

2002年4月  約20%




耐久消費財の普及は、10%を超えた時点から爆発的に普及し日常生活に変化を及ぼす。

[例 三種の神器、3Cなど]

しかし、パソコンなど情報機器の普及の場合、社会的属性によってその入手と利用は多様であり、社会的要因が根底にある。(もうひとつ付け加えるならば、環境整備の遅れが考えられる。それは、テレビが見たいのではなくて、テレビ番組が見たいためにテレビを買うように、インターネットの普及とパソコンの普及は関連しているということである。)




若者メディア(10代、20代の学生)

ポケベル、携帯電話、PHSを主とし共通メディアとなっていた。(約4年前)

現在は、携帯電話が共通メディアとして多くの人に利用されている。




2-2.誰が若者に影響を及ぼしているのか?

伝統的な考え方

子供はその成長に合わせ、両親、兄弟、友人などのインフォーマルな関係の人々、教師、先輩、上司などのフォーマルな関係の人々のなかで自己形成をしてきた。

特に親はゲートキーパーとして、情報の選択、解釈、統合をし、子供に家庭の中で道徳や価値観の継承を行う重要な役割を果たす。

近年の考え方

都市化、産業化、情報化を背景に、子供の電子メディアとの接触が親密になり、様々な情報が直接彼らに作用し始めた。そのため、多くの情報を子供自身が取捨選択する。

子供は、コミュニケーションの範囲を自ら限定し、その集団の持つ特有の規範の中で成長する。手段としては、携帯のメールのメル友募集、インターネットの友達募集、情報雑誌の友人募集がある。




2-3.準拠人

若者に影響を及ぼす人

1992年~1993年

身辺  1位 友人、2位 母親、3位 父親

周囲の人以外  多様に分布。音楽、美術、想像上の人物など。




準拠人の特徴

マスメディアと電子メディアの普及により、特定個人ではなく多様に分散している。




若者が形成する「価値共同体」は、「他人指向型」であるがゆえに異なる価値をもつ人を排除する排他性を示しつつ、電子メディアの匿名性のなかで自己を自由に表現する集団である。

2-4.若者文化

若者言葉の誕生

特徴 ①言葉遊びの流行、②言葉の軽量化・曖昧化、③会話の「ノリ」重視、

   ④若者語=女性語

  


「ケータイ」の意味と機能

ビジネスマンの持つ携帯電話はステータス・シンボル、業務上のコミュニケーションをはかる道具。対し、若者の持つ「ケータイ」はゲーム的意味を有し、身体の一部であり、アクセサリーである。「ケータイ」は“私的所有物”として位置付けられる。

『メディアは精神的・肉体的な人間の能力の拡大・延長である。』(マクルーハン)

→耳と声の延長以上の生理機能を持つ。

メディアと人間との関係の複雑さの中、「ケータイ」は低精細度のメディアとして若者の分身といえる。



2-5.私的空間の優位

携帯電話でうまれる私的空間

公共の場においても、携帯電話の電子音一つで私的空間が生まれる。

人々は、そのマナーの悪さよりも携帯電話の利便性に着目し、また社会への適応の重要、かつ手早い手段として携帯電話を所有する。




現在では、携帯電話も「ケータイ」も区別はさほどされていないように思う。またパソコンを中心とした各種ニューメディアは、幅広い世代に浸透し、世代による趣向の違いはあるけれどその使用目的は大差ないように感じている。そしてすべての世代の人々にとって、多くのメディアに接し、多くの情報を取捨選択するための情報の優先順位付けは、今後より一層必要となってくるだろう。



携帯電話の問題点

 携帯電話は私的空間を生み、その私的空間が周囲に深いな思いをさせるばかりではなく、その利用者も実は損害を被っている。携帯電話の利点は、即時性という点だが、それは短所としても考えられる。時と場所を選ばないということは、受け手にとってみれば危険性と不利益を被ることもある。営業を行う会社員にとって、携帯電話は取引先との連絡を取るための必需品だが、これも、本社から監視・拘束されているということを忘れてはならない。



3-1.アイデンティティの分裂

アイデンティティの2面性…具体的個性的アイデンティティ、匿名的アイデンティティ

→この2つのアイデンティティに基づいて自己を定義しようとする。しかし、この定義する過程で人は迷ってしまう。

P.Bergerは、アイデンティティの特異性としてその理由を捉えた。

  1. 異様に未確定…他人の目を異様に気にかけること。
  2. 異様に細分化…複雑で細分的な社会を体験することによりすべてを相対化してしまう傾向。
  3. 異様に自己詮索的…絶えず変化する社会的経験や意味によって、決断と計画を強制し、自己詮索を強要する。(例:自分探し)
  4. 異様に個人中心的…自分の人生を自由に計画したり造形したりする権利を重要と考える。



若者世代の捉え方

「アイデンティティの危機」「モラトリアム人間」「新人類ジュニア」「オタク」「フリッパー世代」



新たな捉え方

「ジェネレーションY」と呼ばれる米国7000万人の子供/若者たちにとって,インターネットは,友人同士で集まったり,ゲームを楽しんだり,音楽を聴いたり,時には買い物を楽しむためのお気に入りの場所になりつつある。「ジェネレーションY 」と呼ばれる,米国の5~22歳の若者世代に属する。ジェネレーションYは,ブリットニー・スピアズや’N Syncなどのポップスターを創出し,またアパレルのTommy Hilfigerをカルチャー発信源の大会社に押し上げた。~中略~ジェネレーションYの中でも特に16~22歳の年齢層には,ウォール街,インターネットメディア――そして双方向TV企業まで――が注目しつつある。

【米国発】 2000.3.15 3:12 PM PT  [Jane Weaver, MSNBC & ZDNet/USA]

