1997.9.30

今日、ふと考えことをした。
人の上に立つべき人は、どのようにあるべきか?

福沢諭吉の「学問のススメ」にあるように、人は必ずしも生まれつき偉い人はおらず、人は生まれたときはみな平等なのだ。

しかし、人の上に立つ人は、努力や才能があるはずなので、必ずしも「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」は成り立たなくなる。

今、この世界では民主主義が絶頂を迎えたが、そろそろ本当の意味で人を導くものが必要なのではないだろうか?

堕落した民主主義は、絶対王制より見苦しい(国王の良しあしによるが)

人が人の上に立つことは難しいことであり、こんにちの政治家のように毎日毎日、頭を抱え、カメラが回れば作り笑顔でいなければ勤まらない。

もし、神という存在があるのならば、この状況から救ってくれるのだろうか。

「神」というと、宗教的議論を呼んでしまいそうだが、世界中には多種多様な宗教が軒を連ねている。

僕としては、宗教というもの自体はあまり好まない。
興味はあるものの、それにすがってお祈りをするようなことはしない。神に祈りをささげている時間があれば、もっとほかにすべきことがあるはずだ。(こんなことを真っ向から言うと怒られるだろうが)

しかし、宗教は人が作った心の支えなのかもしれない。
人が作りしものはいずれは滅びるが、人を超越したものは永遠ということなのかもしれない。

話が大幅にそれてしまったが・・・要するに、人の上に立つには、絶対的な力ではなく、絶対的な存在が必要なだろう。

ニーチェのいう虚無主義に人々が陥っていると仮定するならば、それと同時に超人という絶対的な存在も必要されているのではないだろうか。

そう、それは神のような絶対的な存在。
(宗教に対しては肯定も否定もしないが、便宜上神という言葉が最適だから使った)

今日は、わりと書いたほうだと思う。
でも、いったい何を言いたいのか全く整理がついていない。特にあとのほうはもはや意味不明。
考えても、考えても、答えは見つからないし、果たしてそこに答えがあるのかさえ分からない。
哲学は、人それぞれの考え方なのかもしれないが、すべての人に共通の哲学があればいいと思う。
たぶん、それを見つけることができるのは、神だけなんだろうけど。

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

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