教育放棄

学級崩壊やゆとり教育問題の根底にあるものは何か。
学校ではいろんなことを学ぶ。ただ、社会的なことをそこで学ばせようとするのは間違いだ。なぜなら社会は人の手により形作られ、人を育てるものだからだ。
学校の先生と呼ばれる人たちは、休日を返上してまで仕事に打ち込む。そうしなければ今の学校での教育は成り立たない。
しかし、子供たちはそんなことは知るはずも無いが。
なぜそこまで学校に求められるのか?
親は子供に何を教えているのか?
そんな話はよく聞く。実際今の親は子供には何も教えていない。バブル期より流行ったマイホームパパから子供は何も教われない。子供と友達になる親がいるがそれは子供の教育にとって非常に良くない。
子供はいつまでたっても子供であり続け、親はいつまでたっても親であり続ける。今までもそしてこれからもこの構造は変わることは無いだろう。
本来、親が教えるべきことと学校で教わることは分かれているはずだった。しかし、最近の親は学校に自分が教えるべきことすら委ねようとしている。
具体的には、礼儀だ。これは親が教えるべきものである。礼儀のなっていない子供は、親の教育が疑われるはずなのに、何かと言い訳をし自分の責任を転嫁しようとする。
よく礼儀の知らない人間に親の顔が見てみたいと言ったものだが、この言葉はそのことを意味している。
学級崩壊は、先生の威厳が教室内で失われてしまったともいえるが、この問題も礼儀の知らない子供が火付け役になるのだろう。最低限社会生活を営む上での礼儀を子供に教えることを放棄してしまった結果だ。
何度も言うが、子供は親から教わるものと学校から教わるものがそれぞれある。
だが、現実問題として女性の社会進出が進み親は子供にそれらのことを教える時間と余裕がなくなってしまった。それと核家族化という問題が重なると社会性の無い子供たちが蔓延してしまうのである。
なぜ女性の社会進出と核家族化が関係しているのかというと、祖父母のいない家庭では母親がやはり子供に対して教育をしなくてはならないが、祖父母がいれば、代わりに母親が仕事に行っている間に教育をしてくれる。
実体験としては、小さいことはおばあちゃん子だったため、どこにでもついていった。と言うより連れて行かれたといったほうが適切かもしれない。
僕が小さいころの町医者は老人たちのサロンだった。ちょうど医療費が65歳以上は無料という時代だったためである。僕の祖母はかなり社交的な人でおしゃべ
りだ。そんな祖母と一緒にいて色々な人間に触れ合うことで、次第に同じようになっていったのかもしれない。
逆のパターンもある。
これは友人に聞いた話だが、彼も母親は仕事を持っていた。そしておばあちゃん子でもあった。ここまでは全く環境は一緒だが、彼のおばあちゃんはあまり人と
関わりを持たずほとんど家の畑ですごしていたらしい。彼もおばあちゃんの脇でいつもボーっとしていたと言うことだ。彼がもしかしたらそれが原因であまり人
付き合いが良くないのかもしれないと言っていた。
この2つはあくまでも特殊な例かも知れない。
しかし、子供の性格は環境によって形成されるとも言う。当たらずとも遠からずといったところか。
子供の成長を節に願わない親も居るみたいだが、ほとんどの親はそうではないだろう。
肉親にしてもそうだ。
子供は小さいうちにいろんな人に出会うことで社会性を育むのである。
その環境を作るのは親の役目だ。
TVゲームばかりしているのは良くない。よく親に言われたことだが、今頃になってその意味がなんとなくわかってきた。
親にとってはいつまでも子供かもしれないが、社会は成人したら一人の個人(大人)としてみるようになる。親にとっての子供と社会にとっての子供は全く違った意味を持つ。
ゆとり教育は学校の教育放棄だと感じるが、社会教育は放棄している親が多いのではないだろうか。

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