今日のティーンエイジャーは、『ジェネレーションY』というよりも、『ジェネレーションW』と呼ぶべきかもしれない。この「W」は、「ワイヤレス」(wireless)の「W」のことだ。ジェネレーションWに属さない世代は、ポケベルや携帯電話があると、四六時中働かなければならないと不満気に話すが、若者の多くは仲間といつでも連絡を取れる手段として大歓迎している。友達と常に連絡を取り合うことを必要とする若者は、ワイヤレス機器メーカーの最優先ターゲットとなっている。

By Stephen Jacobs/日本語版
森口けい子Wed 25 Oct 2000



3-2.「カプセル人間」とヴァーチャル・リアリティの魔力

ヴァーチャル・リアリティ…仮想現実感

(欧米では、ヴァーチャル・リアリティはサイバースペースと同義語で使用される場合が多いが、日本でのヴァーチャル・リアリティの捉え方は少し違うようだ。その理由として、インターネット環境がサイバースペースを構築できるほど整備されていないことと、パソコンより、TVゲームの普及率の方が高いことで、手段としてではなく、技術としての認識が強いのではないだろうか)



情報化の問題とは「ヴァーチャル」化の問題に他ならない。「ヴァーチャル」とは、現実に対する「虚構」という意味ではなく、たとえ「虚構」の信号から構成されていても「事実上は現実と同様の効果を持つ」ということだ。[西垣1995:2]



「カプセル人間」…引きこもり?



ヴァーチャル・リアリティの危惧

現実逃避の道具

自由競争における不安や不満のはけ口

現実と仮想現実の境界喪失

対面コミュニケーションの喪失



  • 電子メディアの両義性

2002年5月27日(月)

人が集まるところには、どこにでもルールが存在する。それは、人が集まった結果生まれる公共財を守るために、それとなく作られてくるものだ。 インターネットでもそれは当てはまる。 擬似的な環境とよく言われ匿名性が強いため、何を言ってもいいと勘違いしている人間も多いが、実際はここでも公共財を守るため暗黙のルールが存在するとことを忘れてはならない。 インターネットをよく利用する人は、チャットなどで会話しているとそれとなくわかる。 そういった人は、実社会と変わらないモラルともって人と接してくるからだ。 特に、匿名性が強いこの環境ではモラルのない人間は、疎外される。アンダーグラウンドと言われる領域では、そのことはいっそう強調される。もし、不快感を感じさせる言動や行動があった場合は、必ず制裁が加わる。アンダーグランドには有益なFree Softや情報が数多くあるが、そこではいわゆるフリーライダーを疎遠する傾向もあることを忘れてはならない。 このことは、特にアンダーグランドといった限られた領域に関してだけいえることではなく、Free Softや画像、音楽、その他の素材を置いているHPでよくあることである。フリーライダーは、書くが如しただ乗りを意味する。インターネットではサーバ(提供者)とクライアント(享受者)の2つに大別するが、実社会においても、それは公共と利用者の2つに分けられる。実は、どちらの場合においてもフリーライダーは存在するのだ。インターネットにおいては、その割合は実社会より高い。 よく、理論ばかりの学者やある方向だけからしか語れないマスコミは、ヴァーチャル・リアリティ(仮想現実)といって批判をする。確かに、そういった側面を持ち合わせているのは、否めないが僕は、これもひとつの現実だと思っている。画一化した現実しか見られない老人たちには理解できないだろうが、ここもまた現実の延長もしくは、第二の現実(セカンド・リアリティ)だということを忘れてはならない。

Technological Empire:詭弁論考

さまざまなストレス

  1. 匿名性ストレス
  2. 対人ストレス
  3. メッセージ・ストレス…無意味な情報が多い、題名と内容が不適切なものが多いなど
  4. アイデンティティ…発言者が身近に感じられる、気心の知れた仲間がいるなど
  5. 情報のオーバーロード…意見や情報の量が多すぎる、参加者が多すぎるなど

[池田1997:75-78]

メディアのカスタマイズ

  1. メディアとしての設定/設計の多様さ
  2. 「社会」もまた設定/設計が多様である
  3. 集団もまた設定/設計が多様に可能である
  4. 「個人」の設定/設計すら多様でありうる

[池田1997:27-29]

ヴァーチャル・リアリティには、われわれを解放してくれるどころか、われわれをアミノー状態(欲望が肥大化した無規制状態)に陥れ~省略~[安藤1998:74]

アミノー状態へ陥れるということは、言いすぎだと思うが、利用者が何らかのストレスを感じることがあるということは否定できない。また、さまざまなカスタマイズが可能であるがゆえに、このようなストレスを作り出している。一方では有益な情報を提供しているが、もう一方では全く意味のない情報の乱立も目立つ。この側面が、アミノー状態へ陥れると言わせたくなるのはわかる気がする。



匿名性の問題というのは、現代ではそれほど大きな問題ではない。より焦点をあわせなければならない問題として、個人情報の流出という問題が挙げられる。一般家庭のパソコンですら、日に何回も不正アクセスを受けているという事実もあり、また、個人情報を管理しているデータベースでもこの問題はある。これらのデータベースでは、セキュリティの強化によりそれほど外部からの不正アクセスを受けないが、内部からの流出は防げない。この内部からの個人情報の流出を防ぐためには、管理する側のモラルを上げることも必要だが、法的拘束も必要であると考えられる。



参考文献

安藤喜久雄編 1998 「若者のライフスタイル」学文社

池田健一編 1997 「ネットワーキング・コミュニティ」東京大学出版会

西垣通 1995 「聖なるヴァーチャル・リアリティ」岩波書店



ヴァーチャル・リアリティは現実のコミュニケーションを希薄化するのか?



個人情報保護法案は必要であるか?