桜、さくら、サクラ

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既に4月下旬で、新緑が彩る季節になりました。今年の桜は、春雨の影響もありあっという間に散ってしまった感じがします。

一言に桜といってもたくさんの種類があり、それぞれに咲き方、時期などの特色を持っています。
俗に言う桜はソメイヨシノと言う種類です。
尚、桜は日本の国花であることはご存知でしょうか。

日本人は桜を単にハナと呼ぶことが多々あり、花見と言えば、桜の下で…というのは、日本人なら誰でもイメージすることでしょう。

日本人にとってハナ=桜なのです。
そういった意味で、友好の証としても使われたという歴史もあります。

アメリカのワシントンでも桜が咲きますが、あれは日本から輸入されたものです。
確か、中学一年のときの英語の教科書に書いてあったのを記憶しています。
(だいぶ古い記憶なので、あいまいですが)
日本人にとって桜は他の花よりも特別な存在なのです。

散り際の美学というものが存在するらしいです。
これは、桜のように美しく咲き乱れそして惜しまれつつ散る様のことを表しています。
日本人の恥の美学もここから来ているのかもしれません。
桜が散る様は非常に侘しさを感じます。
この侘しさこそが日本の美そのものなのです。
切腹は、見苦しく生きるより美しく散ることを選ぶ選択肢として捉えられていたのでしょう。

例えば、ある日本のスポーツ選手が既に限界を超えているのになおも執着し続けることは、
多くの日本人は非常に見苦しく感じると思います。
少なくとも僕はそう感じます。
他の国であれば、これは賞賛されることかもしれません。
そういった価値観を持っている日本人もいると思いますが、結構年齢の高い人などは、一体どうみるでしょう。

特に、角界ではその美学が色濃く反映しています。
角界では、横綱を目指し精進するわけですが、横綱に昇格した後は、
常に勝ち続けなければならないプレッシャーと格下の力士が自分を破るかもしれないという不安を抱えながら相撲をとらなければなりません。

しかも、そこまで上がってくる為には体を酷使しなければならないわけです。
去るタイミングを逃すと、実際去る際に印象があまりよくなくなってしまうということも考えられます。

盛者必衰の理もまた、日本人の美学を追求する上では欠くことのできないものであり、ここにも侘しさを感じずにはいられません。

今年から新生活を送る人も数多くいることと思いますが、桜が散るころになると、侘しさを感じすぎ五月病になってしまう人もいますが、
これもまた日本の風土と文化が生んだものなのかもしれません。