言語論入門

新聞やマスコミで今話題なのが、日本考古学会のことだ。

副理事長ともあろうものが、自分の私利私欲のために捏造を繰り返していたのだ。史学科の友人が嘆いていた。今彼は、ゼミで埴輪の研究をやっているそうだ。
今回のことは、このこととは直接関係ないことだが、結論的には同じことなので、覚えていてもらいたい。
「言葉」というのはなぜ生まれてくるかということを皆さんは考えたことがあるだろうか?
モノは、出来ればそれを呼ぶための言葉が必要になるので、必ず生まれる。それは、人の名前や地名なども同じである。社会現象などもそれを説明するために名詞が生まれる。

例えば、「カルト」という言葉がある。もともとこんな言葉は存在していなかった。というのは少し大げさで、少なくとも今の意味での「カルト」というようには使われていなかった。

本来はラテン語で、一人の人を熱狂的に支持するとか、人権を侵害するというものであった。だが、80’sアメリカで、ある新聞記者が新興宗教をまとめてこう呼んだのが始まりとなっている。

そう考えると、訳のわからないものには必ず名前をつける必要があるというわけである。あと、幽霊やUFO、UMAなどもこの類に当てはまると考えられる。

人間は、自分の理解を超えるものや、目に見えないもの触ることや感じることの出来ないものに対して、恐怖と畏怖の念をもつ。心理学的に、人間が一番恐れる
ものは「闇」である。そこでは自分の存在すら否定的になってしまい、最終的には発狂してしまうのである。
言葉は、人間が理解するために生まれた道具に過ぎないのである。
要するに、そのものが存在するか、しないかが問題ではなく、必要だからそう呼ぶのである。
例えば「神」という言葉は、それが存在するかしないかは関係ない。人がそれを必要とするからそう呼ぶのである。
「平和」という言葉も然り、「戦争」ですら同じ概念だと考えられる。
そこで、初めに述べた考古学の話を思い出してもらいたい。
あの人が犯した罪というものの重大さが、分かってくるだろうか?日本考古学いや、世界の考古学における日本の位置というものが根本から覆されてしまうのである。

日本の新石器時代が70万年前までに遡るが、これは全くのでたらめである可能性が強い。
歴史とは、後の人が、その時代を呼ぶために必要な、学問である。それを自分で変えてしまっては歴史というものの信憑性はなくなってしまう。

歴史には、もしかしたらというのはありえない。

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